第6章 私は王太子の元婚約者で、今は冒険者だ
私はリュシア・エーベルハルト。王国アルセリオにおいて伯爵家に生まれ、かつては王太子の婚約者という肩書きを持ち、今は冒険者として各地を歩いている女だと、最初に名乗っておかないと話がややこしくなるので、ここではっきりさせておく。
王太子の婚約者だった頃は、社交界で微笑みを求められ、言葉を選び、動きを制限され、剣も魔法も「たしなみ」として扱われる立場に置かれていたが、その扱いに納得できた記憶は一度もなく、むしろ身体の奥に溜まっていく違和感を見ないふりを続けていた。
今、その違和感は完全に消えている。
なぜなら街道の真ん中を、剣を背に、魔力を抑えもせず、行き先も定めず歩いているからだ。
王国アルセリオでは、王太子の婚約破棄は政治的失策として扱われるより先に、令嬢側の問題として記録される事が多く、私も例外ではなかった。
何が問題だったのかと問われれば、答えは単純で、従順ではなかったし、静かでもなかったし、用意された立場に収まる気もなかった、ただそれだけの話なのだが、そうした性質は記録には残らず、都合の良い文言に書き換えられる。
結果として、王宮を出た。
出る事を選んだのは、あの場所に留まれば、剣を握る理由すら失うと理解したからだ。
◇
地方都市グラントゥールの城門が見えた時、私はようやく足を止めた。
予定では通過するだけのはずだったが、街道脇で立ち往生していた商人たちの様子が妙に騒がしく、荷車の一部が壊され、護衛の数が足りていない事が一目で分かったため、そのまま無視して歩き去る選択肢が消えた。
「おい、あんた冒険者か?」
そう声をかけられたのは、商隊の年配の男で、剣を背負った私を見て、藁にも縋るつもりで話しかけてきたのだと分かったので、足を止めて振り向いた。
「そう見えるなら、その通りだ」
短く答えたが、周囲の視線が一斉に集まったのは、剣の位置や立ち方から、私が見習いではないと判断されたからだろう。
話を聞けば、城門からそう遠くない場所で魔物に襲われ、護衛が散り、商品を守るために街へ引き返す途中だという。
被害の内容は軽くなく、しかも近くに遺跡があると聞いた瞬間、頭の中で状況を組み立て、街に入らずに立ち去るという選択を捨てた。
放置すれば、被害は拡大する。
拡大すれば、冒険者ギルドが動く。
動くなら、私が先に叩いた方が早い。
そう考えた私は、商人たちに最低限の確認を済ませると、そのまま城門へ向かった。
◇
グラントゥールの冒険者ギルドは、地方都市にしては規模が大きく、掲示板には討伐依頼がぎっしり貼られていたが、その中で目についたのは、剥がされずに残っている一枚だった。
遺跡周辺の魔物討伐。
報酬は相場より高い。
それでいて、完了報告がない。
「誰も受けなかったのか、それとも戻らなかったのか」
独り言に近い呟きを落とした瞬間、背後から声が返ってきた。
「受けた人はいる。でも、続かない」
振り向くと、そこに立っていたのは、私より少し年下に見える青年で、冒険者の装備ではないが、遺跡の土埃が染みついた服を着ていた。
彼はこの土地の人間で、遺跡の近くで暮らしている事、被害が出るたびに街と遺跡を往復している事を、隠さず話した。
私が興味を持ったのは、その内容ではなく、危険を語る口調に逃げ腰がなかったからだ。
「止めたいなら、様子見じゃ足りない」
そう言うと、彼は少し驚いた顔をしたが、否定はしなかった。
私が依頼書を剥がしたのは、彼の案内があれば、無駄な遠回りをせずに核心へ辿り着けると判断したからだ。
彼が私に同行を申し出たのは、私が貴族の身分を隠そうともせず、それでいて尻込みもしなかったからだと、後になって分かる。
その時点では、ただ、話が早い相手だと感じただけだった。
◇
ギルドを出た後、街の外れへ向かいながら、背の剣に手を伸ばし、久しぶりに全力で振るえる感覚を確かめた。
令嬢らしさを求められていた頃には許されなかった動きが、今は何の咎めもなく出来るという事実が、胸の奥を妙に軽くする。
王太子の元婚約者である事実は消えない。
だが、それに縛られ続ける必要もない。
私は冒険者だ。
剣を振るい、魔法を放ち、問題があるなら正面から叩く。
そう決めて歩いているから、今ここにいる。
それだけで十分だった。
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