『きざし』第1話
リーネンブルク侯爵領イリーナの屋敷ーーーー
俺は今、イリーナ様の執務室にいる。いつもは事務的なやり取りや他愛もない話をしていることの多い部屋であるが、今日は部屋に置かれた長椅子に腰掛けてイリーナ様御用達のレーム茶を啜りながら眼前に広がっている光景を眺めていた。
「そういう訳で、村は荒れ、村の者も逃げて出して、今年の税なんですが……」
「えぇ、分かったわ。あなたの村の税についてはこちらで検討して再度使者を出します。その指示に従ってください」
「………」
「それで、あなた達の食べる分はあるのかしら?」
「………切り詰めれば何とか」
「……はぁ」
簡素であるが作りのしっかりした椅子に座っているイリーナ様と、執務机を挟んで対面するのはリトルベルク南方にある村の代表だ。村の代表の顔は旅の疲れ以上に疲れきったような感じを受けていた。
「わかったわ。それも考慮して指示を出すから、あなたは一旦村に戻りなさい」
「……はい、ありがとうございます」
村の代表の者は一礼すると退出していった。
「………ふぅ。ユウキ、あなたはどう思う?」
「そうですね。代表の話を聞く限り村を襲ったのはおそらく、件の盗賊かと」
「やはり……」
「このような被害、ここ最近増えてきてますね」
「えぇ、本当に。フリット卿にも巡回してもらってるけど、なかなか全部は手がまわらないみたいね」
「………そうですね」
フリット卿はイリーナ様に仕える男爵家で騎士団を率いている。現当主のエウロイ・ヴァン・フリットの祖父、ビショップ・ヴァン・フリットは先の大戦で平民から男爵家までのし上がった程の腕前を持っていたが、俺の見る限り、エウロイとその息子はその素質を受け継がなかったと思う。因みに、このリーネンブルク侯爵家の保有する武装集団はリーネンブルク侯爵家とフリット男爵家の騎士団の他に赤猫族の戦士達がリトルベルクや近郊の森林の警戒を行なっている。
「それで今後のことですが……」
「イリーナ様」
その時、リンが部屋へ入ってきた。
「どうしたの、リン」
「はい、フリット卿がイリーナ様にお会いしたいと……」
「わかったわ、通してちょうだい」
「はい」
そういうとリンは退出していき、かわりにフリット卿が入ってきた。白髪が混じった茶髪で金糸の刺繍の入ったマントを羽織った男、エウロイ・ヴァン・フリットは俺などいないように振るまい、イリーナ様に一礼して話しを始めた。
「イリーナ様、定例警邏が終わりましたのでご報告に上がりました」
「そう。で、何か変わったことはありませんでしたか?」
「特には……… それで、先程の男は」
「賊に襲われ村に被害がでたから税の額を下げて欲しいという陳情を言いに来たのよ」
「左様ですか…… それでいかがなさりますか」
「賊に襲われたならしかたないわ。税の額を減らして救済措置を……」
「甘いですな」
「………何といったかしら、フリット卿」
「甘いのです、イリーナ様。そのようなことをすれば平民どもはつけあがりましょうぞ」
この時、イリーナ様のペンを持つ手が一瞬ぴくりと揺れるのが見えた。
「今の世、どこも困窮しています。世が困窮しているならば我々貴族が力をつけて平民を導いていかねばなりません。しかし、イリーナ様が行なっていることはその逆で我々の力が失われていく一方。平民どもの制御がきかなくなれば領内はこれよりさらに荒れるでしょうな」
「…………」
「しかし、イリーナ様は寛大な御方だ。我が忠言もどれだけ重ねても意味はないでしょうし、私はこれで失礼させて頂きます」
「…………」
フリット卿はそう言い残すとイリーナ様に一礼して退出しようとしたが、ふと何かに気づいたようにイリーナ様の方へ振り返った。
「そういえば、ここ最近体調が優れないことが多いとか。ご命令とあらばこのエウロイ・ヴァン・フリット、全身全霊をかけてご助力致しますので……」
「フリット卿」
イリーナ様はフリット卿をしっかりと見て笑みを浮かべて言った。
「気遣いありがとう、フリット卿。でも私は孫娘に譲るまでは私自身の力でこの領地を守っていきたいの。それに立派な補佐もいるしね」
イリーナ様は俺にも笑みを向けてくれ、それに対し俺は苦笑いを返した。フリット卿は俺に一瞥し再びイリーナ様に向き直って言った。
「改めて申し上げますが、このような素性の知れない者に政の一部を任せるのどうかと思いますが」
「確かにそうかもしれないわ。でも彼の信用性はこの1年で証明されていると思うの」
「しかし……」
「それに、彼にはユリナの補佐もお願いしたいと思っているしね」
「………」
(ユリナ…… 確か、イリーナ様の孫娘の名前だったな……)
イリーナ様がにっこりと微笑むとフリット卿は面白く無さそうな顔をした。この笑顔の前ではフリット卿も無力となるのだ。
「………それでは私はこれで失礼します」
そう言うと、フリット卿は部屋を出ていった。
「彼にも困ったものね。いくつになっても変わらないから」
「昔からなんですか、あの、野心的なところというか何というか」
「えぇ、そうね。ビショップはいつもぼやいていたわ、育て方間違えたぁって」
イリーナ様は執務椅子から立ち上がると俺と対面するように長椅子に腰掛けた。
「まぁ、それは置いといて。盗賊の件は早々に解決しなくてはいけないわね」
「はい、今までの出没状況からいきますと、ラインバレル地方の南部で頻発しています。ただ、フリット卿の騎士団を避けている節あるのでこれから一月の騎士団の休息期間の間にまた賊騒ぎが起きると思います」
「………それで、あなたの考えた対策は?」
「自警団の創設を昨年度から行なっていますが実績が余り良くないですね。武器の扱いを教えられる者はいても戦術を教えられる者は少ないみたいで、傭兵ギルドの傭兵を雇って自警団の育成に当てたいと思うのですが、どうでしょうか」
「そうね。そうすると、どこの村に派遣するの」
「………イスタナ村などどうでしょう。ラインバレル地方の村々にとって『車輪の軸』のような村ですし」
「『車輪の軸』ね、確かにあの村が落ちると南部の支援に支障が出るわね……… よし、じゃあその件はすべてあなたに任せるわ」
「………へっ?」
「私は被害地の支援や納税の調整があるから軍事については手が回らないの。フリット卿は担当の警邏があるから任せられないし、頼めるかしら?」
「わ、分かりました」
俺は長椅子から立ち上がるとイリーナ様に一礼して退室した。
(そうなると、傭兵ギルドに行かなきゃな。あそこの雰囲気はちょっと苦手だが、まぁ仕方ないか……)
自室に向かう廊下を歩きながら、俺は今後の予定を立てながら自室に戻っていった。
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