若き銀獅子
危険粒子掃討部隊が設立されたのは、今から十五年前になる。十七年前の争いでハウルテッド王国は事実上歴史の表舞台から姿を消したが、その生き残りはしぶとく抵抗を続けた。当時のカミュドラル・キドラが、運良く逃げ出せた者が鼠の糞程しか抵抗出来ないだろうと安易な考えを持っていたのは、第三者の目からみても明瞭だった。反乱因子の除去という大義名分を掲げて西域へ進軍するも、蓋を開けてみれば完敗。相手には諦める気はさらさらないと思い知る。
そこで結成されたのが危険粒子掃討部隊だ。管轄内での反乱の鎮圧にあたったり、不穏な動きを見せたものを捕らえる、といったものを主な任務とする。当初こそ多数の人員を送り込み、反帝国勢力の殲滅を試みたが、現在では大々的に行軍をすることは少ない。もっぱら治安の維持が最大の役割である。
しかし一年前に小競り合いが発端となり、久方振りの大規模な戦闘が生じた。反帝国勢力と帝国軍は、エザフォス地方の北東を流れるルズ川の中流域で激突、戦いは凄惨な様相を呈した。結果的に、反帝国勢力側は有力な将を二人と大半の兵士を失い、帝国軍側もまた危険粒子掃討部西域部隊長と多くの兵士を失った。
お互いに痛手を負った形になり、後退する反帝国勢力を帝国軍も深追いせずに撤退、戦闘は引き分けという形で幕が降りた。反帝国勢力はその後活発な行動は起こさず、現在は比較的おとなしくしている。帝国は空席となった西域部隊長の後任に、皇帝カミュドラル・キドラの長男、第一王子にあたるセリューノ・キドラを据える。ハウルテッド王国では十六歳になると成人として認められる伝統があり、キドラ帝国でもその風習は残っていた。十六歳になったばかりで、まだあどけなさが垣間見られるその金髪碧眼の青年は、文武に渡り非凡な才を見せ、その優れた容姿も相俟って、貴族も兵士も国民も、セリューノに対して大きな期待を寄せた。
セリューノは任命を受けると早速西域へ赴き、自らが先頭に立って反乱因子の討伐にあたる。西域部隊長に就任してから約一年たらずで、反帝国勢力の主要幹部三人の捕縛に成功し、即座に大器の片鱗を見せつけた。純白の鎧を身に纏い、その頭髪は黄金色に輝く。勇猛なその姿に付けられた異名が“若き銀獅子”という、セリューノに相応しい美しい名だった。
巷ではセリューノの人気は格段に跳ね上がり、帝国管轄内のみならず、その名はエザフォス地方全体に轟くまでになった。仲間が立て続けに捕らわれている現状と、異名の持つ魔力によって、現在反帝国勢力は息を潜めている。そんな時に舞い込んできたのがミビヌク・レグナッドの目撃情報だ。セリューノの碧い目が一層輝きを増す。ここでミビヌク・レグナッドを捕縛、あるいは討伐すれば反帝国勢力の士気は、一気に沈み込むだろう。好機だ。
皇帝に謁見し二日が経ち、セリューノはイシュカ川のほとりに聳える、西域拠点であるオズナ砦の内部にある質素な部屋の椅子に腰掛けている。眼前の机の上には、地図が広げられていた。
「目と耳の遺体が見つかったのは、この辺りです」
栗毛色の髪をした、正装に身を包んでこそいるが童顔の青年が言った。机の上に広げられた地図に手を伸ばす。白い駒、つまりセリューノ自身を示す物だが、その白い駒の北西に位置する街の名の、少し下を指差す。
「ロッコスか……確か最初の目撃情報はサベムだったな」
片足を持ち上げて足を組む。栗毛色の髪をした、やや小柄な青年は、はい、と応える。セリューノは机に頬杖を突いた。
「奴らにとっては、時期が時期だ。仲間が立て続けに捕らわれているからな。何かしら対策を練りたいだろう」
しかも今回はあのミビヌク・レグナッドがいる。この期を逃すわけにはいかない。地図に落とした視線を、机の近くに佇む青年に移す。
「エリウッド、すぐに第一騎馬隊に伝えろ。至急ロッコスに向けて出発する。お前も来い」
「はっ! 了解しました!」
深々と一礼し、エリウッドと呼ばれた青年は足早に出て行った。その様子を目で追い、扉が閉じられると、セリューノは再び地図に視線を落とす。また、大きな戦いが始まるのか。いや、それはないだろう。自身の問いを自身で打ち消す。何故かは分からないが、不思議とその心配はないように感じた。地図の上に置かれた白い駒に手を伸ばし、北西にずらした。気を落ち着かせるようにひとつ深呼吸をし、彼は席を立った。
オズナ砦を出発したセリューノ一行はまずサベムへと向かう。地図の上では白い駒をすっと北西へ移動させたが、現実にはそうはいかない。
オズナ砦とロッコスを直線で結ぶと、その間には比較的勾配の厳しい丘陵が広がっている。エザフォス地方のちょうど中心にあるので、この地方の人々は“エザフォスのへそ”と呼ぶ。直線距離だけで見れば丘陵を越えて行けば早いように見えるが、如何せん勾配がきつく、かつ道の舗装が整っていない。
ロッコスに行くだけなら馬に鞭をうち、全速力で駆け抜けても構わないが、今回の場合は必ずしもロッコスが終着点とは限らない。どんな事態が起きても対応できるように万全を期す。それがセリューノの信念だった。
「セリューノ様、少しよろしいでしょうか」
馬に揺られ、ほぼ正面に沈みゆく夕陽を眺めていたセリューノに、不意に声が掛けられた。声の主はセリューノの乗る白馬の横につけたエリウッドだった。
「今回の任務ではミビヌク・レグナッドの捕縛、または討伐が主な目的だと心得ております。……しかし、この兵力で大丈夫なのでしょうか? 仮にも相手は、最重要反逆者のリストに載る程の男ですが」
エリウッドの気持ちも分からないでもない。討伐部隊、と名乗ってはいるものの、セリューノの後ろに続く兵士の数は、僅か十数人だ。精鋭ではあるが、戦を挑むようなら正気ではない。心配そうに俯くエリウッドを横目で見やり、セリューノが応える。
「心配はいらない。今回はまともな戦闘は起きないだろう」
何ひとつ調子を変えずに、セリューノが淡々と言葉を口にする。更に続ける。
「奴らは我々の腰の入れように戸惑っている。もし宣戦布告出来るだけの戦力や士気があれば、すぐにでも交渉を申し出るはずだ。ハウルテッドの人間は古臭い考えを遵守しているからな、みすみす仲間を捕らえられたままにはしない」
だが、今回はそれがない。まともな戦力が無い事を暗に示している。仲間を見捨てない、か。個人的には嫌いではない、と言葉には出さずに心の中で呟く。
「という事は、だ。今奴らは次の一手を打つために、態勢を整える事を最優先に考えているはずだ。よって軍隊を率いてのっしのっしやって来る事は、まずない」
セリューノの言葉に逐一熱心に頷きながらエリウッドが真剣な眼差しを送る。セリューノは最後に付け加える。
「だからこそ、この期を逃すわけにはいかない」
碧い眼が、遥か遠くを見つめて輝きを増す。獲物を瞳に写す猛禽のような鋭い眼差しは、まるで未来が見えているかのようにエリウッドには感じられた。見惚れている自分に気付いたエリウッドは右手を左の胸の前に持っていき、忠誠を示すの仕草をしてみせた。
「つまらぬ事をお尋ねし、申し訳ありませんでした!」
エリウッドは一礼する。気にするな、との気持ちを手で制す形で示す。エリウッドはゆっくりとセリューノの後ろに回り、後に続く形になった。
それからロッコスに着いたのは、オズナ砦を出発してからおよそ三日が経った日の事だった。ロッコスは山の裾野の末端に位置する街で、比較的気温が低い。そのため春でも残雪がちらほら見受けられる。
東側に目を向けると、遠目に鬱蒼とした森が広がっており、様々な用途に使われる木材がそこからエザフォス地方各地に運ばれている。ロッコスには林業に携わる人々が、数多く住んでいる。
また、美味い酒が名産らしいが、あいにくセリューノは口にした事がないので何とも言えない。引き連れてきた騎馬隊の兵士が会話していたのを聞いた感じでは、相当美味なようだ。
今回何事もなく無事に帰れたら、褒美として振る舞うのもいいだろう。エリウッドを従えて長の家の客間に通されたセリューノは、そんな事を考えながら卓上に置かれた陶磁器の器を手に取る。並々と注がれた温かい茶を一口啜る。
舌にほんの少し辛味が広がる。横で同じく茶を飲んだエリウッドは顔を顰めている。セリューノは器を元に戻し、対面する形で座る立派な白い髭を蓄えた老人に向き直る。
「突然の訪問をお許し頂きたい。我が帝国軍の調査により、反逆者がこの周辺に潜んでいる可能性がある。就いては、我々の駐留を認めて頂きたい。数日中には引き上げる予定だ」
必要最低限の言葉で端的に説明する。鋭い碧い眼差しのせいもあってか、年齢以上の威厳を感じさせられる。街の長は訝しげにセリューノを見つめながら髭を摩っている。
本来なら王族たる王子にこのような嫌悪感を示すだけで不敬罪にあたるが、ここロッコスの街はどちらかというと、反帝国派の人間が多く存在する。エザフォス地方の西域にはこういった村や街が未だに多く点在している。今回セリューノがこうして騎馬隊を率いてやってきた事は、謂わば敵側の陣営に乗り込んできたようなものだ。警戒や嫌悪を示すのは当然といえば当然である。
「我々に危害を加えない保証はあるのかね?」
年老いてなお眼光鋭い街の長が、セリューノに問う。
「保証しよう。ただし、あなた方が反逆者に協力した、あるいはしようとした場合は別だが」
物怖じせずに彼は即座に言い返す。セリューノと街の長の視線は交錯したまま、暫く無言の時間が続いた。
「……分かった、駐留を認めよう。ただしあまり派手に動かないでくれ。街にはお前さんたちを快く思っていない者もおる。無駄な血を流すような事はないように、約束してもらいたい」
「約束致しましょう。我々も戦いに来たのではない。ご協力、感謝する」
そう言ってセリューノは、深々と頭を下げた。隣で話を聞いていたエリウッドもそれに倣う。そして立ち上がってその場を去ろうとしたところで、そうだ、とセリューノが振り返った。
「ひとつ尋ねたいが、あの茶には何が混ざっている?」
先程口にした、茶のようなものの事だ。老人はセリューノに向き直る。
「ガラドリエルという植物の根を煎じたものを、茶に混ぜてある。あの辛味は身体を温める作用がある。この地では生活の必需品だよ」
「なるほど、勉強になった。では、失礼する」
もう一度浅く礼をし、エリウッドを従えてセリューノはその場を後にした。