第55章 剣を振れ、目を逸らすな
翌朝、宿の一階で固いパンと薄いスープを流し込みながら、この街に長居するつもりはないと自分に言い聞かせていたが、約束の時刻が近づくにつれて胸の奥が妙に落ち着かなくなり、剣帯を締め直す指先に自然と力が入っている事を自覚しつつ、結局はその違和感を無視して宿を出た。
◇
「こちらです、街の外れに簡素な訓練場があります、形ばかりですが一応、誰にも邪魔されず剣を振れる場所です」
若い貴族はそう言って先を歩き、背筋を伸ばした姿勢は崩れていないものの、足運びにわずかな迷いがあり、その背中を見ながら、剣以前に覚悟の置き所が定まっていないのだと判断し、今日は遠慮なく踏み込む必要があると心の中で決めていた。
「言っておくが、優しく教える気はない、綺麗な形も気にしない、ここでは勝つために剣を振れ、それが出来ないなら今すぐ引き返せ」
訓練場に着くなりそう告げると、彼は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに唇を引き結んで頷き、その反応に、わずかに口角を上げ、剣を抜きながら彼の前に立った。
「まずは打ち合う、頭で考えるのは後だ、構えろ」
合図と同時に彼が剣を構え、一歩踏み込んで容赦なく打ち込むと、金属音が乾いた空気を震わせ、彼は反射的に受け止めるものの体勢を崩し、すぐに距離を取ろうと後退した。
「下がるな、逃げ道を作るな、相手を見ろ、剣先じゃなく目を逸らすな」
私の声に促されるように彼は踏み止まり、必死に視線を合わせてくるが、次の瞬間には私の剣が横薙ぎに迫り、彼は慌てて防ぎながらも肘が上がり、無駄な力が入っているのが一目で分かった。
「力を入れる場所が違う、怖いなら怖いままでいい、その代わり手を止めるな、止まった瞬間に終わる」
言葉と同時に連撃を叩き込み、彼は必死に受け続けるが、やがて足がもつれて転び、砂埃を上げて地面に倒れ込んだ。
◇
「立て、まだ終わりじゃない」
差し伸べる手は出さず、剣を下げたままそう言い放ち、彼は歯を食いしばりながら立ち上がり、服に付いた土を払う事もせず再び剣を握り直した。
「あなたは、相手を傷つける事を恐れている、それ自体は悪くないが、剣を持った瞬間にそれを最優先にするな、迷いは剣に出るし、相手は必ずそこを突いてくる」
彼は何か言い返そうとして口を開いたが、言葉にならないまま閉じ、その表情に悔しさと戸惑いが混じっているのを見て、さらに踏み込む事にした。
「決闘の場では、相手は容赦しない、倒されるのは相手か自分だ、その覚悟を持てないなら、剣を抜く資格はない」
「……それでも」
彼が何かを言いかけた瞬間、再び間合いに入り、剣を振り下ろしながら声を重ねた。
「言葉は後だ、今は剣で示せ」
再開された打ち合いの中で、彼の動きは徐々に変わり、まだ荒削りではあるが、先ほどよりも踏み込みが深くなり、受けるだけだった剣がわずかに前へ出るようになっていくのが分かり、それを感じ取って攻撃の手を緩めず、限界まで追い込んだ。
◇
十分ほど打ち合ったところで、剣を下ろし、息を切らしている彼を見据えながら静かに言った。
「今のだ、今みたいに、相手を倒す事だけを考えて振れ、余計な事は全部捨てろ」
彼は肩で息をしながらも、先ほどよりも真っ直ぐな目でこちらを見返し、深く頷いた。
「……分かりました、まだ足りない事だらけですが、今の感覚は、忘れないと思います」
その言葉に軽く鼻を鳴らし、剣を鞘に収めながら背を向けた。
「今日はここまでだ、明日も同じ事をやる、体が覚えるまで繰り返す、それだけだ」
訓練場を後にする途中、街の方から聞こえてくる人々のざわめきが昨日よりも大きくなっているのを感じ、足を止める事なく歩き続けながら、この街が抱えている緊張が確実に膨らんでいる事を肌で受け取り、だからこそ剣を振る意味を誤らせてはいけないと、改めて心の中で確認していた。
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