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SF短編集

Unshared Blue

作者: 朝陽 遥


 ぴりりとした緊張感が、外殻の一枚下に満ちている。

 見る間に上がっていく高度、それにつれて深みを増す空の色。一気に冷えた空気が、わたしの中を満たす。エンジンの出力を切り替える。酸素と気温の表示を確かめるまでもない、体じゅうの部品ひとつひとつが、この高度を覚えている。

 機首の角度を変えて、徐々に水平飛行に移る。たしかな手ごたえとともに、絶妙なタイミングを捉える。強い気流を完全に捉えてぶれることのない、われながらほれぼれとするような姿勢制御。

 上昇中にカットしていたいくつかのセンサーを目覚めさせると、世界は一変した。

 高高度の空は、深い濃紺。右後方の太陽が、ぎらぎらと銀色に燃え上がっている。地平線は淡く水色にかすみ、十二個のカメラが見渡す全方位視界のすべてが、身のうちに光をたくわえている。ただひとつ、この空に溶け込む紺色に塗装された、わたし自身のボディをのぞいては。

 どんな空でも自在に飛んでみせる、といいたいところだけれど、それでもやはりこの高度、この空こそが、わたしの領域なのだった。設計理念に沿った、もっとも力を発揮する空間。

 今日は、いままでの飛行でいちばん調子がいいかもしれない。腹の底でエンジンが立てるクリアな音も、主翼が風を切り裂く手ごたえも、背面に叩きつけるような太陽の熱も、なにもかもが快かった。各部の動翼を微調整、ゆっくりと機体を左右に振って、調子をたしかめる。異常なし。

 最高のフライトになりそうだった。



 シグナル。衛星経由の情報が、友軍機の接近を告げる。所属と型番を確認。NF65。やや旧式とはいえ、バランスのいい戦闘機だ。

 機影がわたし自身のレーダーに表示されるまで、さして時間はかからなかった。同じく哨戒任務中なのだろう、巡航速度で流している。位置と速度からすると、じきに近距離ですれ違うはずだ。

 やがて光学カメラが、前方の空に黒い機体を見出す。

 光を吸い込むような漆黒の装甲、シャープな線をした小柄なボディ。カタログとすこしシルエットが違うと思ったら、腹の機銃をひとつ外してあるようだ。細かな傷を何度も塗装しなおしたのがわかる、見るからに古参の機体だった。

 幸先がいい。長年にわたって戦線を潜り抜けてきたベテラン機から、験をわけてもらうといって、仲間たちは皆、こうした遭遇をとても喜ぶ。整備士たちがそろって縁起を担ぐので、それを見ている機械のほうも影響を受けるのだろう。わたしももちろん例外ではない。

 挨拶がわりに向こうから、小さなバンクを寄越してくる。その、ささやくような翼の振れの、優美なことといったらなかった。

 少し緊張しながら、同じように答礼を返す。合図には、短波での交信のほうが具体的で確実だし、いまの技術ならば、それを敵に察知される心配もない。それにもかかわらず、たいていの戦闘機は信号を送るよりも、こうした挨拶を好む。

 それは合理性や戦術ではない、誇りの問題だった。何気ない姿勢制御に己の腕前をにじませて、わたしたちは翼を揺らす。

 黒い機体が、太陽に吸い込まれるようにして、東の空へ遠ざかってゆく。遠目に眺める軌道ひとつとっても、その動きは、このうえなく洗練されていた。

 その後ろ姿の優美さが、記憶領域の奥からひとつのデータを呼び起こした。記憶といっても、わたし自身のものではない。僚機から引き継いだ記録の中に、その映像はある。

 白い、美しい機体だ。

 ほかでは見かけたことのない型式。交戦記録どころか、どのカタログの中にも似通ったものが存在しない。所属も、製造元もいまだ不明。何もかもが謎に包まれた白い戦闘機は、いっとき仲間たちの話題をにぎわせていた。

 映像の中で、その所属不明機は凹凸のほとんどない、シンプルなフォルムに見える。何の兵装のためか、胴体の上部がわずかに膨らんでいる。その両脇には、これだけでほんとうにことが足りるのかというような、小さな主翼が突き出している。

 けれど記憶の中で、そいつはひどくあざやかに風を切って、空を舞うのだ。何度となく映像を呼び出しても、そのたびに見とれてしまうほどに。

 先ほどのNF65と、あの白いやつとならば、どちらがより見事に飛ぶだろうか。基地に戻ったら、仲間たちの意見を聞いてみたいものだ。



 下方の雲が切れて、流れてゆく地上のようすをカメラが映す。長く伸びた山脈の、峰々に残る雪が、陽光を受けて眩しくきらめいている。鋭い峡谷。山麓に繁茂する緑が淡く霞んでいるのは、雨のなごりだろうか。

 二度目のシグナル。今度は基地からの指令だった。

『一九二基地司令部よりN005190へ。予定の哨戒空域を変更』

 電文のあとに、ルートを示す記号が添付されている。理由の説明は付されていないが、いつものことだ。

 航路を修正し、了解の返信を送ったところで、ちょうど定時になった。尾翼の先、たたんだばかりのアンテナが再び起動し、基地の方角をさす。任務中は緊急時をのぞき、三〇〇セカンドおきに、飛行記録を送信することが義務付けられている。

 ただ飛行記録といっても、その内容は厖大ぼうだいなものにのぼる。すべてのセンサーと計器類が拾った情報、数値、映像、あらゆる周波数の音。それから操縦にまつわるルーチンのひとつひとつ、CPUが下した判断のログ。この頭の中身、ほとんど丸ごとといっていい。それが後に解析されて戦略に活用され、同型機たちとのあいだで共有される。

 アンテナがわたしの頭の中身を吸いあげて、通信波を打ち出す。ほんの数ミリセカンドのあいだになされる厖大なデータ処理に、くらりと思考がゆれる。

 刹那の意識の空白、あるいは断絶。

 わたしが作られた三年あまり前、送信間隔は六〇〇セカンドおきだった。昔はもっと長かったという。年を追って短くなっていくのは、データ通信の速度と暗号化技術が、それだけ向上しているからだ。

 ――時代の流れ、ってやつだな。

 そういうような言葉が、整備士たちの口癖になっている。

 かつて、人工知能開発のブレイクスルーとともに、戦争の概念が激変したという。なんせ、それまでは人と人が銃器を持って戦い、戦闘機もほとんどすべて人間が操縦していたというのだから。そしていま、通信速度と暗号技術の劇的な革新とともに、戦闘機のあり方がすみやかに変わっていこうとしている。

 ――通信を傍受されることが前提だった時代には、もっと機体を大事に運用したものだがなあ。

 溜め息とともにそうぼやいたのは、アレックス。その道三十年というベテラン整備士で、上官に苦虫を噛み潰させる腕前のほうも、名人級だ。戦闘機によけいな知識を吹き込むといって、彼が上層部から煙たがられているのを、一九二基地の戦闘機のあいだで知らないものはない。

 ――それにしても、お前はよく墜とすなあ。

 敵を撃墜して帰ると、アレックスはいつもわたしの外装をぽんぽんと叩いて、そんなふうにいう。

 たしかに、わたしの撃墜数はほかの僚機にくらべて多い。統計上の誤差の範疇を越えて、だ。その違いがどこから来るのか、というのは、みなの興味の集まるところだった。

 わたしの同型機たちは、同じ基地で現在運用されているだけでも、十七機にのぼる。そのすべてがまるきり同じ設計図、同じ材質で作られて、その上、定期的に記憶と経験を、ほとんどそっくり共有している。

 それにも関わらず、運用年数を重ねるほどに、個体ごとの差が開いてゆく。人間の技術者たちはデータを分析しながら、しばしば首をひねる。どこからその違いが出るのか、説明できないといって。

 それはわたしたち自身にとっても、とうてい知りようのないことだ。

 もしかすると部品の形状に、整備士たちも検査機器も見落とすほどの、わずかな差異があるのかもしれない。そうでなければ、ひとつ強引な制動をかけるたび、あるいは整備士たちの手による修理とメンテナンスを受けるたびに、機体に累積していくひずみや金属疲労であるとか、CPUを電流が駆け巡るたびに回路に降り積もって行く微細な負荷であるとか、そういう眼に見えない部分の、積み重ねなのかもしれなかった。

 けれどそれも裏づけのない推量に過ぎない。

 ――データを見せてもらったが、まるで魔法のようだった。お前には、相手の十秒も先の動きが見えているんじゃないかと思ったよ。なあ、どうやって狙いをつけているんだ?

 興奮したようすでそう聞いてきたアレックスは、まるで着任したての若手整備士のように、顔を紅潮させていた。

 わたしは自分が戦闘のときにくだした無数の判断とルーチンを、ひとつずつ順に思い起こしながら、それをアレックスに伝えるための語彙を探すのに、少し迷った。

 勘で。

 彼の端末に向かって、平文でひとこと送ると、アレックスは目を丸くして、それから大声で笑った。

 ――はっはあ、勘か。そいつはいい。

 その笑い声があまりに大きかったので、休憩中だったほかの整備士たちが、驚いて集まってきたほどだった。

 人類の歴史は代理戦争のくりかえしだと、いつかわたしに話して聞かせたのも、やはりアレックスだ。

 酔うと決まって格納庫にやってくる彼は、ある日、赤ら顔をきつくしかめながら、その話をした。

 ――お前らが代わりに戦ってくれる、そのおかげで、俺たちが血を流さずにすんでいる。

 低い声だった。いつか、整備不良が原因で仲間の一機が帰ってこなかったときの言葉と、それは、ちょうど同じような波長をしていた。

 ――堪忍してくれ。

 そういいながら、わたしたちが無事に基地に帰ると、誰よりも手放しで戦果を喜び、ねぎらってくれるのも、アレックスなのだった。

 ――ようし、よく帰ってきたな。名誉の負傷だ。きれいに直してやるからな。

 わたしたちが出撃するとき、整備士たちは口々に声をかけてくる。それは型どおりの文言だったり、たわいのない冗談だったり、強い調子の激励だったりする。

 アレックスはその中でひとり、いつも敬礼をして、無言のうちにわたしたちを見送る。まるで、人間に向かってそうするように。その姿を見て、どれほど彼の上官や仲間が呆れ、物笑いの種にしても、彼はかならずそうする。



 尾翼のアンテナが、信号をとらえる。

『一九二基地司令部よりN005190へ。所属不明機を発見。確認に向かえ。警告に応じない場合、即時交戦を許可』

 電文のあとに、三次元座標が添付されていた。目標の現在位置と、このまままっすぐに向かったときの、遭遇予想空域。近くの基地から応援が来るとして、それまでに最短でも一八〇〇セカンド程度はかかると思われた。接敵は単独になる。

 機首を傾けて、高度をわずかに落とす。たったそれだけで、空の色が変わった。深い紺色から、鋭いような群青色へ。

 兵装をスタンド・バイ。衛星からの情報を呼び出して、目標空域の天候を確認する。いまの季節、この高度に雲がかかる可能性は低いけれど、交戦中に思いがけず高度が落ちてしまうことはある。

 目的の空域は高気圧に包まれて、晴れ渡っているようだった。

 それにしても、不明機の情報が何も添えられていなかったというのは、妙な話だ。衛星のレーダーが発見したのであれば、多少の手がかりくらいはあるはずだし、逆に地上からの目視発見にしては、位置が高すぎる。

 ちょっとした、予感のようなものがあった。

 わたしが勘だとか、予感だとかいうような単語を使うとき、整備士たちは面白がって笑う。それでも、蓄積したデータの海から湧き上がってくる、確度のそれほど高くない予測のことを、それ以上にうまくあらわす言葉を、わたしは知らない。

 ともかくその感覚が、わたしにひとつの記憶を差し出していた。軽やかに空を舞う、白い機体。

 記憶の中で仲間の思考が、ただ一言、ため息のような残響を残している。

 ――速い、と。



 指示された空域に近づいても、レーダーには何も映らなかった。

 目標は航路を変えたのか。それとも、レーダーにまったくひっかからないだけのステルス性能を持っているのか。確かめる前に、残量の少なくなった増槽を切り捨てた。

 放物線を描いて落ちていく燃料タンクのぶん、わずかに身が軽くなる。エンジンを切り替える。急制動に対応できるように、ノズルを調整する。

 眼がいいのが、昔から自慢だった。距離にせよ、解析度にせよ、わたしたちのシリーズに使われている光学カメラは、現行の戦闘機の中ではずばぬけて性能が高い。

 そのカメラの視界、はるか遠くの空に、小さな白い影が映った。

 回路に、びりびりと激しい電流が走る。あらかじめ用意していた通信パターンを、基地に向かって送る。目標発見、警告後交戦。

 視界の中、白い点が近づいてくる。交信可能と思われる距離まで、あと五ミリセカンド――二ミリ――到達。

 規則に定められた警告文と、こちらの所属を添えたマーカーを、短波に乗せて前方へと叫びながら、わたしはその返信を、期待してはいなかった。あるいは、相手が答えないことをこそ期待していた。

 胸が躍るとわたしがいったら、アレックスは笑うだろうか。

 期待は裏切られなかった。機影がはっきり確認できる距離になっても、返信はない。

 加速。第一種戦闘態勢にシフト。何をするよりも先に、アンテナの設定を書き換えた。記録送信間隔を、平常時の三〇〇セカンドから、最大の九〇〇セカンドへ。

 経験と記憶の海の底から、何者かが叫んでいる。――数ミリセカンドのラグも、命取りになる。



 敵の腹で、機銃がきらめくのが視界に入った。わずかに機首を持ち上げながら、敵機の予測軌道上に弾丸をばら撒く。当たることを期待してではない。向こうの進路を絞るための、威嚇射撃だった。

 だが機銃が六発の弾丸を吐き出しきるよりも早く、白いのは軌道を変えていた。それも、わたしが予測しなかった方向へと。

 弾丸から、おそらく十センチと空けない距離を、そいつはすり抜けた。

 その瞬間、わたしの回路に走った電流を、どう説明したらいいだろう。

 旋回しかけたわたしの軌道をめがけて、そいつは精確な射撃を寄越してきた。回避ルーチンが発動しかけるのを、とっさに抑える。ノズルの向きを変えて、強引な急制動。

 セオリーをはずれた無理な機動に、機体がきしむ。その瞬間、なぜ自分がそうしたのか、わからなかった。

 けれど結果的に、その選択肢は正解だった。次の瞬間には、ほかのどういう挙動で避けていたとしても、避けた先で撃たれただろうという座標に、弾丸がばら撒かれていた。

 わたしの制動を見て、白いのが動きを変えるのがわかる。どうやら向こうも、警戒を強めたらしかった。

 それにしても、美しい機体だった。

 近くで見るといっそう、その優美さは目を引いた。やわらかな曲面で構成された流線型の機体は、太陽の陽に銀色に煌いて、これがどうしてレーダーに映らないのか、不思議なほどだ。

 側面のカメラでその姿を追いながら、いったん敵機から遠ざかる軌道をとる。直後には、体をひねって強引なターン。

 一瞬、揚力を失って落下しかけた機体のねじれを、ノズルの調整と、八枚の動翼の緻密な制御で、瞬間的に立て直す。急加速。ホーミングミサイルを発射。六機しか積んでいない虎の子だけれど、惜しんでいる場合ではない。

 白い戦闘機の腹で、銃口が光る。

 迎撃されることは、予測していた。だがその速さと射撃の精密さは、わたしの想定を超えていた。

 爆発。

 上がった炎と黒煙の向こうで、何かがきらめく。爆風に煽られる機体を立て直す。機銃の弾が装甲をかすって、飛び去っていく。それを避けるので精一杯で、制動にフェイクを入れるだけの時間的余裕がない。

 やられる、と思った。

 けれどその瞬間が、やってこない。機体を立て直し、距離をとって後部カメラで機影を確認すると、白いのは予測よりも遠い位置から、追いかけてきていた。

 なぜ即座に追撃してこなかったのか。妙ではあるけれど、考えるための思考領域が惜しい。

 気流の解析。軌道計算をせわしなく続けながら、後部機銃で牽制する。一七mm弾が、あっけなくかわされる。最小限の動きだった。掠めそうでいて、実際には掠りもしない、絶妙な軌道。

 白い戦闘機の腹で銃口が光った瞬間、風が唐突に強まった。

 機体がぶれる。気流に便乗して、ほとんど吹き飛ばされるように位置を変えた。真横を、弾丸の雨が流れてゆく。

 ざわりと、装甲を撫でるような赤外線を感知した。回避ルーチンが発動。射出したフレアが、まばゆい光を放ちながら落ちていく。急角度で旋回。敵機が放出したミサイルが、フレアの輝きに吸い込まれていく。

 爆発は、予想を超える威力だった。

 横殴りの爆風に流される。ノズルを微調整して錐揉み状態から回復。エンジンに無理をさせて速度を取り戻すと、先回りするような位置を、白い機影が飛んでいた。

 ぞっとするような間合いだった。機体をひねった、その腹側の装甲を掠めて、四〇mmの銃弾が飛び去っていく。白い機体の腹に格納されていたらしい、機関砲の射出口が、いつの間にかあらわになっていた。

 動きを、読まれている。

 その考えは、馬鹿げていた。わたしはセオリーとかけはなれた動きをしている。

 けれど白いのは、現にわたしの挙動を読んでいるとしか思えない位置に、弾丸を撃ち込んでくる。

 前に一度だけ、本当に敵機から思考を読まれたことがあった。電子戦仕様の、最新鋭の攻撃機。動きも鈍く、たいした火力もないくせに、手ごわい相手だった。

 だがいまは、そういう侵入の感触もない。ではこちらの動きを、見ただけで読みきっているとでもいうのだろうか。いったいどれほどの処理速度を持つCPUを持ち、どれだけの経験を積めば、そのようなことが可能になるのか。

 かと思えば、こちらがひやりとするような場面で、なぜか追ってこない瞬間がある。いまがそうだった。すかさず追撃があってもよさそうなものなのに、妙に遠まわりする機動で、白いのは追いかけてくる。おかしな違和感がある。こちらの意表をつくというには、不自然な間。

 セオリーをはずした動き、というならば、わたしだってそうだ。けれどその外れ方に、不自然さがある。何かを狙ってやっているのだろうが、その狙いがわからない。

 機体の重量や形状、武装の特性によって、制動には向き不向きがある。こういう重量と速度の機体なら、当然こう動くだろう、というわたしの感覚から、それは、ことごとくはずれていた。

 後方から撃たれる。口径と軌道を確認、向かってくる弾丸をあえて無視して、ホーミングミサイルを三機、同時に放出する。避けなかった弾丸が、装甲をがりがりと削ってゆく。

 敵機が放出したフレアを後部カメラで見ながら、予想の軌道周辺に、弾丸をばらまいた。けれど白いのは、旋回せずに高度を落とした。まただ。まるでこちらの頭の中を、のぞかれてでもいるかのような。

 三度目の爆発。

 白い機影が、爆炎の中から飛び出してくる。こちらの尾翼に喰らいつこうというように、追いすがってくる。

 急減速する。追い越しながらすれ違いざまに撃つだろうという予想に反して、向こうも速度を落としてきた。また違和感。

 なぜこれほど執拗に、背後を取りたがる?

 後部カメラか、あるいは機銃でも壊れているのだろうか。それで後ろを取られるのを嫌がっているのかもしれない。

 試してみる価値はあった。

 強引な急旋回を試みる。いまはわたしのほうが、わずかに高度があった。同じく旋回しようとする敵機の上を、ほとんど飛び越すように、交錯する。

 これまでになく間近に迫った白い機体の背面を、一瞬、腹側のカメラが高解像でとらえる。

 機体の上部中央、わずかに膨らんだ箇所に、見慣れないものがあった。

 透明な板。強化ガラス、あるいはアクリルだろうか。そこからわずかに、機体の内部が透けている。

 奥に、人間の上半身が見えた。



 自分の見ているものが、理解できなかった。

 再び追いすがられて、頭の半分では忙しなく軌道計算を修正しながら、回路が焼ききれそうだ、と思った。

 そんなことをしている場合ではないと思いながら、作業領域の端を割いて、カメラのデータを分析していた。だが何度見ても、それは人間以外の何者にも見えない。スーツ、酸素マスク、頑丈そうなヘルメット。その向こうにかすかに見える、黒い瞳。

 機体を大きく揺らして、背後からの射撃をかわす。避けられるのを承知で、後部の機関砲を撃つ。回避運動のために生まれたほんのわずかな間に、急降下して距離をとる。

 ノズルを最大限噴射して、強引な反転。さらに高度を落として急加速。

 混乱した回路の奥から、たったひとつ、クリアな思考が浮かび上がる。振り回せ。Gで揺さぶってやれ。

 あとはもう、無茶苦茶だった。

 負荷に主翼が折れるかという、ぎりぎりのところまで機体を振り回す。軌道計算も追いつかないまま高度を上げ、ノズルを振り回して失速寸前になり、立て直し、唐突な急旋回で白いのとすれ違う。その合間に、機関砲を撃ち、機銃を撃ち、閃光弾を撃つ。ほとんど反射的に、場当たり的にそれを繰り返していく。

 轟々と渦巻く風に、びりびりと機体が震える。いつもの、予測して先回りするわたしの戦い方とはかけ離れた、でたらめな制動。優雅さの欠片もない。

 CPUが熱でダウンするのではないかと思った。

 無茶な動きの中で見てみれば、なるほど、白いのは、わたしほどには急な動きや、複雑な制御はできないようだった。後ろや真下を取られるのが、おそらく弱点なのだ。全方位視界のデータを処理することができないのだろう。

 それだけのことがわかったのにもかかわらず、わたしの攻撃は、ただのひとつも当たらなかった。

 後ろが取れない。絶妙なタイミングと軌道、最小限の動き。信じられないことに、ただそれだけで、かわされ続けている。

 積んでいる燃料は、どう考えても向こうのほうが少ない。それでも軽い小柄な機体と、無駄のない動きを見ていれば、わたしのほうが先に息切れするのは、間違いないように思われる。

 それまでに、勝機をつかまねばならなかった。



 そしてその刹那はやってきた。

 乱気流。

 この高度の気流で、わたしに乗りこなせないものなどなかった。白い機体が、風の見えざる手に掴んでふりまわされた、その瞬間に、残りのホーミングミサイルを射出した。

 直後、反転。

 白いのの腹から飛び出したフレアが、気流に流される。二機のミサイルが気流に押されながら、それを追っていく。白いのが風に翼を折られずに、爆発から遠ざかるための軌道は、いくつもない。

 すれ違いざまに、機関砲を叩き込もうとした。

 目の前の機体が、すっと沈む。

 弾がその背面の上を、掠りもせずに通り過ぎていく。

 気流の中で制御を手放した白い機体は、錐揉みしながら落ちていこうとしている。回復しようという機動は、見えない。

 Gに、耐えかねたのかと思った。あるいは集中力が途切れたか。

 それは、あまりにあっけない幕切れのように、思えてならなかった。陽光を受けてきらめきながら、白い戦闘機が、墜ちてゆく。

 ノズルフラッシュ。

 回転しながら落ちゆく白い機体の腹から、わたしの飛ぶ先の空に向かって、いくつもの光るものが、列をなして駆け上ってくる。

 四〇mm弾だった。

 時間が止まったように感じられた。

 その五ミリセカンドの間に、わたしはありとあらゆる未来を見た。加速した場合、急減速した場合、それぞれの方向に旋回した場合、何もせずに制御を手放して気流に揉まれた場合、ノズルを振り回して角度を逸らした場合。

 CPUがフル作動ではじき出した、すべての軌道におけるシミュレーションの結果が、鮮明に眼前にあった。

 助かる道はない。

 ばらまかれた銃弾が、ゆっくりと迫ってくる。少しでも損傷が少なくてすむ可能性がある方を選ぶのが、セオリー。

 頭の隅に、カウントダウンがちらついた。記録送信まで、あと四〇セカンド。

 ふっと、回路の負荷がやわらいだ。

 エンジンを切り替える。急加速。風が唸り、視界が流れていく。

 セオリーも、合理的な判断も、何もかも投げ捨てて、主翼を撃ち抜かれる軌道を、わたしは選んだ。

 迫りくる弾丸が、群青の空にきらめく。風がうなる。自分のエンジンが立てる音の高さが、妙に意識される。

 その瞬間、不思議なものを見た。

 この場に存在しないはずの、厚い雲。悪天候をおして空に駆け上がり、雷雲の最後のひとひらを吹き払って、高空に頭を突き出した瞬間の、視界いっぱいに広がった眩しい青。オーバーホールが終わってカメラが復旧する一瞬、視界に映りこんだ大勢の技師たち、固唾を呑んでわたしを見守っている、その顔、顔、顔。同期して空に舞い上がる仲間たちの、一ミリの狂いもない完璧な編隊。忙しく人の行き交う格納庫。アレックスの赤ら顔が、よく帰ってきたと笑っている。

 衝撃。

 ほんの数ミリセカンド、すべてのカメラが忙しなく点滅した。

 エンジンの噴射を止める。落ちてゆく機体を、気流に揉まれるままに任せる。回転する視界。

 迷うけれど、カメラは生かしたままにする。

 さっきの映像は、なんだったのだろう。なぜ呼び出したつもりもない記憶が、急に再生されたのか。酷使しすぎたCPUのどこかが、とうとう壊れてしまったのかもしれない。

 ぐるぐる回る視界の中に、白い戦闘機が映った。

 信じられないことに、あの状態から制御を取り戻したらしかった。どういうわけか、気流に揺さぶられながら、こちらに接近してくる。止めでもさすつもりだろうか、それとも撃墜を確認したいのか。

 最後にもう一度、あがいてもよかった。迷って、やめる。正確な射撃など、どのみち望みようもない。

 接近してきた有人機の、風防の向こうから、操縦者がこちらを見ている。乱れる視界の中で、その手が、額にかざされるのがわかった。

 敬礼だった。

 ――なぜ。

 問いかける言葉を、とっさに短波にのせかけて、思いとどまる。まともな返信が戻ってくるとは思えない。少なくとも、人間の反応速度では。

 乱れる視界の中で、せいいっぱいカメラの倍率を上げた。銀色に輝く機体、風防とヘルメットをへだてた向こうから、こちらを見つめる黒い瞳。光の加減か、その色は、わずかに青みがかって見えた。

 高高度の空と、同じ色だった。

 急激な気圧の変化に、センサーがいくつもダウンする。それでも各部のカメラは、ぐるぐると回りながら、律儀に風景をうつしている。

 頭上も、下方も、目の覚めるようなブルー。海上だった。

 白い機体は高度を上げて、遠ざかっていく。あの空へ、還ってゆく。その軌道の、優美なことといったらなかった。

 密度の高くなった風に、激しく揺さぶられる。海が迫ってくる。

 記録送信まで、残り十五セカンド。

 落下にかかる時間を計算する。送信よりも、海面に叩きつけられるほうが早い。

 ――ならばこの記憶は、わたしだけのものだ。

 なぜ、そんなことを考えたのか。自分でもわからないまま、わたしは生まれてはじめてこれほど間近に見る海を、その陽光にきらめく波間を振り仰いだ。




(終)



 つたない作品をお読みいただき、ありがとうございました。


 空想科学祭にははじめて参加させていただきます。ハードSFと言い張るにはあまりに考証が甘く、お恥ずかしい限りなのですが、辛口批評の可・不可で部門を選んでよいとのことでしたので、RED部門にエントリーさせていただきました。


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[一言] 空色の描写がたまらなく素敵で、人間とAIのやりとりには心揺さぶられるものがありました。 SFを読み慣れていない人、戦闘機に関する知識がない人でも、すらすらと読めて細かい部分まで楽しめると思い…
[良い点] ただただひとえに美しい、芸術性に富んだ空中の描写に魅了されました。 この手の作品で真っ先に思い浮かんだ商業作品を挙げますと、やはり森博嗣のスカイ・クロラが真っ先に思い浮かんだのですが、あち…
[一言] 綺麗な表現で誘われて、登場人物のキャラクターで虜にされました。バランスよく個性的でキリッと爽やかな読んでいて気持ちの良い作品でした。すばらしかったです。
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