ver.04
ぺちぺち。
ん?
ぺちぺちッ。
何か、音が聞こえる。この感触は、……誰かが、私の頬を叩いている?
もう誰? 私、今疲れていて、ぐっすり眠りたいの……よッ!?
その瞬間、私は跳ね起きた。途端に右腕から燃えるような痛みが発生する。それに耐えながら必死に立ち上がって辺りを見回した。脳裏を過るのは、あのサソリの姿……。
「だ、大丈夫?」
と声をかけられてまた飛び上がった。慌てて振り返ると、そこには……一人の少年が座っていた。頬を曲げて、ねっとりとした笑みを浮かべながら、私の顔を見つめている。
「……あ、あんた、誰?」私は警戒するように声を発する。
「え、ちょっと、その質問はまずいでしょ!」
中学生くらいの少年にしては高い声が頭の中で反射した。
「どうしてよ?」
と、思わず口にしてしまう。私は、下がりながらも、この少年から目を離さないようにした。
「どうしてよ? じゃなくて、本当に俺のことがわからないの? ねーちゃん?」
「ねーちゃん?」
その少年は、ゆっくりと立ち上がると、やれやれと腕を持ち上げた。「弟を忘れるとか、姉としてどうなの?」
ん?
えっと、……弟?
これが、私、の?
その瞬間、私は弟について思い出した。数々の思い出が走馬灯のように脳裏で映り、一瞬にして記憶を取り戻したような気分になる。
「あー、ごめん、パニクってから、完全に忘れていた」
「ひどッ! 昔から弟使いの悪い姉だとは思っていたけど、それはないでしょ」
声変わりはまだなのか、と高い声で頭を痛めながら、私はため息をついた。
弟。
本名は、是々木真だ。通称マコ。マコト!→マコ、と我が家は皆呼び方が変化している。スポーツ刈りの、平均よりも少し背が低い。アホで、あまり頭は良くなくて、だからか知らないけどスポーツが好き。中学生で、野球部に所属していた。夢は、プロ野球選手だとか。
「なんでねーちゃんが小学校に居るの?」
「私も同じ質問をしたいんだけど」
威圧的に返すと、マコは、先にお前が答えろという意味を飲んでくれた。「俺はこの学校で世話になっていた少年野球部の奴らの練習に付き合ってたの。週に一度くらいは行ってるんだ。はい、ねーちゃんは?」
私の記憶では、コイツは時々夕飯に間に合わない時があった。特に気にしていないから別にどうでもよかったけど、なるほどなー。
「私は、学校の総合的な学習のレポートのために、小学校の栄養士さんにインタビューするために来たの。だけど……」
そこで、一端言葉を切った。
目に浮かび上がるのは、あの巨大なサソリとその死闘だ。私は普通の女子高生のはずなのに、なんであんな生物と闘っていたの? 夢なら早く覚めて欲しい。だけど、頬を抓る必要が無いほど、痛みが腕から発生している。もし痛みで夢と現実をを区別するのなら、めちゃくちゃリアルなんだけど……。
「ねーちゃん、どした? ぼーっとして」
「ん、いや、あのさ、この学校に危険指定Aランクの生物か、どっかの研究所で生み出された哀しき怪物が逃げこんだ、というニュースやっていた? ちなみに、私はそんなニュースは見ていない。私の記憶だと、今朝、アナウンサーがしきりに恐い恐いって、言っていただけな気がする」
「は?」
「だから、……あんたは見てないから信じられないと思うけど、この学校には、デッカイサソリみたいなのが徘徊しているのッ」
「もしかして、ねーちゃんは、もう闘ったの?」
マコは特に動揺もせずに、答えた。
「見たの? あのサソリみたいな生物を?」
「……サソリ、かはわからないけど、ねーちゃんを職員室で発見した時、デッカイ奴が校庭を横切って向こうの校舎をよじ登っていた」
「職員室の扉、開いた?」
「そういや、扉に箒が挟まっていたから、開けるのがめんどくさかった。それが?」
「私ね、閉じ込められたの。誰かに扉を閉められて……」
「うっわ、災難だね」
「最悪だよ。あんたが来る時、誰か人見なかった?」
マコは少し考えて、首を横に振った。「俺が職員室に来た時は廊下には誰もいなかった」
私はマコの顔をじっと見つめる。その意味を悟って、マコは顔を歪めた。「ち、違うって。俺じゃないよホント。だって、俺がねーちゃんを閉じ込める理由が無いだろ。それに、ねーちゃんがこの学校に来たことを、さっき知ったんだよ」
「どうだかねー。まぁ、今は、不問にしてやろう」
多分、マコは違う。あの扉のガラスから見えた影は、それなりに大きかった。マコの身長だと、映るか映らないかの瀬戸際だからね。
「ってか、腕食われたの。超痛いよー」
「それだけ騒げれば大丈夫。ってか、ねーちゃんあのサソリと一人で闘って、追い払ったの?」
「まーね。あと少しでぶっ殺せたんだけど、逃げられちゃった」やや話を盛った。驚くマコを予想していたけど、「ふーん、その割りには、気絶してたじゃん」と痛いところをついてきやがった。
「あ、あれは、最後の攻防がめちゃくちゃギリギリで疲れたのよ。ホントだから、信じろッ」
はいはいと、マコは笑っている。