ver.05
私達が居る部屋は、今は使われていない空き教室だった。自分の腕の様子を見ると、もう血は止まっていた。瘡蓋がとんでもない。私はゆっくりと立ち上がると、この教室から出ようとした。
「どこ行くの?」
マコに呼び止められる。「どこって、ここから逃げの。で、助けを呼ばなきゃ」
「無理だよ」
マコは短く息を吐きながら呟いた。
「なんで?」
「俺は小学生達の練習に付き合った後、着替えてから、水道で水を飲んでいたんだ。ふと強い風が通って、そして振り返ったらこの通り、世界は変わっちゃったの。空は綺麗な色で囲まれているし、変な生物が学校を蹂躙しているし、それに、この校舎の一階と校庭以外の場所へ行くことは、不可能なんだ」
「学校から出られない、ってこと?」
「見えない? あの壁が」
マコは窓に近づいて、外を指さした。私はマコの隣に立って、マコの指先を追う。校庭があり、遊具があって、その先には道路が見えるはずなんだけど、無い。いや、見えない。
何故なら校庭の終わりに、灰色の壁が天高くまで聳えていたからだ。この窓から、上部まで見渡せないほどに。
「壁が見えるでしょ。俺、実際にあの壁まで行ってみたんだけど、空の彼方まで続いていて、しかもどこにも出口なんかなかった。一応言っとくけど、登れないよ。取っ掛りなんてないし、何より百メートルは絶対に超えているから。あと、二階も行けなかった。踊り場の先に、壁が出現していて、進めないんだ」
私は壁に反射する空の色を眺めながら、近くに転がっていた椅子を掴むと座る。これからどうするか、真剣に考える必要がある。
「まずは、……このケータイの画面は、何?」
ケータイを開くと、マコへ差し出した。
セセラギ
DP SP
300/300 5/5 ●●●●●
①閃光
「あ、やっぱりねーちゃんもだね」
マコも同じようにケータイの画面を見せてきた。
マコト
DP SP
800/800 7/7 ●●●●●●●
①暗黒雷・凶 ②超絶対ゼロ℃ ③真・絶牙龍轟斬
私は、マコのケータイをひったくった。
「あのさ、あんたの【DP】や【SP】が多いのは……まずは置いておく」
「いや置かなくていい。てか、返せよ!」
身長の低いマコの頭を押さえると、体を入れてケータイへの距離を作り、マジマジと画面の端にある漢字を読む。
「あんこく……かみなり? それに……凶って、え? これなんて読むの?」
「馬鹿にすんなよ。ってか、ねーちゃんも似たようなもんじゃん!」
「はぁ? 私のはオマージュでスキルと名前が被っていますから、一緒にしないでよ。どうせ、これに少年漫画みたいなカタカナ英語つけているんでしょ? あぁ、中学二年生だもんね、そういう時期か……」
「うっさいな、あのプリントに書いたら、こうなったんだよ。仕方ないだろ。それに、カッコいいじゃん」
……うわぁ、本気で言ってる。これ以上馬鹿にするのは、ある一定のラインを超えると、今度は私へ降りかかってくるので、適当に引き上げた。
「んじゃ、まずは、この【SP】って何?」
「そこから?」
「あのね、私が知っているのは【DP】が耐久力の数値、それとスキルだけなの。で、これはなんなの?」
マコは姉の私に向かってあきらかに小馬鹿にしたような感じで、ため息とつきながら説明を始めた。
「多分、スキルポイントの略だと思う。スキルを使うと、設定された数値だけ減るの」
「数値って、これか」
閃光
物理
タイプ――雷
消費SP 3
自動カウンター。攻撃力が0.75倍になる代わりに、優先度+一の速度で攻撃することが可能。
【光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士が司る、雷の一撃。一つの道を煌々と照らし、新たな幻想を終わらせた。】
「……ライトニングって」マコは鼻で笑った。
「我が国の言葉の訳では、『雷、稲妻、稲光、落雷』となりますけど、それが何か?」
「……いいえ、何でも。それで、その消費SPってところ。ねーちゃんは今【SP】を五ポイントしか持っていないから、このスキルを連続では使えない」
なるほど、RPGのMPみたいなモノか。
「あれ、そういえば、私の【DP】が回復してる。サソリをボコしていた時、かなり減っていたんだけど。ってか、これは何の略なの?」
「DPの略称はわからないけど、あぁ、それは戦闘が解除されると、自動的に回復するよ。出来れば、戦闘中に回復出来るスキルを一つくらい欲しいけど、俺はもっていない。ねーちゃんはライトニングだけだし……」
まるで私の【閃光】が悪いみたいな言い方するなよ。
「【DP】は回復しないけど、【SP】は戦闘中でも時間が経てば回復していく。一ポイントに五秒くらいだったかな。そうすれば、またスキルを使える」
「なるほど。ってか、なんであんたはそんなに詳しいのよ」
「それは……」
マコが声を潜めた時だった。
――カラン
と、廊下から何かが床に落ちたような音が響いてきた。二人してびくっと肩を揺らす。マコと私は無言で顔を合わせる。マコは教室の隅に置いてあったバットを掴んだ。
「もう来た……」
「嘘、またあのサソリが?」
「いや、多分違うと思う」
マコはそう言いながら教室の扉に身を寄せる。私も重なるように扉に張り付くと、そっと廊下を覗いた。
左側の通路は行き止まりになっていて、その反対側を見たんだけど、何か黒い物体が蠢いていた。大きさは、バスケットボール大くらいのそれは……、あのサソリをそのまま小さくしたような、生物だった。キモイ。
「何、あれ? もしかして、あのサソリの……子供?」
「多分ね。俺はねーちゃんに会うまで、あのサソリに襲われて、闘っていたんだよ」
マコのバットには、ところどころに赤い染みが張り付いていた。野球少年のバットに、この赤い染みはおかしい。
「凶暴?」
「一匹一匹はまだ小さいから、バットで殴ればどうにかなるけれど、集まるとヤバい。あ、やっぱり、こっちに来た」
金属音のような足音を響かせながら、子サソリはこちらへ向かってきた。「やり過ごせるかな?」私は声を潜めて聞いたが、マコは首を横へ振った。
「それは無理。俺もさっき隠れていたんだけど、すぐに見つかったんだ。多分、人の匂いを嗅ぎつけるような能力を持っているんだと思う。強行突破して、別の部屋に逃げよう」
「どこに? それに、逃げたところでまたすぐに集まって来るでしょ?」
「この部屋で固まっていたら奴らに囲まれちゃう。それに、今、ねーちゃんは何も武器持っていないよね? そのケータイしかないじゃん」
「うん」
「またすぐにダメージを喰らっちゃうよ。逃げるついでに武器も探そう。そして……」
マコは一度言葉を切ると、笑った。不適というか、この状況を楽しんでいるかのように。「あのサソリを倒す。そうすれば、きっとこの階から抜け出せる」
根拠は? と、私は聞けなかった。何故なら、廊下に居るはずの子サソリが急に足音を鳴らして走り始めたからだ。ここに長居するのは、危険だった。