【第1夜】漆黒のイヴ
ひとりぼっちのイヴの夜に、突然の停電。純也はやるせない思いで暗闇に佇んでいた。突然隣のベランダから聞こえる女性の声。隣は女連れか…… 純也はどんなイヴの灯を見るのか。
純也は真っ暗な闇の中で、ひとり、やりきれない思いに浸っていた。
どうして彼が暗闇の中にひとり佇んでいるのか。
引っ越して3週間あまりの部屋。
何年も住み慣れた部屋なら、真っ暗でもたいがいの事を把握しているから、身動きもとれるだろう。しかし、彼はそれほど自分の部屋を熟知していない。
試しにさっき動いたら、忽ち何かにつまずいて、暗黒の世界に吸い込まれそうになった。
「っていうか、何でイヴの夜に停電なんだ?」
そう、今夜はクリスマス・イヴだ。
しかし、だからと言って彼に特別な用事があるわけでもない。
寧ろ、何の用事もないから、この部屋に一人でいたのだ。そして、突然目の前が漆黒の闇に包まれた。
イヴの夜の、白紙の予定…… その空しさに拍車をかけるようなこの停電。しかも、送電線の関係なのか、通りの向こうの家やアパートには煌々と明かりが灯っていた。
「なんだ、それ……」
純也はゆっくりと窓に近づいて外を眺めた。部屋の中よりも、微かに街路灯の明かりが届くベランダの方がいくらか明るかった。
「今年はなんてついてないんだ」
純也は、僅かな星の見える夜空を眺めて呟いた。
「ごめんね、純也。あたし、好きな人ができたの……」
何言ってやがる。二股かけてた事ぐらい、とっくに知ってるんだ。
「そうか… 仕方ないよ」
純也はここに越してくる直前に、1年半付き合った沙織と別れた。
「新しいアパートはキッチンが少し広いから」
そう言って引越しを決めた純也に、沙織は
「あたし、いっぱい料理作ってあげるね」なんて言った。
そんな社交辞令は迷惑なだけなんだよ……
そんな事なら、わざわざ引っ越す事も無かった。別に以前いたワンルームで充分だった。
小さな電気コンロも別に苦にはならなかったし、オモチャのようなシンクだって、ちゃんと洗いモノもできた。
5、5畳の小さな部屋も、何でも直ぐに手が届くし、掃除も簡単だった。
二股をかけていると知りながら、最後は自分に留まるという変な自信があった。だから彼は引越しをして、沙織の身体も心も、より自分に向くように仕向けるつもりだったのだ。
ところが、いざ引っ越しの日程も決まり、彼女に手伝って貰おうと連絡をとった途端、出てきた言葉は別れ話だった。
純也は、二股の相手を一度見たことがあった。たまたま出かけた渋谷の109前で見かけたのだ。
それ以上は見ていられなかった。純也自身、正直怖かったのだ。
しかし、一週間前、彼はその男がどんな奴なのか調べた。前に一見した時は、自分と変らない年格好に見えた。しかし、違っていた。
確かに年齢は純也より一つ年が上なだけらしい。が、しかし、その男は最近流行りのIT長者だった。麻布の高級マンションに住んでいた。
こんな1Kのアパートじゃ、彼女の心を抑えてはおけないのだ。おそらくキチンだけでもこの部屋より広いに違いない。
「ふざけやがって……」
純也は沙織に一言言ってやりたかった。でも、止めた。
相手の男の、あまりの生活基盤の違いにバカらしくなったのだ。いや、本当はそんな事をしている女々しい自分が嫌になったのかもしれない。
いいじゃん。沙織が幸せになれば。
そんな事を呟きながら、どうせ最後は捨てられるんだ。おまえも、俺と同じ気持ちを早く味わえ…………などと考えてしまう自分に、ますます嫌気がさす。
空中でパッと瞬いた光が、一瞬で流れて夜空に溶けるように消えた。
「流れ星……」
初めてではないが、前に何時見たのかも覚えていないほど久しぶりに見た。23区から外れると、流れ星が見えてしまうのかと、純也はますます悲壮感に囚われた
突然、ガタッと物音がした。
純也はビックリして身を硬直させた。物音がしたのは隣のベランダだった。
停電で隣も出てきたのか?そう思い、ホッと息をついた。
隣って、どんな奴だろう。確か、俺よりも後に引っ越して来てたよな。
こんな日にお互い顔を会わせて、野郎二人で微笑みなが「こんばんは」なんて、あぁ、ヤダヤダ……
きっと隣の奴も、イヴの夜に一人で寂しい野郎だ。なんて思うに違いない。
「あのう……」
ハッ……女の声……隣は女連れか?
そうだ、イヴの夜、自分の部屋に女を連れ込んでいても不思議は無い。
ちきしょう…… 新居に女を連れ込もうなんて、まるで俺の計画そのものじゃんか。
「ねぇねぇ、隣の奴イヴに一人だって、かわいそぉ」……なんて言われてたまるか。
「あの… すみません……」
しかし、ベランダから呼びかける声は、この寒空の澄んだ空気のように透き通っていた。
「なにか?」
純也はベランダに顔を出さずにぶっきらぼうに答えた。
「あの…… ライターとか持ってませんか?」
何だよ、火貸せってか……
「あの…… あたし、タバコ吸わないもんだから」
タバコを吸わないのに、何に火を使うんだ?ここはストーブ禁止だし……
「持ってますけど」
純也は少し投げやりに言った。
「通りのこちらだけ停電なんですね」
彼女はおっとりと笑って「あのう…… お一人ですか?」
来たっ。それが訊きたかったのか?そして、部屋にいる男と笑って、この闇夜に自分達だけの、一点の和み空間を作ろうってのか。
「あの…… 聞こえてますか?」
「ああ、はいはい。火ですね」
純也はそう言ってポケットからジッポライターを掴んで窓から手をだした。
「あの……」
「なんすか?」
「よかったら、こっちの部屋に来ませんか?ロウソクで明かりを作ろうかと……」
彼女は純也の少し横柄な態度に震える笑みを溢していた。
顔は見ていない純也だったが、彼女の怯えるような声を聞いて、自分の粗雑な態度に気が付いてハッとした。
俺って、なんて嫌な野郎なんだ……
「あの…… じゃあ俺、玄関から行きます」
彼は気を取り直して彼女にそう告げると、ライターの小さな炎の明かりを頼りに玄関へ向かった。
なんだ、ライタ−ひとつで意外と見える……
「気を付けてね」
窓の向こうから、小さな声が聞こえて、純也は少しだけ口元に笑みが零れた。
バキッ……
「イテッ」何かを踏んづけたみたいだ……
「あたし…… 越してきて間もないから、一人でチョット心細くて……」
隣の真っ暗な玄関を入ると、彼女は小さな懐中電灯を手に、一人佇んでいた。
「ごめんなさい。これから出かけるとか?」
彼女は遠慮気味に訊いた。
純也はやけに明るい声で「いや、俺も一人で暇だったんです」
部屋の中へ入ると、テーブルには大小たくさんのキャンドルが並んでいた。
雑貨屋でもやるのか……
長細いもの、ずんぐりと太いもの、やけに丸いと思ったら、果物や野菜の形をしているもの……
「あたし、かわいいキャンドルを集めるのが趣味で、でもそれが役に立つ時があるなんて思ってなかった」
彼女の笑顔の横で、純也は一つずつ、キャンドルに火を着ける。火の着いたキャンドルを使って、彼女も他のキャンドルに次々と火を灯した。
ひとつひとつは小さな炎だが、十数個ものそれに包まれると、部屋の中は山吹色の明かりでいっぱいになった。
ロウソクの光がこんなに暖かいなんて…… 純也はそう感じた。
柔らかな光に照らされた、彼女の穏やかな笑顔。
色々なアロマキャンドルを同時に着けてしまった為、部屋中が多彩なアロマの香りに包まれてしまい
「ごめんなさい。使うつもりじゃなかったから、全部ちがうキャンドルで…… 匂いが混ざって変だわね」
彼女は微かに揺らめく炎に照らされて、弱々しく微笑んだ。
それでも純也は、こんなクリスマス・イヴもいいかも知れない。そんな気持ちになった。
「大丈夫さ。真っ暗よりはずっといいよ」
純也は、暖かなイヴの灯に照らされた彼女に向かって
「それより、ケーキでも買いに行かない?」
END
次回【第二話】秘密の部屋




