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第64章 届いた噂

 白い衣を脱ぎ、預けていた剣を受け取った私は、柄に手を添えた瞬間にようやく自分の呼吸が落ち着いている事に気付き、村長の家の前で軽く肩を回しながら、「終わったわよ、あれで皆が安心するなら、それで十分でしょう」と言い残し、引き止めようとする声を背に受けつつも、夜明け前には村を発つ準備を整えるつもりで荷をまとめ始めていた。


 その頃、私が焚き火の残り香を払うように手を振り、剣の刃を布で拭いていたのと同じ時間、遠く離れた王都では、別の意味で落ち着かない空気が広がっていた。



「……この噂、本当なの?」


 静かな室内で、抑えた声が響き、侍女が差し出した書簡を受け取ったマリアンヌは、丁寧に整えられた指先で紙をなぞりながら、その内容を何度も読み返していたが、行間に滲むのは、どう考えても彼女の望んだ話ではなかった。


「北の村で、魔物を討ち、聖女と呼ばれた冒険者がいる……名前は、リュシア・エーベルハルト……」


 名前を口にした瞬間、彼女の眉がわずかに歪み、唇がきつく結ばれる。


「なぜ、今さら……」


 侍女は視線を伏せたまま、「噂はすでに市井にも広がり始めております」とだけ告げ、余計な感想を添えなかったが、その沈黙が、かえって事態の広がりを示していた。


「聖女、ですって……笑わせないで」


 吐き捨てるように言いながらも、マリアンヌの指は書簡を強く握り締め、その紙にしわを刻み込んでいく。



「王太子殿下には、まだ伝わっていないの?」


「はい、殿下のお耳には、まだ」


「なら、いいわ」


 短くそう言って立ち上がり、窓辺へと歩み寄る背中には、焦りと苛立ちが混じっていたが、それを外に見せる事はない。


「あの女は、いつもそう……自分では何も望んでいない顔をして、気付けば周りが持ち上げている」


 独り言のように呟いたその声は低く、しかしはっきりとした感情を含んでいた。


「私の顔に泥を塗った女が聖女ですって?いまいましい」


 振り返ったマリアンヌの目には、決意の色が宿っており、侍女は一瞬だけ躊躇った後、「……どのように?」と問い返す。


「これ以上目立つ前に、今度こそ消えてもらうわ」


 その言葉に、室内の空気が一段冷えたように感じられた。



 一方その頃、私は村外れの小道で、最後に焚き火を踏み消しながら、「二度と来る事はないかもしれないわね」と呟き、背負い袋を背中に掛け直していた。


 村人たちは遠巻きにこちらを見送っていたが、誰一人として、剣を持つ私に声を掛ける事はなく、ただ深く頭を下げるだけで、その様子が少しだけ居心地悪く、軽く手を上げて応えた。


「聖女様、お気を付けて……」


「だから、違うって言ってるでしょう」


 小さくそう返しながらも、足は止めず、森へと続く道へ踏み出す。



 背後で村の気配が途切れ、木々に囲まれた道に入ったところで、足を止め、周囲の気配を探るように視線を巡らせたが、今のところ、異変はない。


「……嫌な予感がする時ほど、当たるのよね」


 そう呟き、剣の柄を軽く叩いてから歩き出すと、朝靄の向こうに伸びる道は、相変わらず静かで、何事もなかったかのように見えた。


 だが、王都から伸びる悪意が、この先で形を持つ事になるとは、その時は、まだ知らなかった。

よろしければ何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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