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虚ろなる英雄  作者: 春風
第二章
30/39

亡国の騎士、誇り高き決意を断つ

 どれほど斬り合っているだろうか。熾烈な剣撃が次々と繰り出され、互いにそれを受け止める。火花が散らんばかりの激しい剣と剣のぶつかり合いが繰り広げられている。レグナッドは眼前で凄まじい闘気を放ち、自身の命を刈り取ろうとする男に対し、不思議と一種独特な友情を感じていた。


 なおも耳の奥にまで響く強烈な鉄の共鳴音が辺りに炸裂する。


 カヴァードは薄っすらと微笑んでいる自分に気付いた。これほどまで純粋な気持ちで、一騎討ちに身を投じた事が過去にあっただろうか。自分の覚えている限り、無かった。命のやり取りである。楽しいはずがない。しかし、目の前で自分に剣を向けるこの男には、命のやり取りですら楽しく感じさせるものがあった。言葉は交わさずとも、友情めいたものを感じた。しかし、彼は敵である。彼はすぐに自身の感情を心の奥底の牢屋に閉じ込めた。過去十七年間、幾度となく反乱を指揮し、帝国に楯突いた大敵の首は目と鼻の先にある。この勝負が今後の明暗を分かつものになるという事は、痛いほど理解していた。戦場に私情は持ち込まない。カヴァードの鉄の心得だった。


 レグナッドの鋭い太刀筋を的確に捉え、隙あらば真空波を引き起こさんばかりの剣圧を誇る斬撃を見舞う。まともに受け続ければ衝撃で手が痺れてしまうくらいに強烈な一撃を、カヴァードは次々と繰り出してゆく。レグナッドは巧みに足を動かし、軽やかな動きで斬撃を躱す。しかしカヴァードも歴戦の雄である。空いた間合いを爆発的突進で詰め、レグナッドの脇腹目掛けて力強く薙ぎ払う。レグナッドの全ての細胞が躱す事は難しいと彼の脳に訴えかけ、すぐさま剣を逆向きに立てて防御する。強烈な衝撃が余す事なく手に伝わる。レグナッドはすかさずカヴァードの腹目掛けて蹴りを入れ、反動を利用するかのようにして間合いを取る。


 二人は一切の言葉を発しようとしなかった。発する余裕が無かったのか、発する必要が無かったのか。恐らくはどちらも正解だろう。言葉を交えずとも、剣を交えるだけで、男が背負っているものの重さ、男の誇り、男の生き様。全てが受ける剣から体中を駆け巡って脳に伝わってくる。


 カヴァードの剛腕から繰り出される必殺の斬撃を受け止めたレグナッドだったが、その余りにも強力な衝撃に足元が崩れる。更に泥濘ぬかるみに足を取られ、姿勢を崩してしまった。さすがは帝国随一と謳われる猛将である。その一瞬の隙を見逃さず、返す剣でレグナッドの首を斬りつける。右側から迫る死神の如き殺気を、レグナッドはなんとか身を逸らして躱す。水の滴る彼の黒髪が湿った地面に舞い落ちた。


「惜しいな」


 一旦距離を取り、息の上がったレグナッドがポツリと呟いた。


「あと少し踏み込んでいれば、その頭と体は離れ離れになっていた。実に惜しい」


「その惜しいもあるが、俺が言っている惜しいは違う意味だ」


 全く隙のない構えを崩さずに、額に薄っすらと汗が滲ませたカヴァードはその言葉の真意を探る。


「あんた程の男を斬らなければならないという事が惜しいのさ」


 一方無防備にも見える、剣をだらんと下げたレグナッドがニヒルな笑みを浮かべてそう口にした。カヴァードは体勢を変えず、口元だけを緩めた。


「まったく面白い男だ、ミビヌク・レグナッド」


 本心であった。今生ではこの男とは敵対し、こうして殺し合っている。運命とは余りにも残酷で、悲哀に満ちている。どこか違う場所、違う時に出会っていれば、酒を飲み交わす事も出来たかも知れない。




 ーーー友として。




「……だが私はキドラ帝国のシャラフ・カヴァードだ。私という人間は、ここでしか生きられない」


 心によぎった思いを飲み込み、揺るぎない心をカヴァードは示す。レグナッドは分かっていたかのように頷き、剣を握り直す。


「残念だよ、シャラフ・カヴァード」


 ほんの僅かではあったが二人は会話し、互いを認め合った。そして悲哀に満ちた斬り合いに、またも身を投じたのであった。


 周囲で口を開く者は誰一人としておらず、見えない障壁に囲まれた、異次元の映像を見守る事しか出来ずにいるような感覚に捉われていた。ことセリューノに関しては、複雑な心境であろう。長い間師事したカヴァードと、同じ目的を持ち運命を共にすると誓ったレグナッドが息をもかせぬ激闘を演じているのだ。いくら表面では誤魔化せても、心の中ではこの争いを誰よりも望んでいないのは、他ならぬセリューノだった。


 一振り一振りが二度と人が立ち上がれなくなるのに十二分な威力を持つような、異常ともいえる攻防を演じているのだ。攻めなければ殺され、守らなければ殺される。ひび割れた薄氷の上を歩くような極度の緊張感、死への恐怖、そして肉体の酷使による疲労。互いに、とうに限界を超えていた。


 何故そう思ったのかは分からない。だが彼の黒い瞳は確信に満ちていた。そう訴えかける何かがあったのだ。




 次の一手で勝負が決まる。




 それが果たして希望に溢れる、蒼天を駆ける風のように清々しい生なのか。それとも希望も絶望も味わう事の出来ない、深淵の死なのか。レグナッドは指でコインを空中に弾くような気持ちで、渾身の一撃を繰り出した。その気迫に応えるかのように、カヴァードも雄叫びをあげ、全身全霊を込めて斬りかかる。


 双方の剣が今までになく激しい金属音を奏でて交差し、衝突する。と、カヴァードの持つ、使い慣らされた剣が悲鳴に似た音を立てていびつに折れる。必然的にレグナッドの、ルベリオの鍛えた入魂の一刀がカヴァードの鎖骨を砕き、肉を引きちぎる。




 沈黙を超える沈黙が、場を支配した。




 溢れ出す鮮血を自身の目で確かめ、ぬかるんだ地面に膝を突き、吐血するカヴァードの表情はどこか満足げであった。肩で息をするレグナッドは剣を引き抜いて地面に突き立て、カヴァードと同じように膝を突く。鋭い痛みを伴い、出血する左上腕を右手で抑える。カヴァードの執念だろうか、折れた刃先が彼の左腕を斬りつけたのだ。


 勝敗は決した。傍目から見ても傷の深さには天地の差がある。死に至る傷かどうかは、戦争に身を委ねる者なら簡単に区別できる。残酷ではあるが、敗者は死を受け入れる事しか選択肢がない。


 痙攣する体で必死に平衡を保ち、じっとレグナッドを見つめるカヴァードの目に光はほんの僅かしか残されていなかった。帝国の為に戦い、心血を注ぎ帝国を支えた猛将の命も、もはや風前の灯となっていた。とめどなく流れ出る血液が血だまりを作り、彼の死が近付いている事を如実に示している。そんな彼の、憂いを帯びた、しかし満足げな眼差しに、レグナッドは強く頷いた。言いたい事は痛いほど分かる。彼は痛む左腕を抑えていた右手で自らの剣を握り締め、動く事を拒否する体に鞭を打って立ち上がる。


 死闘を演じた二人を囲むようにして見つめる両陣営の者たちは固唾を飲み、その様子をただただ、見つめている。戦場とは思えぬほど、薄気味悪いくらいに静まり返っていた。


 レグナッドが近付いて来た事を、微かに残る五感で探知したのだろう。言う事を聞かない体に最後の命令を出し、カヴァードが背筋を伸ばし、お辞儀をするようにして迷いなく首を差し出す。レグナッドは今にも前に倒れ込みそうなほど力なく俯くカヴァードに敬意を示すため、剣を高く、高くかざした。


「さらばだ、シャラフ・カヴァード。来世で、また会おう」


 誰にも聞こえぬくらいに小さく惜別の言葉を呟き、鋭くその剣を一気に振り下ろす。骨と肉を断ち切る鈍い音と共に、ぬかるんだ地面にカヴァードの首が、落ちた。

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