第57章 街が割れる音
決闘場を離れてしばらく歩いた頃、街の空気が目に見えて変わったわけではないのに、肌に当たる風の重さが違うと感じたのは、旅を続けてきた中で何度も味わってきた前触れと同じで、嫌な予感というよりは、剣を抜くべき場面が近いと身体が先に理解した感覚だった。
◇
「聞いたか、決闘は無効だとよ」
「ふざけるな、勝ったのはあっちだろうが」
「いや、殺さなかったから無効なんだとさ」
通りの先から聞こえてくる声は最初こそ低く抑えられていたが、言葉が重なるにつれて荒さを増し、足を止める事なく歩きながら、視線だけで周囲を確認し、商店の戸が閉められ始めている事や、路地裏に人影が増えている事を一つずつ拾い上げていた。
宿へ戻る途中、角を曲がった先で怒鳴り声と金属音が同時に響き、反射的に足を止め、次の瞬間には剣の柄に手を掛けていた。
◇
「おい、何の真似だ!」
「こっちが聞きたい、あれで終わりだと思うなよ!」
向かい合っていたのは両家の家臣らしき男たちで、酒場の前に人だかりが出来、怒声が飛び交う中で一人が拳を振り上げ、それを合図にしたかのように殴り合いが始まり、周囲の人々が悲鳴を上げて散っていく。
「下がれ!」
声を張り上げながら割って入り、拳を振るおうとした男の腕を掴んで捻り上げ、勢いのまま地面に叩き伏せ、同時にもう一人の男が短剣を抜くのが見えた瞬間、躊躇なく足を踏み込み、柄頭で鳩尾を打って動きを止めた。
「剣を抜く場所じゃない、周りを見ろ」
私の声に周囲が一瞬静まり返ったが、すぐに別の場所から怒号が上がり、どうやらここだけの話では終わらないらしいと理解した私は、深く息を吸い、事態が街全体に広がりつつある事を認めざるを得なかった。
◇
宿へ戻ると、主人が慌ただしく戸締まりを確認しており、私の顔を見るなり声を掛けてきた。
「外は危ない、今日はもう出歩かない方がいい」
「それは出来ない、街の中で剣が振られ始めている」
そう返すと、主人は一瞬言い返そうとしたが、私の表情を見て言葉を飲み込み、代わりにため息を吐いて首を振った。
「巻き込まれるなよ」
「出来る限りは」
それだけ答えて再び外へ出ると、すでに通りのあちこちで衝突が起きており、走りながら目に入った争いを一つずつ止め、殴り合いなら力で引き離し、刃物が出れば即座に叩き落とし、言葉を交わす暇もなく身体を動かし続けた。
◇
しばらくして、路地の奥で若い貴族の姿を見つけた時、思わず舌打ちし、彼は家臣に囲まれながらも落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「何をしている、屋敷に戻れ」
「あなたが、外で人を止めていると聞いて」
「聞くな、見ろ、ここはお前が立つ場所じゃない」
強めに言い放つと、彼は一瞬怯んだが、すぐに視線を逸らさずに言い返してきた。
「この騒ぎは、私が剣を止めたからだ、逃げるつもりはありません」
その言葉に一歩近づき、彼の胸倉を掴む寸前で手を止め、代わりに低い声で告げた。
「お前が剣を止めたからじゃない、止まらない連中がいるからだ、勘違いするな」
彼は何か言いかけたが、その瞬間、別方向から悲鳴が上がり、私は彼を突き放して走り出した。
◇
夜が深まるにつれて衝突は収まる気配を見せず、息を切らしながら通りの中央に立ち、剣を握ったまま周囲を見渡し、このままでは街が持たないと感じ、同時に自分一人で出来る事の限界も理解していた。
その時、若い貴族が再び現れ、今度は家臣を遠ざけて私の前に立ち、はっきりとした声で言った。
「もう一度、決着をつける方法があります、私ではなく、あなたに剣を託したい」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが重く沈み、すぐには答えずに夜空を見上げ、街に散らばる灯りと怒号を映す雲を眺めてから、視線を彼に戻した。
「……続きを話せ」
それだけ告げ、剣を鞘に収める事なく、その場に立ち続け、次に自分が立つべき場所が決闘場になる可能性を、はっきりと受け止めていた。
それは、若い貴族の逃げだとは分かっていたが、彼の優しさを知った私は、甘んじて受ける事にした。
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