マイナス思考が強い人間は周りの人間も不幸にする
世の中には、なんでも悪く悪く考えるマイナス思考のネガティブ人間がいる。
実は私の父がその典型で、彼は常に最悪の状況を考え続けているのだ。そして、それは
実は自らがその不幸の発端を招きいれてるにも関わらず、それが現実となったときに
「ほら、こうなった」と言い、逆に安心するのである。石橋を叩いて叩いて削岩機を使って
破壊してしまったあとに、ほら壊れた、だから危ないんだ、というようなものである。
彼がこういった考えの持ち主になってしまったのには、幼いころの不幸な境遇が原因であり
それがいまだに彼の思考の中枢の核となってしまっている(彼はすでに60歳をこえている)。
これは、「不幸に対して保険料を払っている思考」と私は名づける。
つまり、不幸な現実が起こったときに。あらかじめ自分の中でそれを想定しておけば、
それほどショックを受けないという、いわば、保険をかけている状態だ。実はこれは
誰しもがある程度持っている傾向であり、全くないのは逆に危ない。しかし、保険料を払いすぎて、実際に病気になったときに受け取る手当金よりも保険料のほうがはるかに高いのでは本末転倒ではなかろうか。それとか、保険料をこれだけ払っているのだから病気になって病院に行かないと損だ!とか考えるような、そんなわけのわからない思考に陥っていると思う。こういうマイナス思考人間は、自分だけマイナスオーラに包まれていればこちらとしては何も問題はないのだが、回りに人間まで巻き込みだすからたちが悪い。特に私の父は、「子は親の所有物である」という誤った考えの持ち主なので、三十路間近の私もいまだに親に支配されているような感覚がぬぐいきれない。私は現在はアパートで一人暮らしをしているが、勝手に私のアパートに上がりこんで掃除をしていたり(連絡もなしに)、いまだに私を一人の大人としては見てはいないのである。私は一人の独立した人間であり、親の所有物でもなければ、ペットでもない。自分の意思を尊重してもらいたい。親は子を心配しているようで、それははたから見れば立派な親であるが、実を言うと、自分が子を心配してとやかく言うことに満足しているだけにすぎない。たとえば、私が中学生か高校生のとき、期末テストの日の朝に、消しゴム持ったか?鉛筆削ったか?シャープペンの芯は余分に持ったか?など、うるさく注意を喚起していたが、父が出張で家にいない日がテストの日は、何も言ってこなかった。本当に心配なのであれば、出張先からでも電話で同じようにうるさく言うはずではないか?それをしないということは、つまり、自分がうるさく言うことで自分の不安や心配を消すためだけに行っている行為であり、つまりは自分のためである。だから出張先では、じぶんがそちらに関心がいっていないので、何も言って来なかったのだ。