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第71章 吹雪の境界線で、剣が止まった

 雪が横殴りに叩きつけてきて、視界は白一色だった。空と地面の区別がつかず、足元の感覚だけが頼りになる。踏み出すたび、脛まで沈む。重ね着した外套の内側に冷気が染み込み、呼吸をするたび喉の奥が痛んだ。


 境界標の柱が、ぼんやりと見えた。王国アルセリオの外縁。ここを越えれば、領地の気配が変わる。そう分かっていても、身体が言うことをきかない。魔力を巡らせようとしても、指先が痺れて集中が途切れる。


 剣の柄に手を掛けた。倒れる前に、せめて姿勢だけは保とうとしたかった。だが、膝が笑い、雪面に触れた瞬間、力が抜けた。


 ――ここで終わるのか。


 そんな言葉が浮かんだのが、妙に腹立たしかった。王城で婚約を失った時も、似たような言葉を向けられた気がする。終わりだ、役目を果たせなかった、と。だからこそ、こんな形で区切られるのは御免だった。


 視界が揺れ、白が遠ざかる。



 次に目を開けたとき、天井があった。石造りの梁。規則正しく並んだ木目。吹雪の唸りは遠く、代わりに薪の爆ぜる音が耳に届く。鼻をくすぐるのは、肉と香草の匂いだった。


 喉が焼けるように乾いている。起き上がろうとして、全身が重いことに気づく。毛布が何枚も掛けられていた。

 着るものも、旅装束から普通の服に変えられている。


「目が覚めたか」


 低い声。振り向くと、長身の男が立っていた。厚手の外套を脱ぎ、剣を壁に立て掛けている。鎧は実用一点張りで、装飾は少ない。辺境の人間だと一目で分かる。


「暖かい茶だ」


 差し出された木杯を受け取る。指が震え、少しこぼした。それを見て、男は眉を動かすだけで何も言わない。


 茶を飲み干すと、胸の奥がようやく落ち着いた。


「名を聞いてもいいか」


 答えようとして、一瞬だけ迷う。名は、時に刃になる。


「リュシア・エーベルハルト」


 姓まで含めて告げた。隠す理由はない。隠しても、いずれ分かる。


 男は小さくうなずいた。


「辺境伯ハインリヒ・バウアー。この城の主だ」


 肩書を聞いても、胸は騒がなかった。王城で聞き慣れた称号とは、重さが違う。

 武勇に優れた国境を守る男。いつも冷静で人付き合いが悪く、氷の辺境伯と呼ばれている。身分が高い貴族にも態度を変えない。それが許されているほど、強い力を持っている。


「雪原で倒れていた。見つけなければ、そのまま凍っていただろう」


「……助けてもらったようだ」


「生きているなら、それでいい」


 その言い方が、胸に引っかかった。評価も詮索もない。ただ事実だけを置かれた気がした。


 毛布の端を握り、身体を起こす。痛みはあるが、動ける。


「無理はするな」


「大丈夫だ。すぐに発たないと」


 短く返すと、ハインリヒは鼻で息を吐いた。


「動けるようだな。だが、外は吹雪だ。出発する前に、回復を優先しろ」


 運ばれてきたのは、熱いシチューだった。具は大ぶりで、腹を満たすことを目的にしている。匙を動かすたび、身体の奥に熱が広がる。


「……うまい」


 それだけ言うと、ハインリヒは少しだけ口角を上げた。


「噂の令嬢の言い方ではないな。腹が満ちれば、判断も戻る」


 食べ終えた頃、身体の感覚が戻ってきた。雪の中で削れた魔力も、わずかに巡り始める。


「礼は、どうすればいい」


 そう尋ねると、ハインリヒは即座に答えた。


「城の仕事をしていけ」


 拍子抜けするほど、当然の調子だった。


「助けた礼だ。滞在費と思えばいい。拒むなら、今すぐ外に出ても構わん」


 外の吹雪を思い出し、即答した。


「今は、やるしかないようだ」


「よし、では城の家事をしろ。それが仕事だ」


 それだけで話は終わった。


 立ち上がり、剣の位置を確かめる。そこにあると分かるだけで、気持ちが落ち着く。


 婚約を失ってから、誰かに指示されるのは久しぶりだった。だが、それが不快ではない。役に立てと言われる方が、よほど分かりやすい。


 雪に倒れた剣は、まだ折れていない。


 そう確かめながら、城の中へと歩き出した。



 リュシアが城に運び込まれたのを見ていた一団があった。

 マリアンヌの刺客達だ。


「手を出しづらい場所に入ったな。とりあえず戻ってマリアンヌ様に報告するぞ」


 一団は、王都へ足早に去っていった。

よろしければ何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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