第45章 水の奥で動くもの
朝の空気は冷たく澄んでいて、井戸の縁に立った瞬間、昨日よりもはっきりとした異臭が鼻を突き、「一晩で濃くなってるわね」と呟くと、背後でカイルが小さく息を吸い、「確かに、嫌な感じがする」と答え、ロープを確認しながら「今日は下に降りる、でも深入りしすぎない、異変を確認したら戻る」と釘を刺した。
◇
井戸の中は薄暗く、朝の光が上から細く差し込むだけで、水面は相変わらず鈍く揺れており、昨日見つけた横穴の位置まで慎重に降り、「足場を確認してから動く、急がない」と低く言い、後ろから降りてくるカイルに「間合いを詰めすぎないで」と指示を飛ばした。
「分かってる、前に出ない」
その返事を聞きながら、横穴の入口に身体を滑り込ませ、井戸の円形とは違う、人工とも自然とも言い切れない歪な通路に足を踏み入れ、「壁が湿ってる、水が流れ込んでる形跡がある」と独り言のように呟いた。
◇
横穴は想像よりも奥行きがあり、天井は低く、場所によっては腰をかがめなければ進めず、足音を極力殺しながら進み、「水音がする、止まって」と手を上げ、耳を澄ませると、どこかで粘つくような音が不規則に響いているのを感じ取った。
「……生きてるな」
カイルが小声でそう言い、頷きながら「ええ、水そのものが動いてる感じじゃない」と答え、剣に手を掛けつつも抜かず、「正体を確認するまで、仕掛けない」と続けた。
◇
通路の先がわずかに広がり、天井が高くなった空間に出た瞬間、足を止め、「水が溜まってる」と囁き、地面に広がる浅い水たまりの表面が、不自然に盛り上がっては沈む様子を見て、背筋に冷たいものが走った。
「……あれか?」
「まだ断定しない」
一歩ずつ距離を詰め、水面に落ちている石や泥が、溶けるように形を崩していくのを確認し、「分泌物ね、井戸の水を濁らせてる原因はこれ」と判断しながらも、「動くまで待つ」と静かに言った。
◇
水面が大きく波打ち、半透明の塊がゆっくりと持ち上がるように形を変え、その表面が脈打つのを見て、「水棲の魔物、形状は……嫌なタイプ」と低く呟くと、カイルが思わず一歩踏み出しかけ、「待て」と即座に腕を伸ばして制した。
「まだよ、剣が通るか分からない」
「でも、今なら――」
「今だからこそ、様子を見る」
強く言い切り、魔物がこちらを認識したのか、水面を伝ってゆっくりとこちらへ滲むように動き出すのを見ながら、「動きは遅い、でも油断出来ない」と頭の中で距離と退路を計算していた。
◇
魔物は直接襲いかかってくることはなく、代わりに水面から粘つく液体を吐き出し、それが壁や地面に付着して広がるのを見て、「触れると厄介そうね」と呟くと、カイルが歯を食いしばり、「俺が前に出る」と低く言った。
「出ない」
即座に遮り、「今日は確認だけ、戦うなら準備してから」と言い切り、剣を半ば抜きながらも、「戻るわよ」と後退の合図を出した。
◇
魔物は私たちが距離を取ると、それ以上追ってくることはなく、水たまりの中央に戻るように沈み込み、再び表面が静かになっていくのを確認し、ようやく息を吐いた。
「……逃げた?」
「違う、あれは、動かなくても困らないだけ」
そう答え、「だからこそ、焦って切り込むと危ない」と付け加え、横穴を引き返しながら、「正体は確認出来た、今日はこれで十分」と判断した。
◇
井戸の外へ戻ると、朝の光がやけに眩しく感じられ、ロープを外しながら「村の水が濁るのも無理はないわね」と呟き、カイルは拳を握りしめ、「次は、倒すんだな」と低く言った。
「ええ、でも、その前に考える」
そう答えながら、地下で見た粘つく水の動きを思い返し、「剣だけで済む相手じゃないかもしれない」と胸の内で警戒を強めつつも、その言葉を口には出さず、村へ戻る道を歩き始めた。
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