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虚ろなる英雄  作者: 春風
第二章
27/39

英断・愚断

 いつの間にか霧は晴れていた。春の麗らかな緑の香りを運ぶ風を切り裂くように矢が飛び交う。


 戦いは熾烈を極めた。至る所で血飛沫が上がり、断末魔の悲鳴と狂気じみた獣のような声が辺りにこだまする。


 生暖かい不快な鉄の匂いが鼻を突く。命を賭した場に足を踏み入れると、感覚という感覚が尖鋭な針の如く、鋭敏に研ぎ澄まされる。セリューノはその感覚を嫌という程味わっていた。既に数人の帝国軍兵士を斬った彼の身に付けている安物の鎧は浅黒く変色した返り血がこびりついていた。


 かねてから身に纏っていた、セリューノの代名詞ともいえる白銀の鎧は、危険粒子掃討部隊西域支部の拠点であるオズナ砦に保管してある。以前レグナッドの目撃情報を得てオズナ砦を発ってから、一度も帰ることなく帝国を離反したので回収する事が出来ずにいた。しかし、華々しい姿ではないが、隆々とした筋肉で地を駆ける毛並の美しい栗毛色の牝馬に跨り、流麗なる剣技でことごとく敵の喉を掻き切る様はまさに‘‘若き銀獅子”の名に相応しいものだった。


 おぞましい風切り音が耳の奥をつんざく。返り血を浴びた銀獅子の右腕を、その命の灯火を消さんとする矢が掠める。鎖帷子くさりかたびらごと肌が裂かれ、赤い鮮血が飛散する。ビリビリと痺れるような痛みに悪態をつきながらも剣の柄を強く握り直し、心臓を突き刺そうと敵兵士が繰り出す鈍色の槍先を躱し、鎧と兜の継ぎ目、首を突き刺す。痛みと死の恐怖に血走ったまなこを天に向け、虚空を見つめたまま敵兵士は絶命した。


 僅かながらではあるが、怒涛の勢いで押し進む反帝国勢力に対して、帝国軍の抵抗が弱まりつつある。諸々の理由はあるが、同胞であるカルーア砦との連絡が絶たれた事が何よりも痛手であろう。寄せられた情報が正しければ、五万程の兵士がこの場にいるはずだが、実際にはその三割から四割の数と見て取れる。レグナッドの策が功を奏したのだろう、大半の敵兵士はイシュカ川の対岸で指を咥えて戦況を見守ることしかできない。


 だが圧倒しきれない。厳しい紙一重の戦になる事は予想していたレグナッドだったが、ここまで帝国軍が粘りを見せるとは考えもしなかった。彼の豪剣の前に、数多くの敵兵士が命を落としたが、斬りかかってくるその瞳には闘志が垣間見れる。自身に向かってくる敵兵士をことごとく打ち倒しながら、辺りの仲間の様子を伺う。獅子奮迅の活躍を見せ、無尽蔵に敵を薙ぎ倒すドゥーハスだが、疲れが色濃く顔に表れている。サジュやリュゼも同様に絶え間無く続く猛攻に辟易している。セリューノやエリウッドもかつての同胞を斬るということもあり、苦戦を強いられているようだ。優勢であるにも関わらず、男たちの顔には活力が無かった。


 以前エリウッドが言っていたように、帝都の衛兵は決して個の戦闘能力は高くない。現在帝都ほど安全な場所はなく、言ってしまえば衛兵といえども剣で生身の人間を斬った事がないという者もざらにいる。今回フィズス第二王子が帝都を発つ際にどれほどの兵士を引き連れてきたのかは定かではないが、少なくともこの場の四割か五割の兵士が帝都の衛兵のようである。


 戦闘経験の浅い、半ば素人が相手にも関わらず、ここまでの苦戦を強いられている。もちろん兵力の差という、どうにもならない理由が無い訳ではないが、それ以外にも絶対的な理由があるはずなのだ。


「率いる将が違えば、ここまで軍隊は生き返るという訳か」


 頬にこびりついた返り血を拳で拭いながら、レグナッドはポツリと呟いた。常勝不敗の将、シャラフ・カヴァード。過去に反乱を起こした際に対峙した事もあるが、この上なく強い。もちろん、個の武芸という意味でもあるが、その強さの真髄は兵を率いた際に発揮される。何よりもその質実剛健な、軍人らしい圧倒的存在感。この男に着いて行けば大丈夫、という安心感を与える威厳のある風格、出で立ち。軍を率いる将として、もっとも神に愛されたといっても過言ではないその男が、自分達の未来へと繋がる扉の前に立ちはだかる。


「怯むな! 耐えよ! 所詮相手は寄せ集めの烏合の衆に過ぎぬ! 帝国の誇りを胸に蹴散らしてやるのだ!」


 自らも前線で戦う勇姿。返り血を浴び、鬼神の如きその戦い様を見て奮い立たぬ者は男ではない。精神的支柱が後ろ盾となり、反帝国勢力の猛攻に耐え、かつ反撃を繰り返す帝国軍の戦い様、そして何よりもシャラフ・カヴァードという男の戦い様を目にし、レグナッドは馬の腹を蹴り身を翻した。そして大声で叫んだ。


「撤退だ! 皆、退け!」


 レグナッドの声を耳で拾った者は信じられないといった表情をしてみせるものの、口々に撤退と叫び、周りの者に伝染してゆく。その伝播がセリューノにも到達した頃には既に多くの反帝国勢力の者が敵に背中を見せている状態になっていた。


「何を考えているんだ!? 撤退だと!」


 敵が放った矢を剣で弾きながら、なんとか剣撃を避けながらもセリューノは馬を後方へと走らせ始めた。


 不可思議だ。反帝国勢力の皆が、いや、それどころか帝国軍の兵士もそう思っただろう。優勢の戦をむざむざと捨て、撤退してしまうのだから。余りにも可笑しな話である。しかし今は敵に背を向け、逃げるしかない。


「か、勝ったぞォー!」


 何処かで誰かが叫んだ。砂埃を立てて退散して行く反帝国勢力を見て、帝国軍兵士の間から割れんばかりの歓声が上げられた。握り締めていた血だらけの剣や槍を放り捨て、傷付きながらも手にした勝利の味を、仲間と共に噛み締めるように手を取り合い、抱き締め合っている。


「カヴァード将軍、万歳!」


「将軍さえいれば反帝国勢力なんて怖くねえ!」


 オウム返しのように一斉にカヴァードを讃える声が上がる。そんな声に気を取られることなく、カヴァードは走り去る反帝国勢力の背中をじっと見つめる。撤退の際にあの男が見せた、腹に一物抱えた不敵な表情が、どうにも腑に落ちない。喉につっかえた小骨のような煩わしさだった。数多の戦場を渡り歩いた男の血が、細胞が、全神経がそう警鐘を鳴らしているように感じた。追うべきか、否か。兵は戦いに疲れているし、あの撤退は罠かも知れない。それに相手が撤退した事で時間ができ、カルーア砦へと向かった部隊とも合流出来るかも知れない。追うのは得策ではない。


「……ミビヌク・レグナッド」


 一体彼は何を考えているのだろうか。幻影に取り憑かれた気分になりながらも、迷いを振り切るように首を振り、大歓声のなか身を翻して守り抜いた砦へと馬を進ませた。

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