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虚ろなる英雄  作者: 春風
第一章
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イサン

 牢獄の夜は自分の生を強く感じさせる。自分の体以外動くものは無く、脈打つ鼓動が空気を震わす程大きく感じられる。温かい血が巡る手で壁に触れる。当然冷たい。自分の周りから生を取り除くと、自分の生がやたらと誇張される気がした。だからこそ、他の生の気配には敏感になる。


 投獄されてから何時間が立っただろうか。セリューノは力感無く垂らしていた頭を上げた。遠くで鉄の檻が開く音がする。続いて足音。間隔が狭く、やや足早に歩いているようだ。そして足音はセリューノの牢獄の前で止む。松明に照らさせた可憐な顔立ちをした碧眼の少女がその瞳に涙を浮かべて彼を見つめていた。その少女のやや後ろには感情を感じさせない無表情な看守が佇んでいる。


「お兄様! なぜこんな事に……」


 鉄格子に身を寄せ、隙間から白く繊細な手を差し出す。セリューノはその柔らかな掌を両手でそっと包み込む。


「心配するな、ユニファール。少し頭を冷やしているだけだ」


 潤んだ瞳が問いかけてくる。セリューノは微笑んでゆっくりと頷いた。彼女は胸を撫で下ろしたのか、顔には安堵の色が浮かぶ。


「看守、少しだけ二人にさせて頂けないかしら?」


 彼女は背後で佇む看守を振り返る。看守は交互に二人を睨んでから、何も出来ないと確信したのか、一礼して無言で立ち去った。セリューノに向き直り、再び兄の冷えた手を握る。


「お兄様が帰って来たと聞いて、久方振りにお会いできると思ったら、まさかこんな形になるなんて…。でも、よくぞご無事で戻られました」


 柔らかな笑みを浮かべるその表情はまだ少女のそれだが、母の雰囲気をほのかに纏っていた。セリューノは右手の人差し指にはめた指輪を二人の視線の間に持ってくる。


「お前のくれた御守りのおかげだ」


 照れ隠しのような笑顔を見せるユニファールにつられ、セリューノも顔が綻ぶ。こうやって、兄妹で話すのは久しい。約一年前に危険粒子掃討部隊西域部隊長に就任してからと言うものの、皇帝の勅命が無い限り城を訪れる事は無かった。


「暫く会わないうちに背も伸びたな。舞は続けているのか?」


 もちろん、と彼女は応え、立ち上がったかと思うと軽やかな足取りでステップを踏む。細くもしなやかな四肢が伸び、足元まである長いスカートがふわりと浮かぶ。滑らかに一周回ると、彼女は一礼をして胸を張ってみせた。


「驚いたな、様になっている」


「毎週リンツォール公爵夫人にご指導をお願いしているの。お兄様はご存知? リンツォール公爵夫人は宮廷お仕えの舞姫だったんですって! 素敵よね! あ、それと…」


 思い出したらしく、彼女は何かの仕草をして見せる。左の腰辺りから何かを引き出すような動作だ。セリューノはすぐに気が付いた。


「お前が剣術を? よく父上がお許しになったものだ」


「そのお父様が『民衆の好感度も上がる』から良いと仰ったのよ」


 やれやれ、あの父上は腐っても皇帝だ。と、皇帝という単語を思い出して少し表情が曇ったのだろう、敏感に反応したユニファールが眉をひそめる。


「……お父様と何があったの?」


 暫くの間返事をせずに黙っていた。妹は知らなくて良い事だ。第一、過去の過ちであって、今現在はなんの問題も無く平和が続いている。考え方を変えて欲しい、力が正義では無い事を知って欲しいだけだった。だが、彼女は数少ない肉親だ。胸の内を明けてもさほど問題は無いだろう。意を決したセリューノが口を開く。


「ユニファール、お前にこんな事を話すのはおかしなことかも知れないが聞いて欲しい。私はいつも命をかけて戦っている。だが戦いが好きなわけじゃない、むしろ嫌いだ」


 伏し目がちなセリューノをユニファールは黙って見守る。


「私が望むのは戦いではない。戦った先にあるもの、平和を望んでいる。……平和を乱す者は悪とし、無我夢中で戦いに明け暮れていた。だが…」


 彼の脳裏にはあの男の顔が浮かぶ。飄々(ひょうひょう)とした出で立ちとは裏腹に、激情をその胸に秘めたあの男の顔が。


「悪とは何なのか、正義とは何なのか、考え出したら不安になった。私は本当に正義の名の下に戦っているのか、と。そうしたら父上はこう言った。『勝者こそが正義』だと」


 伏せていた目をユニファールの、自分と同じ目をした彼女に向け、身を乗り出す。ユニファールは怯えなのか不安なのか、か弱い眼差しだが、しっかりとセリューノの言葉を一言一句逃さぬように聞いている。


「私はそれに賛成出来ない。それは私が弱いからかも知れない。でも、平和には勝者も敗者もないんだ。真の正義とは平和を望む事ではないのかと思ったんだ」


 自分が険しい表情をしている事に気付き、乗り出した身を引く。


「……すまない」


 謝るセリューノの肩にそっとユニファールの手が乗る。包み込まれるような、暖かな笑みを浮かべて鉄格子越しに彼を抱き寄せる。


「お兄様は優しい人。ううん、優し過ぎる」


 華奢な体で精一杯抱きしめながら彼女が言う。


「でもそれがお兄様の良いところなのよ。私は…お兄様には変わって欲しくない。そのままのお兄様が一番好きよ」


 腕をほどき、無邪気な笑顔でユニファールは言った。セリューノは彼女の肩を優しく掴み、引き寄せた。


「ありがとう、ユニファール」


 彼女は兄の腕の中で小さく頭を振った。不意に遠くで鉄の檻が開く音が聞こえた。先程の無表情の看守がのそのそと歩いて来て、姫様そろそろ、と小さく呟いた。ユニファールはそれに応え、女性らしくお辞儀をして去って行った。






 セリューノが投獄された翌日の昼。皇帝カミュドラル・キドラの前にひざまずく長髪の人物はほんの僅かに口角を上げた。前方で豪勢な玉座に腰を下ろす皇帝はというと、何やら紙切れを千切れんばかりに握りしめ、顔を赤くしている。


「……これはまことか」


 怒りに震える声に仰々しく頭を下げた長髪の人物は俯いたまま口を開く。


「はい、昨夜遅くに居住区で密会する所を目撃した者もおります。さらに私めの部下に探らせた所、そのようなものが出て参りました」


 皇帝は怒りを抑えきれず、玉座の肘掛けに拳を振り下ろす。鈍い音が静まり返った謁見の間に響く。


僭越せんえつながら申し上げます。セリューノ王子を捕らえたのは英断でございました。この機を逃す手はありますまい」


 長髪の人物はその中性的な顔を上げ、無駄な動きをする事無く立ち上がる。皇帝は未だに信じられないような表情でワナワナと震えている。


「いくらご子息とはいえ、このまま見逃すのは危険すぎます。早ければ今日にも…いえ、昨日さくじつ謁見された際にも隙さえあらば狙っていたかも知れません。陛下の…お命を」


 皇帝の額には脂汗が滲んでいる。余裕のない皇帝に、ゆっくりと、着実に近づきながら長髪の人物は続ける。


「どうかご決断ください、陛下。これだけの証拠があるのです。情をかけるべきではありません」


 その目を大きく見開き、長髪の人物は言った。もう皇帝に手が届く所まで来ている。


「処刑が望ましいかと……」


 長髪の人物の眼前に衛兵が槍を交差させる。焦りの色を隠せない皇帝は荒い息を抑え、手でそれをとがめ、長髪の人物に視線を戻した。


「……お主の言う通りかも知れん。…これだけの証拠があるのだ。言い逃れはできん…」


 ふらつく体を椅子で支えながら何とか立ち上がり、皇帝は衛兵を呼び付ける。長髪の人物の口元には冷たい笑みが浮かんでいた。






 翌日、帝都の人々は目を疑った。皇帝からの公布が貼り出されたのである。公布が貼り出される事自体は大して驚く事ではない。その内容が余りにも衝撃的で、予想だにしないものであった。











ーーー皇帝暗殺未遂及び反逆罪として、首謀者セリューノ・キドラとその共謀者を斬首刑に処す。執行日は五日後、満月の晩なりーーー



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