第5章 欲しかったものは、ここに置いていけない
王宮の執務棟に隣接する評定用広間は、夜会の華やかさとは無縁で、重い机と高い天井、壁に並ぶ王国史の肖像画が、ここで交わされる言葉が立場と結果を直接結びつけるものであることを、空気そのものとして押し付けてくる場所だった。
「本日の議題は、先日の夜会における演武と、それに伴う一連の判断についての確認だ」
文官長がそう切り出すと、武官、貴族、王宮関係者が揃うこの場に、私が呼ばれている意味が、誰の目にも明らかになる。
「確認、ですか。ずいぶんと改まった場ですね」
私がそう述べると、文官長は形式を崩さないまま応じる。
「個人の問題では済まなくなった以上、王国として整理が必要になる。特に、あの場で示された力と、それを切り離した判断については、説明を求める声が複数上がっている」
◇
セルヴェール殿下は正面の席に座り、表情を引き締めたまま言葉を重ねる。
「私の判断は、あくまで王太子妃という役割を基準にしたものだ。武力の有無ではなく、象徴としての適性を考慮した結果であり、そこに誤りはない」
「誤りがあるかどうかを決めるのは、判断した本人ではなく、その判断によって生じた影響だ」
侯爵が淡々と返すと、別の武官が続ける。
「夜会で示された力量は、王国の防衛に直結する。あの水準を、王宮の枠外に出す選択が、最善だったのかは再検討が必要だ」
「再検討、ですか。婚約はすでに解消されている」
殿下の言葉に、視線を上げ、はっきりと告げる。
「ええ、解消されています。ですから、私を王宮に留める理由は、もう存在しませんね」
◇
その流れの中で、文官長が私に向けて言葉を置く。
「リュシア・エーベルハルト、王宮としては、あなたの能力を何らかの形で活用する選択肢を検討せざるを得ない。武官補佐、特別任務、あるいは、騎士団との協力関係についても話を進められる」
その提案が出た瞬間、マリアンヌの表情が明らかに揺れ、彼女は堪えきれない様子で前へ出る。
「少し、お待ちください。そのような話を、今ここで進めるのはおかしいのではありませんか。殿下は、王太子妃としてふさわしくないと判断された方ですのよ」
「その判断と、王国にとって必要な力であるかどうかは、同一ではない」
文官長の返答に、マリアンヌは唇を噛み、感情を抑えきれずに続ける。
「では、何のために選ばれたのですか。殿下のお隣に立つために努力してきた私の立場は、今ここで比べられるものなのでしょうか」
◇
その言葉に、殿下が即座に応じる。
「マリアンヌ、落ち着いてくれ。君が選ばれた理由は変わらない。だが――」
その先が続かず、彼は視線を伏せ、言葉を選び直す。
「だが、あの力を王宮の外に出すことが、ここまでの影響を持つとは、正直に言えば想定していなかった」
その発言が、場の空気を一段階変える。
「想定していなかった、ですって?」
マリアンヌの声が震え、彼女は殿下を見据える。
「私は、あなたの判断を信じていました。あの方は不要だと、あなたがはっきり示したからこそ、前に出られた。それなのに、今になって惜しかったなどと評価されるなら、何を基準に立っていればよかったのですか」
殿下は、即座に言い返すことが出来ず、代わりに、苦い表情のまま言葉を絞り出す。
「不要だったわけではない。ただ、王太子妃としては――」
「それが、今さら何になるのですか」
マリアンヌは、もはや体裁を保つ余裕を失い、感情をそのままぶつける。
「皆があの方を見る目を変えた今、私が殿下のお隣に立つたび、比較され続けるということですか。それが、あなたの言う選択の結果なのですね」
◇
殿下は、その言葉を受け止めきれず、私の方へ視線を向ける。
「リュシア、もし可能であれば――」
「申し訳ありませんが、その先を聞く義務はありません」
そう遮り、場にいる全員に向けて言葉を置く。
「私に向けられた提案が、王宮に留まることを前提とするものであれば、受けるつもりはありません。必要とされる場所があることは理解しましたが、必要とされなかった場所に戻る理由はありませんので」
「それは、あまりにも――」
殿下の言葉を、侯爵が制する。
「妥当だ。不要だと切り離した存在が、別の形で価値を持つことは珍しくない。問題は、それを取り戻せると考える方が、都合が良すぎるという点だ」
◇
マリアンヌは、力なく椅子に腰を落とし、視線を伏せたまま、絞り出すように言葉をこぼす。
「私は、勝ったと思っていました。選ばれたのだから、それで全てが終わるのだと。ですが、今になって分かります。私が得たのは立場だけで、殿下が本当に惜しんでいるものは、最初から私の手にはなかった」
その言葉に、殿下は反論できず、ただ、苦悩を滲ませた声で応じる。
「結果として、そう見えてしまっているのは否定できない。私の判断が、ここまでの状況を生んだことも」
その場にいる誰もが、その言葉を「後悔」として受け取り、評価はすでに確定していた。
◇
一歩下がり、机の上に置かれていた書類の束から、冒険者ギルドへの登録証を取り出す。
「王宮のご配慮には感謝します。ですが、すでに別の道を選びました。この身分証があれば、王都の外でも問題はありません」
文官長がそれを見て、短く頷く。
「ならば、王宮として引き留める理由はない。健闘を祈ろう」
◇
王都の門前で、荷を背負い、剣を腰に差し、振り返らずに歩き出す。
背後では、誰かが何かを言おうとしていたが、それに応じる必要はなく、門を抜けた先に広がる道だけが、今の私にとって現実だった。
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