第70章 また道を選ぶ
町の門を抜けた瞬間、背後に残る人の気配が距離とともに薄れ、代わりに風が草を揺らす音と、土の匂いがはっきりと身体に届くようになった。
墓所で起きていた異変は、もう暮らしを侵さない。そう断言できる感覚が、歩き出した足取りを軽くしている。
「もう行くのか」
門の脇で見張りをしていた男が声をかけてきた。町に入った時にも顔を合わせた人物で、こちらを警戒するより、結果を受け入れた後の安堵が表情に残っている。
「ああ。用事は終わった」
それだけ答えると、男は短く頷き、余計な引き留めはしなかった。
この町にとって必要だったのは、異変が消えたという事実だけで、それ以上の説明は要らない。
門を離れ、道の分かれ目まで進む。
右は荒れた土地へ続く道で、左は別の町へ向かう緩やかな街道だ。
どちらを選んでも構わない。そう思えること自体が、今の立場をはっきり示している。
「王家の墓所だったそうだな」
後ろから声が飛んでくる。
振り返ると、正規の王国兵士が立っており、興味と警戒が入り混じった視線を向けていた。
「場所は関係ない」
足を止めずに返すと、相手は一瞬だけ言葉に詰まり、それ以上は踏み込んでこなかった。
正しさを語る気も、価値を測る気もない。終わったものは終わった。それだけだ。
剣の重みが背中に心地よく収まり、歩くたびに装備が擦れる音が一定のリズムを刻む。
婚約中に抑え込まれていた感覚は、もう戻らない。礼儀や振る舞いが身体に染みついていること自体は否定しないが、それに従う必要はない。
墓所で見たものが、ふと胸をよぎる。
終われなかった想い。
残されたまま、場所に縛られていた感情。
すべてを消し飛ばさず、役目を終えさせる選択をしたことに、迷いは残っていない。
「次はどこへ行くんだ」
先ほどの兵士が、少し距離を保ったまま問いかけてくる。
「行きたい方へだ」
そう答えた瞬間、言葉が嘘になっていないことを、身体がはっきり理解した。
道の先で風向きが変わり、草の匂いが濃くなる。
地面の感触が少し荒くなり、次に踏み込む土地が、これまでとは違う顔をしていることを足裏が教えてくれる。
分かれ道の中央で、ほんの一瞬だけ立ち止まり、左へ進路を取る。
理由はない。
今の気分が、そう選んだだけだ。
「達者でな」
背後から飛んできた声に、片手を軽く上げて応える。
振り返らなくても、十分だった。
前を向き、次の土地へ向かって歩き出す。
旅は続くが、この依頼は確かに終わった。
選び、動き、叩き割り、そして進む。それが出来る限り、足は止まらない。
◇
兵士は踵を返すと、来た道ではない、逆側の街の出口へ向かって一気に駆け出した。立ち止まって息を整える余裕などなく、胸の奥で嫌な予感が膨らむのを押し殺しながら、ただ報告だけを急ぐしかなかった。
「すぐに、マリアンヌ様にご報告しなければ」
その言葉は独り言に近かったが、彼自身を追い立てる合図でもあった。街を出るや否や早馬を用意し、蹄の音を夜道に響かせながら走らせた結果、その日のうちに知らせはマリアンヌの元へ届けられる。
だが、それは安堵をもたらす報告ではなく、彼女の機嫌をさらに損ねる燃料に過ぎなかった。内容を聞き終えた瞬間、彼は行き先を詳しく聞き出さなかったことを責め立てられ、逃げ場のない叱責を浴びることになる。
「自力で王家の墓所も守れず、あの女の行き先も聞きだせないとは!」
吐き捨てるようなその声には、怒りだけでなく、思い通りに事が運ばない焦りが混じっていた。彼女は苛立ちを隠すこともせず、すでに分かっている情報だけを基に動く決断を下す。
完全ではないと承知の上で、方角だけを頼りに刺客を差し向ける命令を出し、その場を支配する空気は、冷えた刃のような緊張を帯びていった。
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