第8章 一緒に歩くと、視界が広がる
翌朝、街がまだ半分眠っている時間帯に宿を出た、装備を整えた状態で城門近くの待ち合わせ場所に立ち、今日一日をどう動かすかを頭の中で整理していたが、その作業は遺跡に向かう道筋を確認するためであって、気持ちを落ち着けるためのものではなかった。
なぜなら、進むと決めている時ほど、余計な準備は足を鈍らせるだけだと、これまでの経験で分かっているからだ。
「待たせたか」
背後から掛けられた声に振り向くと、そこに立っていたのは昨日と同じ青年で、今日は荷物を減らし、動きやすさを優先した服装をしていた。
「いいや、今来たところだ」
そう返しながら、彼の顔を改めて見た。
名を、まだ聞いていなかった。
「名前を聞いていなかったな」
その事に気づいたのは、彼が当然のように隣に並び、遺跡の方角へ歩き出した瞬間で、無名のまま一日を共にするには、すでに距離が縮まりすぎていると感じたからだ。
「カイ」
彼は短く名乗り、余計な肩書きは付けなかった。
「この土地で生まれて、この土地で暮らしている、それだけだ」
続く言葉に、誇張も卑下もなく、事実だけを置く態度が見えた。
「リュシアだ」
名を返しながら、あえて伯爵家や過去の立場には触れなかった。
今この場で必要なのは、肩書きではなく、進む人間としての名前だ。
◇
遺跡へ向かう道は、昨日よりも静かだった。
人の往来が少ない時間帯を選んだのは、無関係な人間を巻き込まないためであり、その判断が一致していた事に、内心で納得していた。
「ここを離れようとは思わなかったのか」
歩きながらそう尋ねたのは、昨日聞いた話だけでは、彼がこの土地に留まり続ける決定的な動機が見えなかったからだ。
カイはすぐには答えず、少し先を歩きながら、地面に残る足跡を確認してから口を開いた。
「一度は考えた」
その言葉には躊躇がなく、だからこそ重みがあった。
「だが、逃げた後に戻る場所がなくなる事の方が、俺には耐えられなかった」
彼がそう言った瞬間、彼がこの土地に縛られているのではなく、自分の意志で結びついていると理解した。
守りたいから残ったのではない。
残ると決めたから、守る立場になった。
その順序が、彼の背中から伝わってきた。
◇
遺跡の外周に近づくにつれ、空気が変わり始めたが、カイの足取りは乱れなかった。
剣も魔法も扱えない彼がここまで平然としていられるのは、恐怖を知らないからではなく、恐怖と付き合い続けてきたからだ。
「ここから先は、冒険者でも足を止める」
カイがそう言って立ち止まった場所は、昨日私が感じた重さと一致していた。
「だから、止まらない」
私がそう答えると、彼は一瞬だけ口元を緩めた。
「そうだろうと思った」
その反応に、胸の奥が少しだけ騒がしくなるのを感じたが、それを言葉にする必要はなかった。
互いに、相手がどう動くかを予測できる。
それは安心でもあり、同時に危うさでもある。
◇
遺跡の入口で、カイは足を止めた。
「俺はここまでだ」
その言葉は昨日と同じだが、今日は意味が違っていた。
「逃げるわけじゃない」
続く言葉に、頷いた。
「分かっている」
彼がここで止まるのは、勇気が足りないからではなく、自分の役割を理解しているからだ。
剣を抜き、魔力を巡らせた。
抑え込まれていた頃には感じられなかった高揚が、今は全身を満たしている。
「必ず戻る」
そう告げたのは、約束をするためではなく、前提を共有するためだった。
カイは一瞬だけ私を見つめ、それから視線を逸らし、遺跡の外へ続く道を指差した。
「戻る場所は、ここにある」
その言葉に、小さく息を吸った。
彼はこの土地に留まる人間だ。
私は、進む人間だ。
その違いが、今はまだ静かに横たわっている。
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