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第8章 一緒に歩くと、視界が広がる

 翌朝、街がまだ半分眠っている時間帯に宿を出た、装備を整えた状態で城門近くの待ち合わせ場所に立ち、今日一日をどう動かすかを頭の中で整理していたが、その作業は遺跡に向かう道筋を確認するためであって、気持ちを落ち着けるためのものではなかった。

 なぜなら、進むと決めている時ほど、余計な準備は足を鈍らせるだけだと、これまでの経験で分かっているからだ。


「待たせたか」

 背後から掛けられた声に振り向くと、そこに立っていたのは昨日と同じ青年で、今日は荷物を減らし、動きやすさを優先した服装をしていた。


「いいや、今来たところだ」

 そう返しながら、彼の顔を改めて見た。


 名を、まだ聞いていなかった。


「名前を聞いていなかったな」

 その事に気づいたのは、彼が当然のように隣に並び、遺跡の方角へ歩き出した瞬間で、無名のまま一日を共にするには、すでに距離が縮まりすぎていると感じたからだ。


「カイ」

 彼は短く名乗り、余計な肩書きは付けなかった。


「この土地で生まれて、この土地で暮らしている、それだけだ」

 続く言葉に、誇張も卑下もなく、事実だけを置く態度が見えた。


「リュシアだ」

 名を返しながら、あえて伯爵家や過去の立場には触れなかった。

 今この場で必要なのは、肩書きではなく、進む人間としての名前だ。



 遺跡へ向かう道は、昨日よりも静かだった。

 人の往来が少ない時間帯を選んだのは、無関係な人間を巻き込まないためであり、その判断が一致していた事に、内心で納得していた。


「ここを離れようとは思わなかったのか」

 歩きながらそう尋ねたのは、昨日聞いた話だけでは、彼がこの土地に留まり続ける決定的な動機が見えなかったからだ。


 カイはすぐには答えず、少し先を歩きながら、地面に残る足跡を確認してから口を開いた。


「一度は考えた」

 その言葉には躊躇がなく、だからこそ重みがあった。


「だが、逃げた後に戻る場所がなくなる事の方が、俺には耐えられなかった」

 彼がそう言った瞬間、彼がこの土地に縛られているのではなく、自分の意志で結びついていると理解した。


 守りたいから残ったのではない。

 残ると決めたから、守る立場になった。


 その順序が、彼の背中から伝わってきた。



 遺跡の外周に近づくにつれ、空気が変わり始めたが、カイの足取りは乱れなかった。

 剣も魔法も扱えない彼がここまで平然としていられるのは、恐怖を知らないからではなく、恐怖と付き合い続けてきたからだ。


「ここから先は、冒険者でも足を止める」

 カイがそう言って立ち止まった場所は、昨日私が感じた重さと一致していた。


「だから、止まらない」

 私がそう答えると、彼は一瞬だけ口元を緩めた。


「そうだろうと思った」

 その反応に、胸の奥が少しだけ騒がしくなるのを感じたが、それを言葉にする必要はなかった。


 互いに、相手がどう動くかを予測できる。

 それは安心でもあり、同時に危うさでもある。



 遺跡の入口で、カイは足を止めた。


「俺はここまでだ」

 その言葉は昨日と同じだが、今日は意味が違っていた。


「逃げるわけじゃない」

 続く言葉に、頷いた。


「分かっている」

 彼がここで止まるのは、勇気が足りないからではなく、自分の役割を理解しているからだ。


 剣を抜き、魔力を巡らせた。

 抑え込まれていた頃には感じられなかった高揚が、今は全身を満たしている。


「必ず戻る」

 そう告げたのは、約束をするためではなく、前提を共有するためだった。


 カイは一瞬だけ私を見つめ、それから視線を逸らし、遺跡の外へ続く道を指差した。


「戻る場所は、ここにある」

 その言葉に、小さく息を吸った。


 彼はこの土地に留まる人間だ。

 私は、進む人間だ。


 その違いが、今はまだ静かに横たわっている。

よろしければ何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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