担う者たち
「これは、一体どういう事なんだ!」
怒りに震え、悪態と共に紙が広げられた机に拳を振り下ろす。周りにいた兵士たちは大声とその音に体をびくっとさせる。先刻、鷹が飛んできて、今朝付けで公布されたと記された、キドラ帝国の紋章付きの手紙を携えていた。手紙の内容に目を通すと、それは到底信じられないものだった。セリューノ・キドラを皇帝暗殺未遂及び反逆罪で斬首刑に処する。皆度肝を抜かれた。
特にセリューノの側近として、また幼馴染として長い付き合いのエリウッドにとっては天地がひっくり返る程の衝撃だった。彼は乱暴にマントを掴み、羽織る。
「エリウッド殿、どちらへ!」
「決まっているだろう! 帝都だ!」
「お、お待ちください! エリウッド殿!」
一人の兵士がエリウッドの腕を掴み呼び止める。エリウッドはその血走った目を彼に向ける。
「今あなたが行ってもどうにもなりません! いえ、それならまだいい! 最悪の場合、あなたも共謀者として捕らえられてしまうかもしれないのですぞ!」
「何もせずにはいられぬッ! セリューノ様を見殺しになどしておれん!」
必死に止めようとする彼の手を振りほどき、エリウッドは走り去ってしまった。
ロッコスからオズナ砦に戻って来たのが四日前、道中を含めれば既に一週間の時間が経過している。主が不在の間はオズナ砦の指揮を切り盛りしていたが、エリウッドはセリューノの事が心配でならなかった。ロッコスで別れる直前の不思議な態度が、どうしても腑に落ちなかったのである。彼の身に何が起きているのか推測する事しかできないが、今はともかく帝都へ向かう事が最優先だと、全細胞がそう伝えているかのように体を突き動かす。
馬を労わり多少の休憩はしたものの、大した食事もせずに駆けることおよそ二日、エリウッドは帝都キドレリアへと足を踏み入れた。体力的にはかなり過酷な道程だったが、その目は爛々と輝いていた。
やはり大多数の人々がその事実を知っているのだろう、昼過ぎという事もあって人の往来も激しく、人々は道行くエリウッドを指差して疑いの眼差しを向ける。セリューノはもう王子などではなく、帝国に楯突いた反逆者の烙印を押されてしまっている。その感覚をひしひしと感じ、昂ぶる気持ちを押し殺しながらエリウッドは歩を進める。
皇帝の居城へと入城する唯一の方法である石橋の前にやってきたエリウッドの姿を、数人の衛兵が捉える。エリウッドは衛兵と視線を交えぬまま、距離を縮めてゆく。
「お止まりください、ヴェナトル殿。皇帝の命により、城への入城は許可できません」
衛兵の隊長らしき男が冷たく言い放つ。エリウッドは怯まず、肩をぶつけて彼の脇を通り抜ける。
「待てと言っているッ!」
剣を抜いた衛兵たちが彼の前に回り込んで立ちはだかる。エリウッドは石橋の上で取り囲まれる形になった。石橋の周りでは庶民が喚き立て、怖いもの見たさに野次馬を形成し始めている。
「エリウッド・ヴェナトル、貴様にも反逆罪の疑いがかかっている。大人しく付いてきてもらおうか。さもなくばここで斬り捨てるぞ?」
先程の男が言う。その表情には勝ち誇ったような余裕が感じられる。前後に二人ずつ、手柄を立てようとギラついた目をした衛兵が剣の切っ先を栗毛色の髪をした青年に向けている。
「……覚悟は、できているんだろうな?」
俯いたままエリウッドが呟く。隊長らしき男が眉を曇らせる。他の衛兵も同様だ。
「例え同胞だとしても、邪魔をするからには躊躇はしない」
そう続けるとエリウッドは剣の柄に、そっと手を添えた。その動きに反応し、衛兵たちは身構える。
「はっ! 頭がどうかしちまったのかマヌケが! 多勢に無勢だ! かかれ!」
隊長らしき男が声を発すると、背後から衛兵がエリウッドに向かって斬りかかる。しかし彼の剣は虚空を斬ったのみだった。刹那、エリウッドの剣が閃光を発するかのような速さで鞘から抜き放たれる。
鮮血が石橋の上に舞う。悲鳴を上げ、脇腹を切り裂かれて崩れ去る仲間を目にし、動揺した背後のもう一人が恐怖の表情を浮かべ、雄叫びを上げてエリウッドの首を突き刺そうとする。彼はそれも躱し、稲妻の如き速さで剣を切り上げる。
衛兵の肘から先は鮮血の放物線を描きながら、音を立てて堀に沈んだ。激痛に悲鳴を上げ、悶絶する仲間の姿を目にし、隊長らしき男ともう一人の衛兵はたじろいでいる。返り血を浴び、血の滴る剣を携え、エリウッドは眼前の男たちを獲物を見つめる獣のような眼差しで睨み付けている。惨状を目の当たりにした観衆は悲鳴混じりの、唸るような狂気じみた声を上げている。
「……そこをどけ。さもなくばもっと悲惨な目に合うぞ」
冷酷に言い放つその目は人間のものとは思えないものだった。ゆっくりと二人に歩み寄る。恐怖に萎縮しきった衛兵の頬を冷や汗が伝う。後退りする足が止まらない。
不意に衛兵の背後から石橋を蹴る音が聞こえて来た。それもかなりの数だ。エリウッドは舌打ちをし、剣を鞘に収めて身を翻した。金縛りから解き放たれたかのように二人の衛兵はその場にへたり込んだ。
「何事だ! うっ! い、一体何があった!?」
駆けつけた衛兵は血に染まった石橋を目にして嗚咽を漏らす。そして未だ興奮が収まらず、異様な熱を帯びた野次馬を掻き分けて走り去る男の姿を捉え、すぐさま状況を理解した。
「あの男を追え! それと救護班だ! 救護班を直ちに寄越せ!」
その指示に従い、数人の衛兵がエリウッドを追いかけて行く。へたり込んだ衛兵は恐怖のあまり失禁してしまったようで、石橋に染みが広がってゆく。
衛兵の追跡から逃げ果せたのは良いが、これで立派なお尋ね者だ。派手な行動は控えるべきだろう。日はすっかり落ちたが、大通りのみならず、狭い裏路地にまでをも松明の光が照らしている。エリウッドはそれらから身を隠すようにし、街の西側、居住区の更に奥の貧民街にいた。ここならば身を隠す場所は腐る程ある。
ともかく、自分には身を寄せる味方もなく、後戻りも出来ない。反逆者の烙印を押されようとも、セリューノを救い出して逃げ伸びるか、それとも死ぬか。二者択一だ。当然まだ死ぬ気は微塵もない。処刑は二日後にまで迫っている。なんとかしてセリューノを助け出さなければ。
しかし疑問がある。何故セリューノは皇帝の暗殺未遂と反逆罪の罪を被せられたのか。その真偽も探らなければならない。いずれにせよ時間がない。疲労はかなりのものだったが、音を上げている場合ではない。今はただ、一分一秒が惜しかった。
夜も更け、情報を集めようにも、至る所を帝国兵が巡回しているため、思うように動きが取れずにいた。エリウッドは逸る気持ちを落ち着かせ、冷静に敵の隙を伺っていた。どうにかして城のある北地区へ行きたいが、他の地区に比べ一層警戒が厳しくなっている。これでは近づきようがない。
エリウッドは心の中で悪態をつくと、不意に後ろから気配を感じた。すぐさま横に飛び退き剣を抜く。比較的広めの裏路地だが、猫どころか鼠一匹の気配もない。しかし確実に何かが彼の命を狙っている。先程まで彼がいた場所には細長い針のようなものが木の壁に刺さっている。しかもその高さは彼の首を見事に捉えている。恐らく先端には毒でも仕込んであるのだろう。
エリウッドは全神経を研ぎ澄まし、暗闇と静寂の衣を纏った殺気の正体を探る。と、微かな風切り音を耳が拾う。同じように首を狙っての吹き矢攻撃のようだ。それも避け、おおよその位置を探る。上だ。敵は建物の上から攻撃してきている。あいにくエリウッドには飛び道具はない。
吹き矢が通用しないと判断したのか、目の前にふたつの影が音もせず降り立った。“目と耳”と似たようだが違う、見た事のない装束に身を包み、ダラリと下げた腕の先には短剣を携えている。誰かが送り込んだ暗殺者のようだ。
数こそ昼間の衛兵より少ないものの、エリウッドは本能的に身の危険を感じ取っていた。判断を誤れば命を落とす事になるだろう。
「誰の指図だ? 反帝国勢力か?」
尋ねるものの、予想通り返事は返ってこない。ふたつの影は物凄い速度で左右に横っ飛びし、左右から同時に襲いかかってくる。どちらかを防いでもどちらかにやられる。これまでかと覚悟を決めたエリウッドの目の前に鮮血が迸る。
目を瞑るが、痛みがやってこない。人が倒れこむような音が聞こえ、静かに目を開けると、先程の暗殺者の片方の頭に矢が深々と突き刺さっている。エリウッドに襲いかかろうとしたところに飛んできた矢によって一人は命を絶たれ、その暗殺者が吹き飛んだ横からの衝撃でもう一人の暗殺者も押し倒されたようだ。今はもう亡骸の下から這い出て、身構えている。
誰かは知らないが、自分の危機を救ってくれた事に感謝し、暗殺者と対峙する。じりじりとお互いの間合いを確かめ合うように睨み合うが、不利を察したか、暗殺者は身を翻して走り去る。舌打ちをして後を追いかけようとしたエリウッドに声がかかる。
「待て、深追いするのはやめておけ」
闇に紛れた赤毛の青年が徐々にその姿を現す。手には弓を持っている。どうやらこの長身で細身の青年が救ってくれたようだ。彼に引き止められ、悔しいながらも剣を鞘に収める。
「危ないところを助けられたな、感謝する」
感謝の言葉を述べ、握手を求めるエリウッドを尻目に、青年は息絶えた暗殺者の遺体を物色する。
「こいつらは何者だ? あんた、なんだって命を狙われている?」
青年が振り向きもせずエリウッドに尋ねる。その態度に多少苛立ちを覚えるも、彼は思考を巡らす。
「…今は訳あって帝国に追われている。恐らく、それが関係あるのかもしれない」
「…あんた帝国の人間だろ? 何故追われて…待てよ、お前セリューノ・キドラの反逆罪に関わっていないか?」
青年はそう言って、好奇の眼差しをエリウッドに向ける。それまでは暗闇でよく見えなかったが、赤い目をしている。
「多少語弊があるが、関わっていると言える。私はセリューノ様の部下だからな」
「…なるほど。そのセリューノ・キドラの部下までもが命を狙われている、か。ところであんた、何故帝都にいる? さっさと逃げた方が身のためだぜ」
青年が尋ねるとエリウッドは悲壮と憤りが感じられる表情を見せた。両の手は握り締められている。
「私はセリューノ様を助け出したい。何とかして…。そのためにこうして帝都を彷徨っているが、なにひとつ好転しない」
己の無力さを痛感したかのような言葉だった。目の前の青年はじっとエリウッドを見据えている。
「奇遇だな、俺もセリューノ・キドラを助け出そうと考えていたところだ」
思いも寄らない言葉が返ってきたので、エリウッドは驚きの声を漏らしてしまった。不敵な笑みを浮かべる青年が更に続ける。
「どうだ、協力する気はないか? おっと、自己紹介が遅れたな。俺の名はイジャルだ。お前たちが血眼になって殺そうとしている、ミビヌク・レグナッドの部下だ」
そう言って青年は右手を差し出す。しかしエリウッドはその言葉を聞き、剣の柄に手をかける。
「貴様、反帝国勢力の人間か。帝国に楯突く人間の手など借りるものか!」
「まあ落ち着け。冷静に考えろ。今のお前は帝国に追われている身だ。誰もお前に協力する奴はいない。それに、この誘いを断れば、なす術なくセリューノ・キドラの首が飛ぶのを見守る事しかできない」
確かにイジャルと名乗った青年の言う通りだった。柄を握るエリウッドの手の力が次第に和らいでゆく。四の五の言ってはいられない。藁にも縋る思いで差し出されたイジャルの手を掴む。
「……エリウッド・ヴェナトルだ」
「さあエリウッド、挨拶はこのくらいにしよう。時間がない、急ぐぞ」
エリウッドは先に歩いて行ってしまうイジャルの背中を追う。この先に答えがあると信じて。




