20.戦場の華
荒れた地を武装した歩兵の足音と、魔獣が走る音が地面を鳴り響かせて砂煙を起こした。
行軍するその中でも、やや大きな箱型の戦車の中に、ガレリウドは指揮官として各隊に指示を飛ばしていた。
その傍らには、戦場とは全く釣り合いそうにない華やかな和装、紅の匂の五つ衣に緋色の唐衣を召した香子が、少しでも戦車の揺れを軽減するべく置いたふっくらしたクッションを誂えた座椅子に、慎ましく鎮座していた。
最も、何もすることがないため退屈ではないかと、指示を飛ばす傍らでガレリウドが話し相手となっているが、揺れに慣れてくると座ったまま眠ってしまったりして、戦で張りつめた緊張を解すような緩和剤となっている。
戦地までは約一週間。
侯爵からは疲弊した兵と入れ替わるような陣形をとって、一気に片を付けるつもりで陣を展開するようにと伝えられた。
いつも先陣切って敵を葬り去るガレリウドは、香子を乗せた戦車をどこに置くか、ほんの少し悩んでいた。
連れて行くと豪語したが、戦況からすると先陣に当たる場に置くと敵の魔術が飛ぶという。
そうなると本陣に当たる場に置く方が安全ではあるが、一人留め置くというのは……本陣で取り仕切る者の許可を得なければならない。
取り仕切っている者が誰かまでは聞き及んでいないが、もしもレヴィンのような者であれば本陣に置いておく方が危険そうである。
「……御顔が、険しそうですが――」
ぺたっとガレリウドの頬に細い手が伸びてきた。
心配そうな香子の顔、座椅子から降りて、うんと背伸びをしている。
その手を重ね、ガレリウドは背伸びする香子に視線を合わせるようにして、少し屈んだ。
「心配ない。そなたを乗せたこの車を安全な所へ置くための模索をしていた」
「やはりついてこなかった方が、良かったのではないでしょうか」
「何を言う。ついて来なければ、そなたは不味い血を飲むことになるのだぞ」
「不味いなんて……。あ、味のことを、嫌っているわけでは……なく……」
言葉に詰まり、困ったような香子の顔。
血を嫌うとはいえ、戦場に来ても負傷した兵の血を見ることもあろうに、とまでの意地悪は言わないことにして、長い髪を梳いた。
「戦場は既に開戦している。加勢として布陣する故に、危険はあるが……この戦車は所謂魔法具の一種であるからな。今は車輪を用いて魔獣に引かせてはいるが、その気になれば土の中や水の中を潜ることも出来る」
「まぁ……。土や水の中に? 土の中だと真っ暗になってしまいそうですね」
窓は中が見えないようにとカーテンを閉めているから、土の中に入ったとしても、この状態と大して変わり映えはしないのだが。
そう思ってから、ガレリウドは香子はもしかして魔獣ごと土に潜るとでも考えているのだろうかと疑った。
発想豊かというか、この気質は何とも言えない。
「土の中には行かぬよ。我の傍に置くと申したであろう。万全の守りを施した上で連れるつもりだ」
そう言ってガレリウドは何事か命じる言葉を紡ぐ。
魔術を駆使するための言葉、香子には聞き取れず、何を言っているのかはわからない。
だが、淡く青い光や橙の光が香子を取り巻いて、薄い膜状のものを張ると同時に薄く見えなくなった。
何をされたのか、さっぱりわからない香子は首を傾げて、ガレリウドを見つめる。
説明を求めるような顔を向けられ、ガレリウドは再び香子の髪を梳いてから、大きく揺れて傾く身を支えた。
「守護の魔術だ。血の契約だけでは守れない物理的衝撃も、魔法による干渉も守護する。無論、魔術とて万能ではないから効果は時間と共に薄れるが、我がかける魔術だ。そう簡単には破れるものではない」
殲滅将軍と恐れられるガレリウドは、ただ単に戦に突撃する魔将軍ではない。
必要とあらば魔術をも駆使する。
というより、こうした守護の魔術であったり、己の能力を高めるための魔術を得意としている。
支援の術は直接攻撃する魔術と違って地味なものだが、自己能力の高いガレリウドには攻撃魔術がなくとも己の体躯だけで切り抜けることができる。
一応、攻撃魔術を使う敵を知るためにも、魔術自体は知ってはいるが使うことは皆無であった。
「難しいことはわかりませんが……。ガレリウドさまが仰るなら、信じます」
魔術の詳しい話しをしたところで、香子にはまだ読み取ることは出来ない。
それでも不可思議なものに驚いたりしないために、噛み砕いた説明が省ける方が今は助かる。
戦が終われば、いずれ魔術の話をしても良いかもしれない。
「伯爵閣下。侯爵閣下が――」
不意に、行軍する戦車の車輪が緩やかになり、停止した。
そしてかけられた配下の魔将による声は、いつもよりも畏まっている。
空気そのものが張りつめたように、歩みを進めていた歩兵や、魔獣の鳴き声すらもしんっと静まりかえる。
「あぁ、いちいち報告などせんでも良いわい。さっさと兵を進めよ」
年寄扱いするなとでも言うような頑固な声。
ガレリウドすらも、先ほどまで難しい顔をしたり、香子に優しく向けていた表情すら凍る。
外気を含ませて戦車のハッチが開き、姿を現したのはガレヴァーン侯爵閣下だった。
侯爵閣下が戦車に乗り込むと同時に、また兵が進み魔獣の足も進んだ。
「行軍ご苦労じゃな、ガレリウド。――して、そちが新しく娶ったというのは、この娘か?」
侯爵が顎をしゃくる先は、当然とばかりに香子に向いている。
刺された香子は檜扇で横顔を隠して、ガレリウドの後ろに隠れようとしている。
いくら体躯のあるガレリウドと言えど、香子の身は隠せても華やかに膨らんだ衣装は隠せず、侯爵にはバレバレである。
ガレリウドは一つ嘆息しながら、侯爵に椅子を譲った。
一体、どこから情報が伝わったものなのやら、この地獄耳の侯爵には敵わないと肩を竦めた。