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6.理由

 相変わらず女は袖で顔を隠したままだった。

 面と向かって話す習慣がない、ということをガレリウドは理解出来ない。

 だが、それは異国の娘ということで、隠す袖を払いのけてしまいたい衝動を抑える。


「そ、れは……――」


 答えようと口を開きかけた娘だが、言葉は紡がれることはなく、衣擦れの音だけが風と共に流れた。

 ふるりと、長い黒髪が左右に揺れて、着ぶくれした肩の辺りも震えている。

 どうやら泣かせてしまったらしい。

 これだから、女の扱いというのは難しい。

 泣いたかと思えば、次の瞬間には笑っていたりする場合もあるから、注意が必要と、この長き生の中で知っている。

 どうしたものかと困惑していると、聞こえていた足音が大きくなってきている。


「中宮さま? 中宮さまー?」


 甲高いトーンの声は、異世界に降り立った折に聞こえたものだ。

 この娘を探しているのか、追われているのか、はたまた別人か。


「――殺して、ください」

「なんだと?」


 理由を聞いているのに、切羽詰まったように告げられる。

 それだけで、あの声の主には見つかりたくないということなのだろう。

 面倒だとは思ったが、無暗やたらに殺す主義のないガレリウドは、周囲に手を翳した。

 掌から煙状のものが噴き出て、形を形成して徐々に具現化する。

 それは幻影とも呼ばれる下級魔術の一つで、何ら害のないものだが、文明レベルの低い手合いには脅威的なもののように見えるだろう。

 大きく具現化したのはグリフォンの翼をもつ猟犬、グラシャラボラスと悪魔の中では呼ばれている幻影。


「これで邪魔立ては入らぬだろう。理由を聞いているのだ」


 レヴィンのように冷酷なものなら、さっさと殺しているのだろうな。

 我ながら気の長い面が己にもあるものだと思いながら、再度問う。


「……っく、……お聞き、くださるの、ですか?」


 しゃくりをあげながら問われる。

 そのまどろっこしさは、何とも形容しがたい。

 意のままに、さっさと言えとでも剣を突き付けても、この娘は恐らく言わないだろう。

 それよりも、突き付けた剣に自ら飛び込んで自害しそうなものだ。

 何せ死のうとして、飛び降りたようなのだから。


「聞いてやる。そなたが『助けて』と願ったのだろう? 断片的にその言葉しか伝わってこなかったが、死にたいと望むなら先ほどそなたが発したように『殺して』と、願うはずだ」


 そう告げると、娘は吃驚したように一瞬だけ顔を上げて、また伏せてしまった。

 あの脳裏に響いた声は、この娘の声で間違いはないのだ。


「願いました……。わたくしは、……道具や人形のような扱いから抜け出したいのです。唯一穏やかで居られた娘とも引き離され、その娘が亡くなったことも知った今、ただ政のために使われる道具として宮中に閉じ込められ生かされるのは、嫌なのです」


 ようやく娘が理由を話し始めた。

 だが、やはり異世界。

 言葉の断片から全くもって理解出来ぬことがガレリウドには多々ある。

 道具のような扱いを受けるのが嫌だというなら、嫌だとはっきり言えば良いはず――と、そこまで考えてから、この娘が言える立場でないのか、それとも言ったところで覆らないのかと知る。

 宮中というのは、どこのことを指すのかわからないが、邸のようなものだろう。

 そんな風に娘の言葉を、己のわかるような語彙に変換しながら聞く。


「そなたの意のままに生きられないから嫌だと申すのか?」

「わたくしの意志は生まれた頃より、何一つ叶わないのです。ただ、帝になる子を産むだけの道具としてだけ生かされる」


 帝という単語は恐らく皇帝や王のことを示しているのか。

 異文化でも、そういった上下関係はあることは多い。

 つまりは、娘は子を亡くしたばかりなのに、また王の子を産む種馬としての扱いが嫌だと言うことか。

 ガレリウドの愛妾でも、生まれる前に子が亡くなっている。

 魔族の女でも、子を産めなかったというショックは随分大きく、宥めるのに何十年とかかった者もいるものだ。

 愛妾たちと違うのは、子を産むことを宿命とされた扱いに不満だということ。

 女の心理というのはガレリウドにはよくわからないが、出産に命を落とすこともあるという話は耳にする。

 魔族の場合、宿した子供の魔力が強大であればあるほど、母体となる者に負担がかかるのだ。


「死すれば、状況が変わるとでも思うたのか?」

「……輪廻転生の下、この世ではない運命を望んで――」

「そのようなものはない。死すれば、無だ。肉体は滅び朽ち果てる。魂が留まるには、それなりの業がいる。そなたは、見たところ年端もいかぬ身でそのような、つまらぬ理由で死にたいと願うのか?」


 娘の言葉を遮ってガレリウドが続けた。

 魂や肉体には永遠はなく、いつか必ず滅びる時がくる。

 ただ生命の長さが種族によって違うだけで、輪廻転生が本当にあるのなら、魔族の世界など戦をする意味がなくなってしまう。

 魔族は元々、忌々しき天使と呼ばれるものの派生。

 堕天使と烙印を押された末の種族なのだから、輪廻転生で前世の記憶まで持っていれば元々天界は平定していたのだから、今頃天界との戦争も、魔族同士での戦乱も起こらない。


「つまらぬ……?」

「そうだ。つまらぬ。柵から抜け出したいというのなら、死なずとも生きて抜け出せば良いだけのこと。それがそなた一人の力では出来ない、だから『助けて』と願った……ということであるな?」

「……はい」

「簡単なことだ。違う世界で生きれば良い」


 そう告げて、ガレリウドは娘の言葉を一つ一つ思い返す。

 今まで愛妾として迎えた魔族は、出産の経験のないものばかりだった。

 この娘は子が居たというからには、出産の経験がある。

 帝の子を産む道具になりたくはないとは言っていたが、なりたくないだけで、なれないというわけではない。

 それに、頑なに隠す顔や艶やかな黒髪を綺麗に整えたら、どうなるのか見てみたいという気にも駆られる。

 妃を作って子を為せとは侯爵閣下に命を受けたが、子を為さぬ者を妃として迎えることが出来ない今、出産経験のある女というのはガレリウドにとって貴重な情報源ともいえる。

 声の主を探しにきて得た収穫は大きい。


「違う、世界……?」

「条件を飲むというなら連れてやろう。飲めぬというのなら、望み通り――殺す」


 それは悪魔の囁きのようにも思えるのかもしれない。

 脅すような物言いだが、ガレリウドには殺すつもりなど到底ない。

 飲めぬというなら、娘が飲むというまで躾ければ良いだけのこと。

 だが、彼の思いに反して娘の言葉は脳裏によみがえった声と一致した。


「……助けて、ください。この世を抜け出すことが出来るのであれば、厭いませぬ。ただ、わたくしに出来ることなら――」


 その言葉に、思わずガレリウドの口角が知らずのうちに吊り上った。

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