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ガキだから

掲載日:2010/08/20

纏め上げていた髪を梳いて、左肩へ流した。

首筋をくすぐって前に流れた髪は、毎日念入りに手入れしたおかげで艶艶だ。

解いてしまってなにをしよう、という目的もなかったから、ぼうっと目の前で風にあおられている紙を見つめた。

夏の暑い日の昼下がり。

青い空には大きな入道雲が見えるが、それは地平線の間近でテンションの高い太陽を隠すには至らない。

蝉の声はずいぶん遠くにあるが、髪を流した左に置かれた扇風機の風を切る音が耳元で唸る。

大きな庭の、大きな敷地の、大きな家の縁側だった。

大きく開かれた障子と、視界に広がる鮮やかな芝生の緑。

縁側の古い廊下を少しだけ侵した日向。

その廊下の内側の風通りのいい部屋で、私はふすま障子ともに開け切って壁に据えられた文机に向かっていた。

目の前の風にあおられていた紙は原稿用紙。

文机の端の方に転がっている鉛筆と、机の下に積み重なった辞書と本。辞書の隣のゴミ箱は空で、辺りに書き散らしたと思われる原稿用紙は見当たらない。

やれやれ、ずいぶんと大変な事になった。

幾筋か風に遊ばれている髪に視界を遮られながら、上体を後ろにそらして畳の上に両手を突いて支えた。

じっとしているだけで汗は滲んできて、首筋や背中を濡らす。

むんむんとした室内で、立ち上がった畳の匂いだけが扇風機に乗ってくる。

ため息しか出ない。

本当に、どうしようか。

小説を生業としている私にとって、今の状況は厳しい。

締め切りはあとわずか。それまでに真っ白な原稿用紙を埋めてしまわなければならない。

しかし、頼みの綱の自身の想像の泉も暑さで枯れたのか、いい構想が思いつかない。

せっかくの里帰り。クーラーもないという今どきにしては珍しい田舎の古い実家で、のんびりと過ごした日々が積み重なって今の惰性につながるのか、と思ったら今回の帰省は失敗したと早い後悔に襲われる。

ほんとに、ため息しか出ない。

と、口から細く息をついて力を抜いた。ら、

「どわ!!」

手にかいた汗のせいで畳の上を滑り、背中を打ちつけた。

派手な音が鳴って、障子が軋む音がした。

「いっつ~……」

胸に抜けた衝撃は浅かったが、はずみで後頭部を打ったせいで視界がぶれた。

痛む患部を撫でながら木目の美しい天井を見据えた。

「ほんとに、ため息しかでないっての。も~、最悪!!」

叫んでみても変わらない。暑さも、締め切りも、蝉の声も。痛みはだんだんと薄れるが。

「~!!」

だんだんと湧いてきたモヤモヤをぶつけるモノも見当たらないから、手足をばたばたさせる。

蹴りあげた左足が文机に、手が扇風機のアームに当たって痛みに悶えた。

赤くなったところを抱えてゴロゴロと芋虫のようにあっちへこっちへ寝がえりをうって悶えていると鼻先に鉛筆が転がってきた。

緑色の短くなった鉛筆。ああ、そう言えばいつもこいつとペアだった消しゴムは啓人に貸してるんだった。

甥っ子の可愛げのない生意気な顔を思い出して、さらにもんもんとする。

「こんちきしょー!!!」

握った鉛筆をどこへもなく投げる。

鉛筆はくるくると回転しながら飛んで行って、縁側を仕切っている開け放した障子に突き刺さった。

「あ……」

貫通。

二枚重なった障子を突きぬけて縁側の廊下に落ちた。

貫通した障子の穴から、青い空が見える。

「あ、あ、あー!!!」

やばいやばいやばい!!

穴開けちゃったよ! どうしよ! 大変! 叱られる! いい大人が!!! あ~!!

急いで起き上がって、障子の穴をふさごうと試みる。

折り曲がってしまった穴周辺の紙を元通りにピンと伸ばしてみる。

鉛筆の芯が当たった黒い炭はどうしようもないけど、テープで張り付けてしまえばわからない、かもしれない。

ぃよしっ!! いい感じになった!

これでわかんない。私しか見てないし、隠し通せる……

「何してんの」

第三者の声が聞こえた。

ぎくり、としてゆっくりと振り返ると、ふすまに背を預けるような形で啓人が腕を組んでこっちを見ていた。

日焼けした茶髪に、同じく日焼けした浅黒い肌。瞳だけが黒く澄んで、ちょっと顎を上げて唇の端を持ち上げている。に、憎たらしい顔。

「け、啓人」

驚きに固まってしまった私をまるで気にかけないで笑う。

「ふふふ~。なんて。見たよ、おばさん。障子破ったね。知られたら怒られるよ~」

今度は顎を引いて、癪に障る笑い方で笑う。細めた目に、前髪がかかった。

普段はおばさんと呼ばれると、まだ二十代だと怒る私も、そうは言っていられない。

まだまだ小さい親戚がたくさんいるのに、大人の私が怒られる姿を見せるだなんてカッコ悪い!

焦りでフル回転する頭。

「け、啓人君。ちょ~っと、このことは秘密にしててくれないかな~」

ひきつってしまう笑顔を浮かべて、年下の、まだ中学生の甥っ子にお願いする。

気持ち悪くて使わない猫なで声も使ってみるけど、やっぱり気持ち悪い。

「ふ~ん。おばさん、俺にお願いするなんて、よっぽど焦ってる?」

得意げに組んだ腕を解いて啓人は言う。

じゃなきゃお願いなんてするかよ、お前に!

「そ、そんなことないよ。たださ、ほら、見られたの啓人君だけだから、見なかった事にしてくれないかな~なんて」

「焦ってんじゃん」

可愛げもない!

ぐっと詰まった私に向かって、啓人は近づいてくる。

なんとなく嫌な気配を感じて後ずさろうとするけど、後ろは破いたばかりの障子。すぐにかかとと背中が当たった。

いつの間に大きくなったのか、私のすぐ目の高さに頭のてっぺんがある啓人が、私を見つめてうすら笑いを浮かべる。

「ちょ、ちかい!!」

「秘密にしてあげてもいいよ」

「ほ、ほんと!」

思わぬ言葉に目を輝かせてしまう。

啓人の顔がぐんと近づいて、肩辺りに寄せられる。

「うん。黙っといてあげる。その代わり」

左側の乱れた髪を持ち上げられる。

そしてあらわになった首筋に、生ぬるい柔らかさと鋭い痛みが走った。

噛まれた。

「……はー!!!!??」

噛まれた首筋を抑えて思いっきり後ろに下がる。障子にぶつかる。

啓人はさっさと私から離れて、縁側に出た。

「これでチャラな。おもしれー反応も見れたし、黙っといてあげる。じゃーねー」

ばたばたと裸足で駆ける足音が遠ざかっていく。

固まった私は、みしみしと悲鳴を上げる障子にもたれて座りこんだ。

「な、なんだったんだ今の」

焦った。柄にもなく赤くなった頬を空いた片手で覆う。

ガキだガキだとなめてたけど、そうはいかなくなった。あのクソガキ!!!

まだまだ中学生、と思ってたのがいけないのか。去年も今年も変わるもんかって思ってたけど、全然違うもんだね。生意気度が増してる。ああ、憎たらしい。

蝉の声はもう気にならない。

扇風機が誰もいないところに向かって回ってるのはもったいない気がするけど。

いや、やっぱり帰省ってのはおもしろいな。変化が見て感じる。いいもんでも悪いもんでも。

「あー……」

またため息。

「そいえばご飯だって。早く来いよ」

「うぎゃっ!」

また戻ってきた啓人に驚いて障子を倒した。

なんだっってんだよ、こんちきしょー!!

暑いと汗が流れて、それが色っぽい!

特に首筋とかだったらばんばんざい!!

ちょっとエロっぽいのを目指しましたけど、失敗した気が……。

読んでくださってありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 感想3連発、失礼いたします(笑)。 “汗”と“色気”の相性については僕も同意見です。 「女性には潤いを、男には乾いた美学を」というのが僕の持論でして、女性の汗ばむ姿というのは最強のセクシー…
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