第74章 温もりを背負って、また歩く
夜明け前の城は、昼とは別の顔をしていた。雪は相変わらず降っているが、風は弱い。空気が張りつめ、音が遠くまで届く。廊下を歩く自分の足音が、やけに大きく感じられた。
出立の準備は整っている。荷は軽い。剣と、最低限の装備だけだ。この城で過ごした日々は短いが、持ち出すものはそれ以上に少ない。
中庭に出ると、既に人影があった。ハインリヒだけではない。厨房のメイド二人と、稽古場で剣を交えた兵士たちが集まっている。
「本当に行くのね」
年嵩のメイドが、はっきりした声で言った。
「雪が落ち着くまで待てばいいのに。城の仕事なら、いくらでもあるわ」
「待てば、ここが危なくなる」
そう答えると、彼女は眉を寄せた。
「危険を避けるために、人を遠ざける。あなたは、そういうやり方を選ぶのね」
「道は自ら切り開く」
メイドは深く息を吐き、包みを差し出してきた。
「食料よ。乾いた肉と、保存の利くパン。余計なことは言わないわ。ただ、雪の中、倒れないで」
「受け取る。無駄にはしない」
兵士の一人が前に出る。
「城の外で会ったら、敵として斬り合うことになるかもしれない。それでも言っておく。いつか、落ち着く先が見つかるだろう」
「守る場所が決まれば、そうする」
「なら、まだ旅の途中だな」
短くうなずき、視線を外す。
最後に、ハインリヒが歩み寄ってきた。外套を羽織り、剣帯を締めたままの姿だ。
「夜明け前に出るとは聞いていたが、全員に見送られるとは思っていなかった」
「石造りの城では足音が響く。隠しても無駄だ」
ハインリヒは、こちらをまっすぐ見て言う。
「引き止めはしない。昨日、理由を聞いたからな」
「それで十分だ」
「一つだけ、伝えておく」
間を置かず、続ける。
「お前が、ここで働いた時間は、城にとっても助けになった。その恩は忘れない」
胸の奥が、少しだけ重くなる。
「戻る気になった時は、いつでも戻れ。追われていようが、力になる」
「覚えておく」
そう答えると、ハインリヒは頷いた。
「道中、魔物より厄介なのは人間のようだな。しかし、お前なら易々とやられる事はないだろう」
中庭の門が開く。外は白い世界だが、足は止まらない。
城を出て数歩進んだところで、背後から声が飛ぶ。
「リュシア!」
振り返ると、稽古場の兵士が手を挙げていた。
「次に会う時は、酒を奢らせろ。その時は、剣でも勝ち逃げは禁止だ」
「お前が勝てたら、付き合う」
笑い声が上がる。軽いが、嘘のない声だった。
再び前を向く。雪を踏みしめ、一歩ずつ進む。吹雪の中で倒れた剣は、この城で一度、温められた。それだけで、十分だ。
追っ手が来るなら叩き割る。
道がなければ切り開く。
旅は続くが、この城での時間は終わりだ。
そう決めて、歩みを速めた。
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