8.再会
陣が取り払われたことで、琴式部が動けるようになると、香子がすぐにでも膝をついた。
「式部……。ごめんなさい」
「何を謝るのですか? さぁ、中宮さま。帰りましょう」
当然とばかりに、琴式部が香子の手を引いて立ち上がらせた。
けれど、香子は動かない。
怪訝そうに振り返り、琴式部は首を傾げた。
「わたくしは……帰りませぬ」
「えっ?」
「ですから、宮中には帰りませぬ。この方に、お願いをしたのです。宮中から出られるようにと――」
この方、と指示されたガレリウドは一瞥しただけで何も口を開かなかった。
ただ、どうするのか、事の成り行きを見守っている。
それにしても香子も、琴式部もやはり顔を隠したまま会話している。
全くもって不可解な会話法であるが、それが異文化の作法なのだろうと無理やり納得するしかない。
「ですが、春宮さまからの文はどうなさるのですか? せっかく、弘徽殿にまた戻って、今度こそ国母になられることが出来るかもしれないというのに」
「宮中に、……弘徽殿や中宮としての未練などありません」
「では――どうするおつもりですか?」
「自害しようと……した折に、この方に助けて頂きました。暫くはこの方のお相手をして、それから決めます」
行き当たりばったりで良いのかとばかりに、琴式部がため息をつく。
だが、次の瞬間には意を決したように毅然として――。
「中宮さまを一人にしておくわけには参りません」
「わたくしも、式部には助けてもらいたいと思うております」
「はぁ……。貴女という方は、本当に破天荒な中宮さまですね。それで一体、ここはどこで、中宮さまを誑かしたのはどなたですか?」
何とも切り替えの早い様子で、琴式部は矢継ぎ早に質問をしてくる。
その答えについては、香子も知ることではなく、やや困ったのか扇越しにチラリとガレリウドへと視線を移している。
「このような所で立ち話をする気はない。ひとまず、ついて来ると良い」
ようやく、言葉を発したガレリウドは後のことをイグネルフに任せるようにすると、エントランスから延びる螺旋階段を上る。
このような建物を見るのもおっかなびっくりといった様子で、香子と琴式部が続いた。
衣服の裾を踏まないようにと慎重になっているせいか、その足取りはとても遅い。
衣服の重みもあるのだと思うが、階段を上りきってもゆっくりとしか歩かないのだから、ガレリウドは抱きかかえた方が早いのではないかと思ったほどだ。
入り組んだ廊下を歩き、客間として使われる一室へと二人を案内した。
異文化では、生活様式も随分と違うはずだ。
ガレリウドは邸内で働く女性の小間使いを数人呼ぶと、香子と琴式部を客として扱うように言い、まずは疲れているだろうと湯殿の準備をさせた。
「慣れぬだろうが、全てこの者らに任せておけば良い。落ち着いたら話が出来るように取り計らう。それまで、少し休んだ方がよかろう?」
琴式部に至っては、恐らく邸内の魔将に狙われそうになったであろうし、移動封じや魔術封じの陣を敷かれていたのだから、身体への疲労や負担は多いはず。
タイムリミットは3ヶ月であるが、まだそれは時間がある方なのだ。
香子と琴式部が休んでいる間に、口うるさいイグネルフへも言い含めなければならないだろう。
侯爵閣下に受けた命によれば、暫く戦場には行けないということだから。
つまりそれは、文官が受けるような面倒くさい領地の内政に励まなくてはならないという示唆。
やれやれと息をつきながら、香子と琴式部は小間使いに任せて、ガレリウドは私室へと戻った――。