第一章① マクシミリアン隊
白い帆に陽光が満ち、海面は鏡のようにきらめいていた。
トゥーロンを発ち、船は地中海を東へと進んでいる。潮風は穏やかで、戦場の記憶を洗い流すかのように涼やかだった。
ソフィーは甲板に立ち、遠ざかってゆくフランスの岸辺を振り返ることなく前方の水平線を見つめていた。
目指すのはイタリア、メリッサの生家。彼女が育ち、そして今は帰ることのない場所。
メリッサ。自分たちが訪れるのは、彼女が故郷に残してきた痕跡。
胸の奥で名前を呼ぶとまだ声が届くのではないかと思えた。戦場で共に戦い、テーブルを囲んで笑った日々が潮の匂いと混ざって甦ってくる。
「考え込んでいるね」
ソフィーの背後から穏やかな声がかかる。彼女が振り向けばマクシムが立っており、風に揺れる外套を片手で押さえていた。
「すみません。少し……」
「いや、皆同じだ。僕も落ち着かない」
船は静かに波を割って進む。
戦いを終えて与えられた休暇。
その始まりに選んだのは、仲間を悼むための旅だった。
ソフィーは思う。
休暇と呼ぶには重すぎる。けれど、メリッサを想うこの航海はきっと意味を持つはずだと。
船は地中海を進み、甲板には潮風と笑い声が混ざっていた。
「まったく、ボクたちがどれだけ急いで漕いできたか知ってます? 休暇と聞いた瞬間に『隊長とソフィーを迎えに行くぞ!』って声が上がって……弾丸みたいな勢いで港を出たんですから!」
ジョルジュが陽気に言うと、リラがため息をつきながらも口元をほころばせた。
「弾丸っていうより、無鉄砲の群れね。でも、おかげでこうして合流できたんだから感謝すべきかしら」
スザンヌは潮風を胸いっぱいに吸い込み、髪を押さえつけながら微笑んだ。
「でも、正直ほっとしました。ソフィーさんと隊長のお二人だけでイタリアに向かうなんて、なんだか心細くて……」
「ふふ、同感。休暇にまで置いてけぼりなんて、我慢できなかったわ」
アニータがさらりと付け加えるとペネロペが「ほんとそれ」と頷いてから、わざとらしく大げさに言った。
「だってメリッサのお家に行くんだよ? そんな大事なとこ、あたしたちが行かなくてどうすんの」
甲板の片隅ではロザリーとリゼーヌが茶器を広げており、地中海の波を眺めながら優雅にお茶を楽しんでいる。サミュエルは舵を預かりつつ、彼女たちの笑い声に小さく目を細めた。
「……ほんと皆さん、よく動けますね」
マクシムが肩をすくめると、ジョルジュが胸を張って答える。
「もちろんです。ボクたちにとって大事な休暇は、皆で過ごすものですから!」
彼の言葉にソフィーは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
戦いを共にした仲間とこうして同じ船にいること。
それだけで、旅路の重さが少し和らぐ気がするのだった。
甲板の上、潮風に髪をなびかせながら、仲間たちが自然と円になって腰を下ろしていた。船体が軋む音に混じって笑いと回想がこぼれる。
「メリッサさんの料理って、やたら旨かったよなあ」
ジョルジュが腕を組んで感慨深げに言う。
「肉の焼き加減が絶妙でさ。貴族のお嬢様なのに庶民の味まで心得てるって、ずるいくらいだった」
「そうそう、しかも手際が早いのよね」
アニータが微笑む。
「あの子が台所に立つと、あっという間に皿が並ぶんだもの。最初は“お嬢様の趣味かしら”って思ったけど、本気で板についた腕前だった」
「料理のときに包丁振る手つきが、すでに狙撃手のそれだった気もするけどな」
ダヴィットが苦笑する。
リゼーヌが目を輝かせて加わった。
「でも、飛び道具の正確さって本当にすごかったです! なんであんなに突出してたんでしょう?」
「だな。俺たちだって銃や大砲の腕は鍛えてるが、メリッサは剣術も射撃も微妙なのに投擲だけは別格だった」
グウェナエルが真顔で頷く。
「火炎瓶の奇襲作戦を思い出せ。あの時の一撃がなけりゃ、敵の帆柱は無傷で突っ込んできてたぞ」
「うん、あれは決定的でしたな」
シャルルが静かに言った。
「メリッサが狙ったものは、必ず落ちる。誰もがそう信じてた」
仲間たちの口々の声が波間に溶けていくのを、ソフィーはただ黙って聞いていた。
彼女の笑顔も鋭い眼差しも、甲板のどこかにまだ残っているような気がしてならない。
やがて仲間たちの語らいがひと段落ついた頃、船首に立っていたリラが振り返って声を上げた。
「見えてきました! ジェノヴァの港です!」
潮風に乗って、遠くから鐘の音がかすかに響いてくる。
白壁の家々が海辺の斜面に折り重なり、赤い屋根が朝陽に照らされてきらめいていた。
港にはすでに多くの帆船が出入りしていて、帆を降ろし始めた自分たちの船もその喧噪に吸い込まれていく。
「本当にイタリアまで来ちゃったな」
ジョルジュが目を細めて呟く。
「……メリッサの故郷」
ロザリーの声音はどこか柔らかい。
甲板に立つマクシムが、横に並ぶソフィーへ視線を移した。
「ここからが本当の目的地だ。彼女の家族に、胸を張って会いに行こう」
ソフィーはこくりと頷いた。胸の奥に渦巻く想いを抱えながら、迫り来る港の姿をじっと見つめた。




