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虚ろなる英雄  作者: 春風
第二章
28/39

告死鳥

 勝てる戦だった。しかし何故彼はその勝ち戦を放棄したのか。セリューノには分からなかった。焚き木がパチパチと音を立てて小さく爆ぜる。既に日が沈み、辺りは月の光に薄暗く照らされていた。周りには幾つかの焚火が焚かれ、戦によって傷付いた体を治療している者や、武器の手入れをする者、食事をする者、様々だった。


「あのまま戦えば勝てた。そう言いたいんだろう?」


 表情から心中穏やかではない事を察したのだろう、セリューノの横にやって来て腰かけたレグナッドが不満気な顔をした彼に声を掛ける。


「今回ばかりはあなたにどのような意図があろうとも、賛同しかねる」


 使い古された木の器に注がれたガラドリエルの根を煎じた茶を一口啜る。


「言葉を返すようだがセリューノ、俺たちの目的はこの戦に勝つことなんかじゃあない」


「なんだと?」


 焚火を囲んで向かい側、セリューノの対面に胡座をかいて座っていたエリウッドが不穏な眼差しをレグナッドに向ける。いつ傍に置いてある使い込まれた剣を抜くか分からない。このエリウッドという若者はセリューノに対する忠誠心や実力こそ疑うまでもないが、血気盛んで扱いが難しい。苦手の範疇に属する人間だ。しかしレグナッドはそれを手で制し、首を横に振る。


「勘違いするな。負けたいというわけではない。大局を見据えろ、と言いたいんだ。ここで大量の兵を失って勝つよりも、一度退き、兵を失わずに勝つ方法を考える方が得策だ」


「その口ぶりだと、何か策があるようだが」


 相手の心を探るような視線をレグナッドに送りながらセリューノが尋ねる。彼はその碧い瞳をじっと見つめ返し、ほんの僅かに頷く。


「……伸るか反るか、だがな」


「そんな博打の為に撤退したというのか? お前が思っているよりもこの撤退によるこちら側の損失は大きいぞ! 何より分断されていた戦力が再びあのアサナ砦に集結する可能性だってある!」


「落ち着いてくれ、エリウッド。確かに得策ではないかもしれないが、それほどまでにあのカヴァードという男の存在は厄介なんだ」


 カヴァード将軍。かつての師である彼と命を懸けて真剣勝負をしている。今のセリューノの心を締め付けるひとつの要因でもあった。敵とはいえ、かつての同胞を斬っているのだ。心地良いものではない。さらにその総大将が長く文武に渡り指導を受けた、恩師とも呼べる存在なら尚更心が痛む。あの無骨な男らしさと、強さ逞しさは、ずっとセリューノの憧れであった。


「どう考えてもあの男…カヴァードを殺さなければ奴らは動かなくなるまで抵抗を続ける。真正面からぶつかって勝てないわけではないだろうが、人的被害は最小限で食い止めたい。そこでだ」


 肌寒く感じる、微かに冷たい風が木々の間を吹き抜けてゆく。葉のざわめきだけが場に残る。


「奴に一騎討ちを申し出る」


「馬鹿な! 我々は明らかに優勢だったではないか!」


 エリウッドが耐えきれないといった様子で立ち上がり、手で振り払うかのような動作をしながら訴えた。それもそのはず、一騎討ちはまさに勝敗を決する絶対的な方法で、古来より騎士の誇りを懸けて戦うものとされている。勝てば勝ち、負ければ負け。当たり前だが、そうなる。しかし、今回ばかりは状況が状況だった。エリウッドの言う通り、客観的に見れば反帝国勢力は優勢だった。その優勢という立場を放棄してまで一騎討ちを申し出ると言うのだ。過去に例が無い訳ではないが、至極異端といえるだろう。


 だがレグナッドの目にはその優勢というものが余りにも儚く、虚ろなものに映ったのだ。十中八九負ける事は考えにくかった。しかし、問題なのはその勝ち方だ。大量の兵を失えば今後の帝国攻略に大きく支障が生じてしまう。喧嘩を吹っかけた以上、だらだらと長引かせて泥沼に突っ込むつもりは毛頭なかった。兵を失う事なく、勝利を掴む。余りにも単純な理想に過ぎないかも知れないが、一軍を率いる将として、生半可な事は出来ない。


「お前の言う事はまったくもって正しい。他の者でもそう言うだろう。しかし俺たちは帝国と違って膨大な兵力を抱えているという訳ではない。少しでも兵力を温存したい」


「だからと言ってそんな博打に、はい、そうですか、と言えるわけないだろう! カヴァード将軍は帝国でも随一の剣の達人だぞ? 悪いが、それ程の使い手がこちらにいるようには思えない!」


 エリウッドの声は感情を帯びて次第に大きくなり、周りの男たちも何事かとこちらに視線を向け、聞き耳を立てている。


「いるじゃあないか。最も近くで奴の剣技を目にしていた奴が」


 普段と変わらない調子でレグナッドが軽々と言い放つ。そしてその視線の先には、目を瞑り、じっと二人の会話を傍聴していたセリューノの姿があった。


「貴様ッ!」


 エリウッドは遂に堪忍袋の尾が切れ、薄っすらと笑みを浮かべるレグナッドの胸倉を乱暴に掴む。


「カヴァード将軍はセリューノ様と長い時間を共にした、言うなれば師とも呼べる存在なのだ! その二人をどちらかの息が絶えるまで殺し合いをさせようと言うのか! 残酷すぎる!」


「エリウッド、やめろ」


 セリューノは静かな声色でエリウッドを諭す。しかし激昂したエリウッドはレグナッドの胸倉を離そうとはしない。


「いいえやめません! 今回ばかりは度が過ぎます!」


「やめろ、と。そう言っている」


 まるで境地に辿り着いた者が発する、妙に落ち着いた声で、再びセリューノが口を開く。碧い瞳には、爆ぜる火花が映し出されている。エリウッドが押し黙ると、セリューノはゆっくりと立ち上がり、レグナッドの胸倉に伸びる彼の腕に優しく手を触れた。


「大丈夫だ、エリウッド」


「し、しかし…!」


 抵抗する間もなく、セリューノによってエリウッドは握り締めた手の力を緩め、レグナッドを解放する。レグナッドは口を真一文字に閉じ、真剣な眼差しで彼らのやりとりを見つめる。


「お前の気持ちは痛いほど分かる。私の事を案じて、そのような事をさせまいと。だが、お前と共に帝国を離れ、彼らと行動を共にした時から覚悟はしている。彼と、そして私たちが目指す真の平和の為に、私は戦う」


 そう言って自身の目を真っ直ぐに見つめる親友に対して微笑んで頷くと、セリューノはレグナッドに向き直り、獣王の如き気迫の感じられる鋭い視線で彼の瞳を見つめる。


「その一騎討ち、私にさせてくれ。必ず、勝つ」


 辺りの男たちは固唾を飲んでそのやりとりを凝視している。人が言葉を発する事はなく、夜鳥と虫、焚き木の爆ぜる音のみが沈黙の場を支配する。


「……良い覚悟だ。俺の目に狂いは無かったようだ、安心したよ」


 わざとらしく胸を撫で下ろすそぶりをしてみせ、レグナッドは更に続けた。


「悪いが、一騎討ちには俺が出る。お前たちはゆっくり眺めてな」


 目の前の立派な体躯の男が何を言っているのか分からず、エリウッドは呆気に取られる。セリューノも頭には多数の疑問符が浮かび、情報を整理しきれないでいた。


「なに、俺もかつての師弟同士に骨肉の争いをさせるほど残酷じゃあないさ。目の前で師の首が刎ね飛ぶ所を見ても平然としてもらわないと、こちらとしても困るからな、試させてもらった。それだけの覚悟があれば問題ないだろう」


 自らの手で師を殺める事が無くなったことは喜ばしいが、敵に変わりはない。殺るか殺られるか。この大自然の必然の法則、実に単純な構図の中に自分たちがいる事に変化はない。どのみち、覚悟が必要だ。


「心苦しいのは分かる。だがこれだけは忘れないでくれ。俺は殺戮を楽しんでいるんじゃあない。真の平和を掴むためには、犠牲も厭わない、それだけだ」


 彼の真っ直ぐな眼差しに、同じく真剣な眼差しを返す。男たちに言葉は必要ない。その瞳に映し出される音無き真の言葉は嘘偽りないものだ。ただ、それを信じればいい。


 ふと、セリューノの視界に黒い小さな影が飛び込んできた。レグナッドの後方に伸びる木の梢を小さく揺らして止まったのは、懐かしき母と共に記憶された、美しい鳥だった。その赤と青の光彩が美しい小鳥は、その愛らしい容姿に見合った、可憐な声でさえずった。


「……平和を愛する者のもとへ……」


 セリューノは誰にも聞こえない程の小さな声で、そう呟いた。

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