ラスト・ピース
ペルダンからの長い山路を下り終える事は、ロッコスの街に足を踏み入れる事と同義である。いくらレグナッド程の筋骨隆々な肉体を持ってしても、十数本の剣やその他諸々の荷物を背負って、下りとはいえこの山路は堪える。
レグナッドは荷物を地面に置き、雪を戴く山々を振り返る。この時期に山で野宿などするなら其れ相応の装備が必要となる。あいにく、彼らには充実した装備は無かった。だからこそ夜を徹してまでロッコスくんだりまで下ってきたのだ。
月に照らし出される雪山は幻想的だ。稜線を挟んだ濃紺の空には幾つもの星が競い合うように煌めいている。あと一週間もすれば月も真円を描いているだろう。そうすれば更に幻想的になり、まるで絵画のような光景を目にする事ができるだろう。
ふと街外れの空き地に視線を移す。思っていた通りだが、以前訪れた際に天幕が張られていた場所はもぬけの殻だ。ふと、あの碧い目をした青年の顔を思い出す。レグナッドはおろか、イジャルよりも若いものの、重厚な人間である事は態度、口ぶり、目つきから窺い知れた。噂に違わぬ大器だとレグナッドは感じた。
ほんの数年で人々を惹きつけるカリスマ性。こちらの手練れを数人捕らえているのだ、若いながらも人の動かし方や戦術に精通しているだろう。剣の腕は実際に目にした事がないので判断しかねるが、体つきや姿勢からもかなりの使い手だろうという事は推測できた。ここまででも非常に魅力的な人物ではあったが、レグナッドの心に決定打を打ったのは、その無垢さだった。
正義を信じ、平和を望む。争いの世界に身を置く者なら誰もが忘れ去ってしまうものである。常に死の淵に片足を突っ込みながら生きている状況では、そんな綺麗事を言ってはいられない。自身の明日、未来。生こそが唯一の希望になってしまう。
しかし彼は違った。あの時、彼は動揺しきっていたが、口にした言葉は『正義』や『平和』といったものだった。死に直面した時というのは、その人間の心の奥底が露呈する。今まで何度も目の当たりにしたが、大抵の人間は命乞いをする。自分の命が何よりも大切だからだ。だがあの青年はそれをしなかった。自分の大切な信念を貫き通すという、気高き覚悟があった。感情的になって言い返してしまったものの、その時点でレグナッドは、彼を殺すのは惜しい考えていた。
しかし説得は難しいだろうと、あの時レグナッドは瞬時に感じ取った。いくらハッタリをかましたところで、心移りするようなやわな信念ではないのだ。しかし、盲信的な忠誠心さえ取り除けばこちらの色に染めるのは容易い。無垢とはそういうものだ。はてどうしたものか。得策が思い浮かばぬまま時間だけが過ぎて行く。今はまだその気配は無いが、いずれ衝突が起こる。それまでに、どうにかしてあの忠誠心を削り取りたい。
寒空のもと、無精髭が伸びた顎をさすりながら彼は考えていた。そこにイジャルが駆け寄ってくる。
「宿が見つかった。……どうかしたのか?」
いつになく真剣な表情で考え込むレグナッドを不思議に思ったようで、イジャルが尋ねた。
「……いや、なんでもない。うう寒い、さあ早いとこ宿へ行こうか」
荷物を持ち上げてイジャルに向き直り、笑顔を作ってみせる。
「それで、どんな宿だ?」
荷物を受け取るイジャルの訝しげな視線を受け流すかのように、レグナッドは先を歩いていってしまった。イジャルはすぐさま追いつき、二人は肩を並べて歩いて行く。
明くる日、二人は街の武器商人と取引し、ロッコスで購入した剣を数本、多少高値で売却した。こうして日銭を稼ぎ、旅に必要な食糧であったり、消耗品を補給した。ひとしきり買い終え、ミルビナファール聖教会へと発とうとした時、イジャルが何かに気が付いた。
「レグナッド、あれ」
イジャルが指し示す方、市場のある方向に目を向けると、大きな荷物を背負い、肩に一羽の鷹を乗せた男が歩いている。色黒の肌に皺が彫り込まれた渋みのある顔、サジュだ。レグナッドとイジャルは足早に彼の元へ歩み寄り声を掛ける。
「おお二人とも、偶然だな。……随分と買い込んだみたいだな」
彼の目線の先には丸々と太った麻布がある。飲み込みきれずに何本かの柄が顔を出しているので、それが剣である事を理解したらしい。その間も鷹はまるで置物のようにサジュの肩にとまっている。
「あんたも帰りかい?」
レグナッドがサジュの背負うサックを見ながら尋ねる。
「ああ、サベムで用を足してきたよ。だがまだ帰らんよ、ここであとの二人と合流する事になってる」
ここでいうあとの二人とは、レネスの街へ向かったリュゼとドゥーハスの事を指す。レネスはサベムよりも更に南に位置する、湖の畔の街だ。
「そうだったか。ならば俺達もここで待つとしよう。どうも肩が凝ったようで、首が回らん」
凝りを解すように首を左右に捻り、レグナッドが言う。サジュも腰を抑えながら、歳には敵わん、などと言った。
「よし、ならばまた宿を探さなくてはな。昨日泊まった宿は駄目だ。何しろベッドが硬くて、とても寝れたものではなかった」
「ほう、珍しいな。お前が寝床に文句を言うとは」
内心ギクリとしたイジャルは二人に続いて歩き、三人は市場を後にした。
「それがなサジュ、昨日は宿の手配をイジャルに任せたんだ」
それが失敗だった、と続けて言うとレグナッドは胸を張ってみせた。イジャルはそっぽを向いている。
「ここはやはり、長年の経験で培われた勘というものを見せてやる」
そう豪語するとレグナッドは二人の前を歩き、進んで行ってしまう。イジャルはやれやれ、と言わんばかりにため息をつき、それに続く。そんな二人の背中を見ながら、サジュは、困ったもんだ、と呟き、微笑みながら彼らの後を追う。
二人は目の下に隈を作り眠たげな眼を擦っている。対照的に血色の良い表情のサジュは上機嫌で鷹に餌を与えている。
「いや〜、お前の見る目は大正解だったなレグナッド! あんなに心地良いベッドで寝たのは何年振りだろうなあ!」
満面の笑みを浮かべ声を出して笑う。褒められた事は嬉しかったが、こんな事なら安い宿でも変わらなかったと彼は後悔していた。昨晩、余りに大音量のいびきに睡眠を阻害され、レグナッドとイジャルは満足に眠れなかったのである。一方、いびきの主はこの上なく最高の睡眠を満喫したようである。
石畳の道を歩く三人は街の中心部にある酒場へと向かっていた。酒場は様々な人が集まるため、情報収集などには最適の場所だ。サジュが先頭に立ち、レグナッド、イジャルの順に酒場へと入る。酒気を帯びる篭った空気が鼻孔を刺激する。昼間とは言え、数人は酒を口にしているようで男の笑い声が聞こえてくる。
「じゃあ俺が話を聞いてくる、適当にうろついててくれ」
そう言ってサジュはカウンターに向かって行ってしまった。さて、手持ち無沙汰だ。レグナッドは近場の椅子に腰掛ける。イジャルもそれに倣う。ぐるっと酒場を見回すが、昼間という事もあって、せいぜい十人いるかどうかといったところだろう。中には体格の良い傭兵風の男も見受けられる。
無精髭の伸びた顎を摩りながら考え込んでいると、酒場の入口が開き、息を切らした男が入ってきた。男というよりも、顔にはまだあどけなさが残る少年だった。彼は酒場を見渡し、レグナッドとイジャルが座る席を見つけると、椅子に体をぶつけてよろけながら近づいて来た。
「あんたら、反乱軍か?」
肩で息をする少年が尋ねてくる。レグナッドとイジャルは顔を見合わす。
「ああ、そうだが…それがどうかしたか?」
イジャルが少年に向き直り、問い返した。すると少年は床に両手と膝をつき、頭を下げた。
「頼む! 俺も仲間に加えて下さい!」
二人は再度顔を見合わせる。その間も少年は額を床に擦り付けている。と、そこに話をし終えたサジュが戻ってくる。彼からは死角となって床に頭を付けた少年の姿は見えない。
「待たせたな。駄目だ、これと言って情報は……何してんだ?」
二人の座る席に近付いたところで少年の姿を確認したが状況を理解出来ていないようだ。
「俺達の仲間に加わりたいそうだ」
レグナッドが足組をしながら言った。イジャルは頬杖を突いて少年を見つめている。
「お願いします! きっと役に立ってみせます!」
少年が勢い良く顔を上げる。その顔を見たサジュが驚いたように言葉を零す。
「役に立ちますったって、まだガキじゃねえか」
それに反応し、キッとした目付きでサジュを睨む。
「ガキじゃない! もう十六だ! だから、だからお願いします!」
そう言って彼はまた先程までと同じ体勢になった。サジュとイジャルが大きなため息をつく。
「そうは言ってもなあ…。どうするレグナッド?」
困惑した表情でサジュがレグナッドに尋ねた。レグナッドは黙ったままじっと少年の頭を見つめていて返事を返さない。イジャルがちらりとレグナッドの顔を覗き込む。
「……少年、名はなんという? 生まれは?」
「ディシェイ。ディシェイ・ポローです。生まれはロッコスです! ルベリオ姉ちゃんから話を聞いて…急いで追って来ました!」
少年は再び顔を上げ、嬉しそうにそう言った。レグナッドとイジャルは聞き覚えのある名を聞いて眉を顰めた。レグナッドが身を乗り出す。
「今、ルベリオと言ったな。彼女の知り合いか?」
少年は、はい、と威勢良く応える。あの娘、どうやら自分達の事を話したらしい。やれやれ、といった表情でレグナッドは長い黒髪を掻き分ける。
「なるほど、分かった。…君を仲間として迎え入れよう、ディシェイ」
少年と向き合ってレグナッドがそう言うと、少年は文字通り飛び跳ねて喜び、歓喜に浸った。うるせえぞ、とヤジが飛んできた事は言うまでもない。こうして、一行に新たな仲間が加わった。




