11.要望
伯爵閣下の「拾い癖」には困ったものだ。
とにかく、戦地で困っていたり、侯爵閣下から押し付けられたりすると、どのような女であれ拾ってくる。
男を拾うときもあるのだが、それは配下の魔将として役に立つが、女は特に戦を好む種族であっても面倒くさい。
伯爵閣下が拾ってくる女、そのほとんどはガレリウドさまの伯爵という地位に目を光らせて猫を被ったものであったり、戦を好まない妖精の子供であったり、忌み嫌われるハーフエルフであったりと、碌なものが居ない。
愛妾という立場を利用して出してくる女どもの要望を聞いていたのでは、身体がいくつあっても足りない。
何せ27人も、居るのだから。
そのくせ、正妻として傍に置いている女も居ない。
こうなっては、いつまでたっても拾い続けてくるのではないかとイグネルフは危惧した。
27人目の愛妾を迎えた二千年前に、「これ以上は拾わないでください」と釘を刺したのだが、時が経つとそういったものは忘れ去られるのだろうか。
侯爵閣下の領土へ突然出かけられた後、帰ってきたと思ったら、また女を拾ってきたのだから。
「中宮さまは退屈なさっておられます」
「は?」
伯爵閣下より承っているイグネルフ専用の執務室に、マットレス1号が突然入ってきたかと思うと、意味のわからないことをのたまっている。
このマットレス1号は、2号の侍女だというが、侍女の分際でイグネルフに要望を出してくる迷惑な娘だ。
主人にあたる2号から、直接頼まれたでもないのに、やれ櫛が欲しいだの、香を炊く草が欲しいだの、魔族の世界にはないものを頼んできたりするから、一度異世界に返して必要なものを取りに行かせたのだが、短時間で荷物がまとめられるわけがないと言う。
「何を用意しろと言うのだ」
「木簡を……。文字を書きつけるものがあれば」
「紙のことか?」
イグネルフの執務机には書類とした紙が大量に積まれている。
その書類にチラリと目線がいったのが、マットレス2号の持つ扇とやらが動いて嫌でもわかる。
それにしても、紙が欲しいなどとは……一体、何に使うというのだ。
「紙は貴重なものでしょうから。ただ使いさしでも頂けるのであれば……」
いつもは強気であれが欲しい、これが欲しいというマットレス1号だったが、今日ばかりは何故かしおらしい。
紙が貴重なものとは……意味がわからん。
ゴミ箱にくしゃくしゃに丸めて捨てた紙が多々ある。
それらを羨ましげに見るというのは、何とも……異世界から来た高貴な身分の娘としては、疑いたくなるほどみずぼらしい。
「わかったわかった。後で届けるから、部屋で大人しくしていろ」
紙ぐらいなら、伯爵閣下に申し立てなどしなくても構わない気がしたが、マットレスたちの世話は伯爵閣下の私財から賄うために、要望があれば伯爵閣下にお知らせすることになっている。
領土からの税金で賄うなどあってはならないから、当然だ。
マットレス1号を執務室の外に追いやると、溜まっている書類に目を通した。
今までで、一番くだらない要望だな。と、イグネルフは脳裏で思った。
午前中に書類を全て目を通し終えると、この書類の束は伯爵閣下に送られて、承認が得られれば案件が通るようになっている。
その書類を抱えて、ガレリウドの私室へと向かった。
ノックをし、許可を頂いてから、質素な私室に足を踏み入れる。
この頃は、マットレス2号が伯爵閣下の私室に居ることもあるため、顔を合わせたくもないイグネルフはこのノックで中にマットレス2号が居ないか確認している。
もし中に居たら、ノックの後にマットレス2号が退室してくるからだ。
音一つで追い出せるというのは便利である。
「今日の分の書類です」
「あぁ、ご苦労」
「それと。……マットレス2号が、要望を出してきています」
「ふむ。香子に困ったことがあるなら、全てお前に言うようにとしたからな。それで、何を頼まれた?」
伯爵閣下はこの頃、マットレスたちの要望を面白がりながら聞いている節がある。
27人の愛妾の要望には、冷たい声で「言うとおりにしてやれ」としか命令を下さないが、マットレスの言うことは要望が何か、何に使うのかまで興味を示して執着されている。
「紙が欲しいそうです。文字を書きつけたいとか」
「紙……? そのようなもので良いのか?」
この反応は、イグネルフが最初にした反応と同じだ。
だが、伯爵閣下は、そういえばと、何か思い当たる節でもあるのか考えこんでしまわれた。
あのマットレスの要望で伯爵閣下を考え込ませるとは、ただの紙ではないということなのか?
イグネルフは首を傾げながら、ガレリウドの言葉を待つ。
「香子の世界では紙は高級のものだったと聞く。精製技術が高くなかったのだろうな。良いではないか、紙ぐらい。様々な種類のものを集めて、ついでにペンやインクなどの筆記具もつけてやれ」
「はぁ? ですが、ガレリウドさま。書くものを与えて、敵対している者に手紙など送られたりしないかと――」
「構わん。そもそも香子の書く文字は、我らが使う文字とは違うではないか。誰がそれを解読出来るというのだ? それに、この世界に我以外の誰が香子を知っている?」
確かに、あのマットレスどもは、文字が読めなかった。
会話は出来るが、それは此方側が会話出来るようにと魔術を使っているからに過ぎない。
「すぐに手配させます……」
渋々と承諾すると、ガレリウドの私室を退室した。
あのように楽しそうな伯爵閣下を、戦以外で見るのも珍しい。
と、イグネルフは自分の執務室に戻ろうとしたら、マットレス2号が歩いてくるではないか。
ガレリウドの問答に呼ばれたのか、イグネルフに気付くと扇で顔を隠しながらもお辞儀をしてくる。
イグネルフが嫌っているというのを知っているせいか、必要以上にはマットレス1号より声をかけてくることはない。
……というより、マットレス2号はあまり声を他に聞かせるといったことはしないとか、伯爵閣下が言っていたような気がする。
「あぁ……その、マットレス2号、心して聞け。伯爵閣下の許可が下りたから後で紙を届けさせる」
問答の間に、紙はまだかと催促されては、己が伯爵閣下に報告していなかったようになると思い、仕方なくイグネルフは口を開いた。
そうすると、マットレス2号は吃驚したように、扇を取り落しそうになって慌てたのがわかる。
何故、そこで慌てるのか、意味不明だ。
「貴重な紙を……で、ございますか? ありがとうございます。イグネルフさま」
その答えだけで、やはり要望として勝手に出してきたのは、マットレス1号の方だとわかる。
2号を思ってのことだろうが、マットレス1号は、もう少し警戒しなくてはならない。
何せ転送陣を魔力を持たぬ人の身で使って、この世界にやってきたのだからな。
ただ、このマットレス2号に関しては……。
いやいや、いかんいかん。
心を許したりして、うっかり香子などと呼んでは、伯爵閣下を陥れる者だったりしたら、私が閣下を諌めなくてはならないのだから。
イグネルフは気を引き締めなおすと、マットレス2号の横を通り過ぎて執務室に向かう。
すれ違いざまに、マットレス2号の横顔が見えた。
少女から成熟した女性に入る境目ぐらいのうら若い娘の顔。
ほんのりと頬を染めていたのがわかる。
やはり……女というのは、全くもって不可解な生き物だ。