9.宥め
「それで、ガレリウドさま。あのマットレスをいつまで置いておくのですか?」
私室に戻ると早速とばかりにイグネルフが問い詰めてきた。
執務用の机に、ゆったりとしたソファーと、天蓋のついたキングサイズのベッド。
本来ならもう少し小さな部屋で、眠るだけが目的とした部屋で良いとガレリウドは主張したが、イグネルフが伯爵閣下の私室が粗末な部屋では示しがつかないという理由に押し切られ、調度品は飾り立てず必要以上な家具を置かないと譲歩した上で、使っている私室だ。
戦いの権化であるガレリウドは、戦場に行かない間の過ごし方といえば、領地内の諍いを治めるとか、領地内を便利にするために建設している建物などの査察に訪れてみたり、嫉妬深い愛妾の様子を見に行ってみたりと、邸に居ることは少ない。
それでも邸を疎かにするわけにも行かず、イグネルフを始めとして腹心の魔将や、使用人を置いてはいるが、伯爵邸としては魔族の中でも最も簡素な邸となっている。
ガレリウドは執務机に供えられた柔らかい背凭れのあるリクライニング式の椅子へ身を沈めて、対面で立つイグネルフを諭すように口火をきる。
「マットレスではなく、香子と……、琴式部というそうだ。ひとまず、三ヶ月は置く。侯爵閣下に妃を娶って子を為すまで、戦場には出さぬという命令を下された。その期間が三ヶ月だ」
「妃……ですか? まさか、愛妾ではなく、あのどちらかを妃に迎えると?」
「そうではない。侯爵閣下の邸で香子の希求の声音を聞こえた為に答えただけのこと。それに――香子は、子を為したことがあるというから、参考になることが聞けるかもしれぬだろう。イグネルフは腑に落ちないだろうが、我の愛妾が子を宿しても産み月になる前に子が死んでしまうのは何故だと思う?」
魔族同士の子孫繁栄はそれほど難しくはない。
それゆえに、異なる種族の魔族が交わったりして、混血が広がり新しい魔族が増え続けている。
純潔の魔族というのは少なくなってきている。
戦災孤児でガレヴァーン侯爵に保護されたガレリウドは、己自身がどのような魔族であるかは侯爵によって聞かされていた。
魔族の中でも、魔王と呼ばれる種と人間の間に生まれた混血種。
内に秘める魔力は大きく、母体となった人間の母はガレリウドを産み落とした後は、床に臥せたまま衰弱して亡くなった。
実は人間との混血は魔族の貴族の中では、あまり好ましく思われてはいない。
ガレリウドに爵位を授ける際に、ガレヴァーン侯爵がガレリウドの出生を調べあげて、その事実は表向きは伏せられている。
歳を重ねるごとに、力は肥大し、実力だけであれば公爵に並ぶ。
だが、その力を利用して権力に溺れるわけでもなく、伯爵に留まって保護したガレヴァーン侯爵の下で仕えることや、戦場で出会う迷い子のような孤児を拾ってきてしまったり、愛妾として置いたりするのは人の血が流れているからかもしれない。
「はぁ……。それは、何とも奇妙な話ではありますが。貴族の中では、ガレリウドさまの魔力が強すぎるのではないかとか、相性が合わないのではないかと言われておるそうですが」
イグネルフは、もそもそと口ごもりながら答える。
本心ではあるが、主であるガレリウドに自分の意見として告げるのは口幅ったいと思ったのだろう。
だから「貴族の中では」と、あくまで風の噂というように言葉を濁した。
「我とて理由がわかれば数千年も放置せぬわ。だから聞くのだ。経験者に――」
「それなら、初めから他の子を為した侯爵閣下や、伯爵……あぁ、レヴィン殿などに話を伺えば良かったのでは?」
「イグネルフ。そのような無粋を侯爵閣下や、レヴィンなどに聞いたら、からかわれるのは目に見えているだろう。自尊心などはないが、女のことを聞くなど我の性に合わん」
それを自尊心というのではないだろうかと、イグネルフは首を傾げそうになったが、口を慎んだ。
三ヶ月、何も変わらなかったら、あのマットレスたちがこの邸から消えるのであれば、三ヶ月は我慢するしかない。
やれやれと嘆息したイグネルフは、「お好きなように」としか答えることが出来ない。
だが、それでガレリウドに妃が出来るなら、次々と愛妾を拾ってきたり、子供を拾って来たりすることは少なくなるだろうか。
そんな風にも考えが及ぶと、イグネルフはこれまた複雑な心境になるのだった。
「全く、ガレリウドさまという方は、本当に変わった方だ」
「……ふむ。その物言いは、先ほどの琴式部とやらに似ておるな」
「なッ――、あのようなマットレス1号と同列にされるなど、不愉快です!」
今度はガレリウドが嘆息する番だった。
どうやらイグネルフが、「香子」と「琴式部」をそのままの名で呼ぶのは時間がかかりそうだ。
イグネルフの中では、「香子」はマットレス2号、「琴式部」はマットレス1号となっている。
逆にその方が呼びにくいような気がしたが、恐らく認めるまでそのままであることを、ガレリウドは嫌というほどよく知っている。
「ともかく、邸を勝手に追い出したり、愚弄することは許さぬ。聞けば香子は高貴な身分のようだからな、客人として扱え」
ガレリウドが締めくくると、イグネルフは渋々と承知してガレリウドの私室を退室した。
室内に残ったガレリウドは、もう一度大きく嘆息した。
香子は魔力を感じられず人間の匂いがした、同じ人間の血が流れるガレリウドにしてみれば半分は同類なのだ。
脳内に響く希求の声は殺さずして、手元に置くなど初めは予想もしていなかった。
これがどうして邸まで連れてきてしまったのか、問答の相手とするなら数日で済むことに違いないが、無性に気になった。
それが何故なのかはガレリウドには、まだわからない。
ただ、興味が湧いたにしては、戦以外のことでは珍しいものだ。
「やはり、顔を隠すから暴きたいと思うのだろうか?」
逃げるものを追いたくなったり、秘めるものを暴きたくなる衝動は誰にでもある。
一人呟くが、ガレリウド一人しか居ない私室には、その問いに対する答えは何も返ってこなかった。