【第3夜】だん吉のイヴ
のら犬家業の柴犬だん吉は、自由気ままなその日暮らし。ある日、だん吉は公園で一人の少女と出逢った。彼女はイヴの夜、片思いの彼にプレゼントを渡すが……犬の目線で見たイヴの灯はどう映るのか。
僕は柴犬のだん吉。気ままな野良犬家業さ。とは言うものの、それほど気楽なもんじゃないよ。
だって、毎日ご飯にありつけるか判らないし、お風呂も入れない。まぁ、水は苦手だから、風呂はどうでもいいんだけど、雨の日は、雨宿りするのも大変なのさ。
僕がいつから野良犬なのか忘れてしまったけれど、もうだいぶ長い事、鎖で繋がれた事は無い自由奔放な生活さ。その代わり、生きる努力は自分でしくてはならないけど……
まぁ、自由と不自由は、何時も隣り合わせだから、仕方がないけどね。
保健所のガス室送りにならないだけでも幸せかもね。
武士は食わねど……………なんだっけ……
そんな僕も、この公園に辿り着いてからは毎日ご飯にありつける。
何故かと言うと、この先の定食屋の娘が、僕にほいほいと食べ物をくれるのだ。
そろそろ…… あ、来た来た。
「だん吉。おいで」
ええっ、たまにはお前がここまで来いよ……なんて、言わないよ。ご飯の為なら何処までも。って距離じゃないけど。
僕は、寝床のベンチの下から這い出ると、のそのそと歩いて彼女の傍まで行った。
「だん吉。お手!」
またかよ……
「おかわり」
はいはい……
「おあずけ」
すぐくれよ……待つのはいいんだけど……ほら、よだれが勝手に。
「だん吉、よだれよだれ」
そんな事言っても、無理だっちゅうの……
彼女の名前は片岡さつき。中学生という職についているらしい。
さつきが初めて僕に会ったのは一週間ほど前だ。
「だん吉?ダッさー……っていうか、首輪もしてるし名札まで付いて、あんた何処から来たの?」
彼女はそう言って笑いながら給食の残りらしき食パンをくれた。
さつきは、身体は小さいが、活発で軽やかで、元気に何時も笑っている。
ただ…… やたら僕に芸をさせたがる……
さつきは何時ものように僕にご飯をくれると、塾へ向かって歩き出した。
でも、最近彼女は少しだけ元気がない。
原因はアイツか。
同じ塾に通う、たしか涼介って言ったっけ。さつきはそいつのことが好きらしいんだな。
確かに涼介は誰とでもよく話をしているし、女の子にもモテるようだ。
でも、涼介にはすごく仲のいい娘がいるんだ。えっと…… そうそう、実華っていったかな。
これがまた、子供のくせにマブくて…… いや、可愛くて。
でも、僕はさつきの笑顔の方が好きだけどね。
実華の笑顔はなんだか、男に対して計算ずくで、心の無い笑顔なんだな。
「あ、見て見て、あの犬まだいるよ」
あ、来た来た、これが実華なんだな。
「ここに住み着いたのかな?」
実華の連れが言った。
「この耳ピョンとしててかわいいよね」
イタタタ、耳引っ張るなっつうの。
「ねぇ、何か食べるもの持ってない?」
実華の言葉に、連れは「ええっ、あたしガムしかないよ。しかもミント」
「ガム食べるかな?」
食べるかっつうの……
まぁ、悪気はないんだろうけど……
「あっ、涼介!」
公園沿いの通りを歩く彼を見つけて実華が手を振る。
ほら、この笑顔。なぁんか、大人びて信用ならないんだよな。
木枯らしに吹かれた落ち葉が、ここそこに吹き溜まりを作る頃、日に日に辺りは騒がしくなって、今日はやけに笑顔で歩く男女が多い。
そうかクリスマスかぁ。て事は、去年のクリスマスからもう1年経ったって事なんだな。
夕方から酔っ払いがここを横切って行ったりするのも、そのせいなのか。
やたらといい匂いがあちこちから匂ってくるのもそうか。
まいったなぁ。匂いを嗅いだだけで、よだれが出るよ。嗅覚が優れているってのも、良し悪しだね。
さっき、酔っ払いのオジサンがバームクーヘンと言うものを置いていった。丸くてグルグル模様だから、食べてるうちに目が廻ったよ……
おぉぉ!…… 何だアイツ。今、公園に連れられて入って来たアイツ、犬のくせに角が生えてるぞ…… しかも、やたら派手な赤い服を着せられて。
『おい、お前、何で角生えてんだ?』
僕は彼に近づいて聞いてみた。
『どうもこうもねぇよ… クリスマスは何時もこうさ。ウチの姉御が好きで、この時期は毎年俺にトナカイの格好をさせるんだ』
『なんだ?となかいって』
『サンタクロースとやらが、ソリを引かせる動物さ』
『お前、ソリ引くのか?』
『バカ言うな。そこまで出来るかっての』
『へぇ……そりゃ大変だね』
しかし、飼い主のお姉さんは、妙に幸せそうだ。
「あら?何処のワンちゃんかしら。リードもなしで」
彼女は僕の頭を軽く撫でながら言った。
『いいじゃねぇか。ネエちゃん幸せそうで』
『そう。だから、ガマンしてんのさ』
彼はそう言って、飼い主にシッポを振って見せた。
彼を連れた女性は、そのまま公園内をぐるりと回って、反対側へ去っていった。
へぇ、コスプレさせられるとは、最近の飼い犬はたいへんだね……
それにしても、今日はさつきの姿を見ないなぁ。
そういやぁ、昨日なんか言ってたっけ。
………………
………
「だん吉。明日ね、あたし涼介に手編みのマフラーをあげるんだ。ずっと編んでたのよ」
彼女は少し俯くと「貰ってくれるかなぁ……」
とても自信なさげに呟いてたっけ。
「彼に拒絶されたら、だん吉にあげるからね」
彼女は開き直ったような笑顔でそう言った。
まぁ、僕は自分の毛皮があるからそんなものに用はないけど、あいつ、大丈夫かなぁ。
辺りが夕間暮れに包まれると、ぽつぽつと街灯が明かりを燈し始める。
さつきの気配だ。
公園の入り口にさつきの姿が見えた。
すぐに涼介の姿も現れて
「わりいな、こう言うの貰うと、実華がうるさいんだ」
「使わなくてもいいから、もらって」
さつきが持っている可愛らしい包みの中に、手編みのマフラーとやらが入っているんだろう。
「わりい。俺、行かなくちゃ」
涼介はそう言って、さつきのプレゼントは受け取らないまま駆けて行ってしまった。
さつきは一人、公園の入り口に佇んでいた。
その姿は、とても、寂しそうで……
見てはいけないような気がしたんだけど、どうしても彼女から目が離せなかったんだ。
零れそうな涙を堪えて、さつきが小走りに僕の方へ向かって来る。
しゃあないなぁ…… 僕も立ち上がって彼女に駆け寄って、せつなげに鼻を鳴らした。
「だん吉。お前だけだね。あたしに寄って来るのは」
それは違うよ。きっと、さつきの笑顔に癒される奴が他にもいるはずさ。
彼女は包み紙の中から毛糸で編んだマフラーを僕の首にグルグルと巻きつけて、僕を抱きしめた。
あちこち編み目が跳んで、デコボコだし……
なんだか毛糸がこそばゆいけど、とっても暖かいよ。
「だん吉は、ずっとあたしの傍にいてね」
さつきが呟いた。
しょうがねぇなぁ、しばらくここに留まるか。
白い粉が、ひらひらと空から舞い降りて、僕の黒い鼻に触れた。
冷たっ……これ、雪じゃん。
さつきは僕を抱きしめたまま、空を見上げた。
その途端、彼女の瞳から雫が零れて頬を伝った。
街灯の光に照らされた雪は、空中でキラキラと輝いて舞っていた。
僕は耳をピクリと動かして、気配を感じた。
公園の入り口に、さつきの母親の気配だ。
僕はさつきの冷たくなった頬を舐めてあげた。なんだか、しょっぱい味がした……
さぁ、もう、お帰り。お母さんが待ってるよ。
きっと、さつきの家も、暖かいイヴの灯が燈されてるから。
END