第44章 井戸の底にあるもの
朝の村は静かで、夜露の残る土の匂いと、どこか重たく澱んだ水の気配が混じり合い、井戸へ向かう道すがら、「人が集まらない場所っていうのは、理由が分からないうちは近づきにくいものね」と呟き、背後でカイルが「だからこそ、放っておけない」と返すのを聞きながら、歩幅を変えずに進んだ。
◇
井戸は広場の裏、家々から少し距離を取った場所にあり、石組みは古く、長い年月を耐えてきたことが一目で分かるが、縁に近づいた瞬間、眉をひそめ、「やっぱり、水の匂いがおかしい」と低く言い、カイルに向かって「剣に手を掛けない、まだよ」と改めて告げた。
「中、覗くだけか?」
「ええ、まずはそれだけ」
井戸の縁に手を掛け、慎重に身を乗り出して内部を覗き込み、暗闇の中に揺れる水面が、光を受けて不自然に鈍く反射しているのを確認し、「濁ってるというより、何かが混じってる」と判断した。
「降りるのか?」
カイルの問いに、一瞬だけ考え、「私が先に行く」と答え、ロープを固定しながら「下から合図があるまで、動かないで」と念を押すと、彼は不満そうな顔をしながらも「分かった」と応じた。
井戸の内壁は湿っており、苔と水分で滑りやすく、足と手の置き場を確かめながらゆっくりと降り、「この程度で音を立てると、上から何も見えなくなるわよ」と独り言のように呟きつつ、一定の距離を保って下へ進んだ。
◇
水面近くまで降りたところで、違和感に気づき、「……壁が、削れてる」と低く声を出し、石組みの一部が不自然に欠けている箇所を指でなぞり、自然崩落にしては形が揃いすぎていることを確認した。
「どうした?」
上から響くカイルの声に、「横に続いてる」と短く返し、さらに身体をずらして確認すると、井戸の底から少し上の位置に、暗闇へと続く細い横穴が口を開けているのが見えた。
「人が掘った感じじゃないわね」
小声でそう呟き、穴の縁に残る粘ついた痕跡を見て、「土でも石でもない、嫌な感触」と判断し、指先をすぐに引っ込めた。
「降りるな、そこから先は、俺も一緒だ」
上から聞こえたカイルの声には、いつになく強い調子が混じっていて、一瞬だけ迷ったが、「勝手に降りるなら、置いていく」と返し、続けて「降りるなら、私の後ろ」と条件を付けた。
「分かってる」
◇
一度井戸の底に足をつけ、周囲を確認してから上を見上げ、「今日はここまで、入口を見つけただけでも十分」と声を掛け、これ以上進めば視界も足場も悪くなると判断し、ロープを合図代わりに軽く引いた。
「原因は、この横穴に繋がってる可能性が高い、でも、今すぐ踏み込む必要はない」
そう言いながら再びロープを使って登り始め、地上に戻ると、カイルは歯を食いしばったような表情で井戸を見下ろしていた。
「行けそうだった」
「行けるかどうかと、行くべきかどうかは別よ」
きっぱりと言い、「暗くて、水が絡む場所は、準備不足で入ると死ぬ」と続けると、彼は何か言い返そうとして口を閉じ、黙って頷いた。
◇
村長に簡単な報告を済ませ、井戸の近くには近づかないよう伝えた後、村の外れで再び野営の準備をしながら、「入口を見つけた、それだけで今日は十分」と自分に言い聞かせるように呟いた。
カイルは焚き火の前で剣を磨きながら、「明日は、下に行くんだな」と静かに言い、炎を見つめたまま「ええ、でも、無理はしない」と答え、井戸の底に残った嫌な感触を、頭から追い出すように息を吐いた。
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