反撃の狼煙
第一の問題は彼らに休む事を許さなかった。リュゼが帝都に残らせた部下から連絡を受けた。文面にはまず、皇帝がセリューノ奪還の為に部隊を派遣し、こちらに向かっているという内容が記されていた。もうひとつは、宣告通りに反逆罪に問われた人々の処刑が執行されたというものだ。その中には、テーゾ伯爵の名も記されていた。
「事態は一刻の猶予もありません。早ければ今日中にも派遣された部隊が到着するでしょう」
昨晩と同じように円卓を囲んで座る四人に向かってリュゼが言う。なるほど、このリュゼという男が情報をいち早く収集し、反帝国勢力にもたらしていたのだ。道理で一筋縄ではいかないわけだ。レグナッド以外にも、相当な切れ者が存在していた。
「それで、相手はどんくれえ来るんだ?」
レグナッドをも凌ぐ巨漢、ドゥーハスが口を開く。その隆々たる筋肉の持ち主は、まるで動く山のように感じられる。戦場では鬼神の如き強さで、帝国側にもその名は轟いている。しかしいざ対面すると、なかなか気さくな男である。
「情報によるとかなり小規模……予想では、百人程度だと思われます」
「たいそうな自信家だな、お前の父上も」
リュゼの言葉を聞いたレグナッドが足組をしながら言った。しかしセリューノにはこの男のこの余裕が不思議だった。話を聞く限り、今回の目的はただひとつ、セリューノを脱獄させ、仲間に取り込む事である。そしてそれは見事に成功し、大手を振って退散すれば完璧なはずだ。だが、実際はどうだろうか。逃げるばかりか、立ち上がろうともせず、戦の準備をしているではないか。セリューノは自身の常識の範疇から逸脱した、この男の行動が不可解で仕方がなかった。
「父上の判断は適切ではないか? こちらの兵はせいぜい四、五十人程度だ。まともにぶつかり合えば、敗戦の色が濃厚だ。何故逃げない?」
横で話を聞いていたエリウッドも同様の意見だった。好き好んで勝てぬ戦をするような者はいない。いくら相手が小規模とはいえ、こちらは更に小規模なのだ。頭数の差が、そのまま勝敗に直結していると言っても過言ではない。
「良い判断だ。それが正しい」
セリューノを指差してレグナッドがニヒルな笑みを浮かべる。何故リュゼやドゥーハスは進言をしないのか、理解できないでいるセリューノは声を荒げる。
「だったら踏ん反り返ってないで、兵に伝達してはどうだ! こうしている間にも、その首は締まっていくぞ?」
「まあ落ち着けよ、セリューノ。誰が逃げると言った?」
セリューノとエリウッドは意表を突かれる。この男はぬけぬけととんでもない事を口にする。しかしリュゼとドゥーハスは納得した面持ちで二人を見つめている。
「戦うのか? この兵力で? 勝てっこない!」
「ったくうるせえなあ、帝国育ちのお坊ちゃんはよお」
ドゥーハスがため息をつき、呆れた、と言わんばかりにお手上げの動作をしてみせる。更に続ける。
「なまっちょろい帝国兵なんざ三人で一人分よ! なあレグナッド!」
同意を求めるようにレグナッドに向き直る。レグナッドはやれやれ、といった表情で頷くのを躊躇っているように見える。
「…まあドゥーハス基準で考えるとそうなるのかも知れんが、戦う理由は他にある」
レグナッドは足を組み直して続ける。
「ひとつめに、現段階で戦いを挑める、最大級の規模の部隊が相手という事だ。正直なところ、二百人も三百人も来られては逃げの一手を打つ他ない。その点、今回は幸運としか言いようがない。お前の父上に感謝せねばな」
あながち、ドゥーハスの言った事も間違いではないという事だ。現段階の戦力で勝ちが望める戦いはここしかない。後になればなるほど、敵の戦力は増す可能性の方が高い。長期戦にもつれ込む前に、ひとつ、確固たる勝利が欲しい。その理由をレグナッドは語る。
「ふたつめに、セリューノ。お前がこちら側に加わった事を知らせるためだ。既にサジュやリュゼが各地に吹聴してくれてはいるが、それよりもお前が実際に戦い、勝つ。例え局地的な勝利だとしても、そちらの方が効果的だ。そうする事で、今までだんまりだった奴らも協力してくれるようになるかも、って事だ」
なるほど、彼の考え方は理にかなっている。これは傍目から見ても明瞭な事だが、絶対的に兵の数が少ない。帝国と正面を切って戦う事など夢のまた夢だ。しかし恐れられていたセリューノが味方になり、かつ、局地的ではあったとしても、帝国に勝利すれば士気も上がる。これまで息を潜めていた反帝国を支持する人々が冬眠から目覚めた動物のように出てくるかも知れない。
そしてその筋書き通りに物事を進めるには、この廃村での衝突が大きな役割を担っているという事が理解できた。勝ち目の薄い戦いをあえて受けて立つのに十分な理由だった。
「もちろん、勝てばの話だ。負ければ運命は決する。這いつくばって、死を待つのみ」
まさに一か八かの勝負といったところか。セリューノはエリウッドに目配せする。彼も緊張こそしているが、その瞳に迷いはなかった。それを確認したセリューノはレグナッドに向き直り、口を開く。
「もちろん、勝算はあるんだろうな?」
半信半疑のセリューノの問いに、レグナッドは不敵に笑ってみせた。
「俺たちの戦い方を見せてやるさ」
日も傾き、空は茜色に染まっている。敵の部隊も群れる蟻のように見える。こうやって迎え撃つ形での戦闘は久しぶりだった。重々しい黒の軽鎧を身に纏ったレグナッドとセリューノを筆頭に、二十数人は廃村の入口で敵を待ち構えている。
現在敵がいる場所から廃村までの間にはこれといって障害物は無く、なだらかな坂道が続いている。よって、高さの利はあまり活かせない。しかし坂道の横は切り立った岩壁が連なっている。この利点を活かさない手はない。この岩壁の上にはエリウッド、リュゼ、ドゥーハスら約三十人の兵が、レグナッドの指示ひとつですぐさま行動に移れるように待機している。
徐々に蟻の群れはその姿を大きくし、なだらかな坂道をゆっくりと進軍してくる。岩壁の上に待機する別動隊は息を潜めている。
レグナッドは微動だにせず、ただ時を待った。まだ早い。恐怖と不安、焦燥感と緊張感。そういったものはここ一番のところで判断を鈍らせようと脳内でひしめき合う。跨る馬の首を撫で、気を落ち着かせる。柔らかで艶のある、指通りの良い毛並みの馬は少し嘶いた。
そうしている間にも、蟻のように見えていたそれは人の形に変わり、殺気を放ちながらこちらへ歩を進めている。キドラ帝国の旗を誇らしげに掲げた兵の集団は、数百メートル先にまで迫っていた。その距離も、どんどん縮んでゆく。
セリューノは怖気付きそうになる自身の心と必死に格闘していた。今まで、兵を率い、幾度となく戦ったが、ここまで少ない兵で戦いを挑んだ事はなかった。圧倒的兵力という後ろ盾に、無意識の内に守られていたのだ。今回は、それがない。自分の後ろにいるのはたかだか二十人程度、しかも危険粒子掃討部隊の兵のように統率が取れているわけでもない、烏合の衆に過ぎない。
しかし隣で真っ直ぐに前を見据える男には微塵の躊躇が感じられなかった。草原を吹き抜ける風のように、川を流れる水のように、澄み切った眼差しで、ただ前を見つめている。つくづく不思議な男だった。その男が矢を番える。弦を引き絞り、その時を待っていた。
甲高い、鷹の鳴き声のような音が岩壁に跳ね返り谺する。レグナッドが鏑矢を放ったのだ。それを合図に、岩壁の上で待機していた男たちが動き始める。帝国兵の集団は、男たちのちょうど真下を廃村に向けて歩いていた。
「よしおめえら! じゃんじゃん投げろ!」
ドゥーハスが大声を上げ、後ろで控えていた男たちに合図を送る。何やら手に持った水瓶のようなものを眼下に投げ込んでゆく。突然の落下物に慌てふためく帝国兵たちの注意は岩壁の上に移った。音を立てて割れた水瓶には何か液体が詰まっているらしく、地面に叩きつけられると同時に、辺りに飛び散る。それを確認したリュゼが後ろで弓矢を構えた男たちを前に進ませる。
「放て!」
彼の号令と共に、先端に火の着いた矢が次々と射られてゆく。矢はことごとく帝国兵に突き刺さり、痛みに耐えかねた帝国兵が思わず倒れ込む。
ごうっ、という恐ろしい音と共に、眼下で炎が産声を上げる。瞬く間に炎は勢力を増し、みるみる内に大きくなる。帝国兵は奇襲になす術もなく、炎から逃れようと慄いている。ドゥーハスたちが投げ込む水瓶が炸裂する度に炎は蛇のようにうねり、帝国兵を飲み込んでゆく。
「よし、行くぞ!」
そう叫んだのはエリウッドだった。ドゥーハスたちはただ闇雲に水瓶を放ったわけではない。敵のちょうど半分、隊列の中心辺りを狙って水瓶を投げ込んだ。そこにリュゼたち弓矢部隊が火矢を放ち、水瓶の中にたっぷりと入っていた油に引火させる。当然、敵の数を減らす事も目的ではあったが、真の目的は他にあった。
「エリウッドが動いた。俺たちも行くぞ! 俺に続け!」
岩壁の上から飛び降りていくエリウッドたちの姿を目にして、レグナッドが雄叫びを上げて馬を走らせる。それに奮い立たされた兵も怒涛のように突き進んでゆく。なるほど、これがあの男の狙いだったのだ。
「ドゥーハスさん! レグナッドさんたちが動きました!」
岩壁の上で戦況を見つめていたリュゼがドゥーハスに向けて言い放つ。その言葉を聞いて彼は廃村の方向を一瞥する。砂埃を舞い上がらせてレグナッドの部隊が突撃してゆく姿が目に入る。
「よォ〜し野郎共! お遊びはここまでだ! レグナッドにもエリウッドにも遅れを取るな!」
ドゥーハスがその巨体に似つかわしい怒号のような大声を上げ、兵と共に飛び降りてゆく。それを見守っていたリュゼはすぐさま炎の後ろで足止めを食っている帝国兵たちに視線を移す。
「私たちは牽制です! 矢のある限り敵を食い止めます!」
途切れる事なく矢の雨が足止めを食っている帝国兵たちに降りかかる。こうして百人程の部隊を分断する事に成功した。前の五十人を前方からレグナッドとセリューノ、そして挟み撃ちの形でドゥーハスとエリウッドが敵を強襲する。その間、岩壁の上から後ろの残った敵をリュゼたちが足止めする。レグナッドが天幕で話した作戦通りに事は進んだ。
迫り来る斬撃を剣で受け流し、すぐさま鎧の隙間、首を斬る。頸動脈が破れ、鮮血が脈打つように止めどなく溢れ出る。セリューノは既に返り血で赤く染まっていた。呻き声の聞こえる方を見やる。馬で縦横無尽に駆け回るレグナッドは、まるで戦場に吹き荒れる嵐の如き凄まじさだった。彼が剣を振るう度に鮮血が舞い、一人、また一人と敵が倒れてゆく。
凄まじさではドゥーハスも引けを取らない。彼の振るう剛槍に突かれた者は悲鳴すら上げる間もなく事切れてしまう。数人に囲まれようとも、まるで問題がないかのようになぎ払ってしまう。返り血を浴びたその形相は尋常ならざる恐怖を敵の心に植え付ける。まさに鬼神の如き戦い振りだった。
そんな事に目を奪われている場合ではない。次なる斬撃を躱し、反撃をするが受け止められてしまう。すかさず腹に蹴りを入れて相手の体制を崩し、剣の柄で殴打する。倒れ込んだところに心臓目掛けて剣を突き立てる。帝国兵は苦しそうな悶絶の表情を浮かべ、血を吐き出しながら事切れる。セリューノは顔にへばり付いたぬるっとした液体を袖で拭い、顔を上げる。
何やら男たちが武器を掲げて大声を上げている。挟み撃ちに合った帝国兵は全て死に、炎の後ろで足止めを食っていた敵もかなりの数が息絶え、僅かに生き残った帝国兵は逃げ出したようである。
燃え盛る炎に帝国の旗が焼き払われている。大勢が決した。




