第67章 残されたものの形
崩れかけた通路へ足を踏み入れた瞬間、先ほどまでとは異なる感触が、靴底から脛、背骨へと連なって伝わり、身体が無意識に重心を低く取ったのは、この先にあるものが、罠や仕掛けの類ではなく、もっと直接的にこちらへ触れてくると理解したからだ。
「敵意は無い?一体、何なの?」
天井は低く、壁の石は荒く削られ、王家の墓所という整った印象から外れた造りになっているが、その粗さが逆に、後から付け足された場所であることを雄弁に物語っており、胸の奥にあった違和感が、ようやく形を得た気がした。
通路を進むにつれ、空気がわずかに温みを帯び、肌に触れる感覚が増えていく。
湿気でも熱でもない。
誰かの体温を思わせる、記憶に近い感触だ。
剣を構え、魔力を巡らせながら歩くが、敵意らしい反応は返ってこない。
それでも、足を止める理由はなかった。
動いて叩き割ることしか出来ない性分は、こういう場所では、むしろ余計な迷いを削ぎ落としてくれる。
通路の突き当たりで、視界が一気に開けた。
そこは墓所の最奥と呼ぶに相応しい空間で、天井は高く、中央に据えられた石棺だけが、場違いなほど整った形を保っている。
棺は閉じられている。
壊された痕跡も、無理に開かれた跡もない。
それなのに、ここが中心だと、身体がはっきり理解していた。
石棺へ一歩近づくと、胸の奥に溜まっていた感情が、波のように押し寄せてくる。
怒りではない。
悲しみでもない。
選ばれなかったことへの焦りと、残されることへの恐れが、混ざり合ったまま流れ込んでくる。
「この思念は?かつての王女か」
かつて、選ばれる側に立たされていた時間がある。
期待され、飾られ、正解を演じることを求められ続けた日々の感触が、ここで重なった。
それが他人のものであると分かっていても、身体は反応してしまう。
石棺に手をかける。
冷たい。
だが拒絶はない。
蓋を開けるつもりはなかった。
この中に、動く死体が横たわっていないことは、すでに分かっている。
ここにあるのは、肉体ではなく、残された想いだ。
魔力を強めると、石棺の上空に、淡い輪郭が浮かび上がった。
人の形に近いが、輪郭は揺らぎ、顔立ちは判然としない。
それでも、こちらを見ているという感覚だけは、はっきりと伝わってくる。
声はない。
だが、感情が直接流れ込んでくる。
守りたかったもの。
守れなかったもの。
選ばれなかった結果として、ここに縛られた想い。
「嫁ぎ先が決まっていたのに病気が原因で婚約破棄された?そして、病気で若くして死んだのですか」
不死者ではない理由が、より明確になる。
生に執着したのではなく、終わることを許されなかった。
王家の墓所という場所が、その想いを留め続けてしまったのだと、肌で理解する。
剣を振れば、すべて消せる。
魔法を叩き込めば、跡形もなく霧散する。
その選択肢は、最初から手の中にある。
だが同時に、何も残らない未来が、はっきりと想像できてしまった。
消せば終わる。
それは簡単で、速くて、確実だ。
それでも、剣を振り上げた腕が、途中で止まった。
迷いではない。
拒否でもない。
残すという選択肢が、ここにはある。
石棺の縁に足をかけ、距離を詰める。
近づくほど、感情の流れは強くなるが、押し返されることはない。
受け止めろと、そう言われているようだった。
胸の奥で、かつて抑え込まれていた感覚が、ゆっくりと形を変えていく。
従えと言われていた力は、今は選ぶために使える。
剣を構え直す。
狙うのは、想いそのものではない。
それを縛り付けている核だ。
◇
魔力を一点に集中させ、剣に重ねる。
力任せではない。
だが、繊細さも求めない。
一歩踏み込み、石棺の上空に浮かぶ核へ向かって、斜めに斬り上げた。
衝撃が空間を震わせ、感情の奔流が一気に溢れ出す。
焦り、悔い、未練が、形を持たないまま弾け散る。
同時に、魔法を叩き込み、余波を押さえ込む。
すべてを消し飛ばさないための力加減は、理屈ではなく感覚で決めた。
叩き割るが、壊しきらない。
核が砕け、残ったものが、石棺へと沈んでいく。
感情の重さが、急激に軽くなり、空間に澄んだ気配が広がった。
棺の中に何かが残ったわけではない。
だが、この場所が抱え込んでいた圧は、確実に薄れた。
剣を下ろし、息を整える。
汗が背中を伝い、指先がわずかに痺れている。
それでも、嫌な疲れ方ではなかった。
終わったわけではない。
墓所全体に広がっていた感覚が、完全に消えたとは言えない。
だが、中心である王女の思念は処理した。
あとは、全体がどう反応するかを確かめるだけだ。
石棺から離れ、来た道を戻る。
足取りは重くない。
選んだ結果を、身体が受け入れている。
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