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第34章 老領主の屋敷にて

 街道から外れて森沿いの細道に入ったあたりで、馬の蹄が踏む土の感触が柔らかく変わり、枝葉の間から差し込む夕暮れの光が屋根瓦の端に反射した瞬間、ようやく目的地に着いたと理解し、わざわざ足を伸ばした判断は間違っていなかったと、剣の柄に手を掛けながら小さく息を吐いた。


「――まさか本当に来るとはな、その背中の剣を見なければ、まだ夢でも見ているのかと思ったところだ」


 門の前で腕を組んで立っていた老人がそう言って目を細めたのを見て、無意識に肩をすくめ、「夢ならもう少し見映えのいい格好をさせてくださいよ、旅の途中で埃まみれのまま立ち寄るなんて、私だって本当はもう少し体裁を気にしたいところなんですから」と、半分冗談、半分本音を混ぜて返した。


 彼――この地を治める老領主は、かつて私がまだ剣を振るうことを咎められずに済んでいた頃、何度も世話になった人物で、門をくぐる許しを得るより早く、「その口の利き方だけは変わらん、立ち話も何だ、今日はここに泊まっていけ」と断定するように言い切り、私の返事を待つつもりなど最初からない様子で背を向けた。


「泊まっていけと言われて断るほど、行儀のいい旅人じゃありませんよ、それに正直なところ、この匂いを嗅いだら、空腹を誤魔化すのは無理です」


 屋敷の中庭に足を踏み入れた瞬間、かすかに漂ってくる煮込みの香りにそう告げると、老領主は喉を鳴らして笑い、「昔からそうだな、剣より先に鼻が動く、その様子を見ていると、余計な心配をせずに済む」と、私の歩調に合わせてゆっくりと廊下を進んだ。



 客間に通され、外套と装備を外して椅子に腰を下ろした途端、張り詰めていた身体の力が抜けていくのを感じながら、天井の梁を見上げ、「こうして座ると、昔と何も変わっていない気がしますね、家具も、壁の色も、あの時と同じだ」と呟くと、老領主は向かいの席に腰を下ろし、「変えなかったのだ、変える必要を感じなかったと言ったほうが正しいかもしれんがな」と静かに答えた。


「私がここを出た時は、剣を背負って歩くなんて、あまり歓迎されない頃でしたけど、それでも追い返されずに済んだのは、この屋敷だけでした」


 そう言うと、老人は少しだけ視線を逸らし、「歓迎しない理由がなかったからだ、剣を持つことと、誰かを守ることは別だと、お前は最初から分かっていた」と、過去を断定するように言い切り、その言葉に反論も否定もせず、ただ黙って湯気の立つ茶を受け取った。


「ありがたい話ですけど、そういう評価は、当時の私には少し荷が重かったんですよ、背負うものは剣だけで充分でしたから」


 茶を一口含みながらそう返すと、老領主は小さく頷き、「今はどうだ、背負うものは増えたか」と問いかけてきたため、一瞬考え、「剣の重さは変わりませんけど、振る理由は、だいぶ減りましたね」と、曖昧とも取れる答えを返した。



 夕食の席は、派手さこそないものの、温かい料理と静かな会話に満ちていて、皿を空にしながら、「やっぱり、ここで食べる料理は落ち着きます、旅の途中だと、どうしても急いで口に放り込む癖がついてしまって」と素直な感想を述べると、老領主は満足そうに「そう言われると、台所の者たちも報われるだろう」と応じた。


「このあたりは、以前よりも静かですね、街道も、人の流れも、少し変わった気がします」


 私が何気なくそう口にすると、老人は一拍置いてから、「変わったさ、良くも悪くもな」と短く答え、その言葉の端に含まれた含みを、聞き逃さなかった。


「悪いほうの話は、旅人の耳にも入りますからね、森が荒れているとか、夜道を避けたほうがいいとか、そういう話は嫌でも聞こえてきます」


 そう告げると、老領主は皿の縁に指を掛けたまま、「噂というものは、剣よりも早く広がる、だが全てが嘘というわけでもない」と、視線を落としたまま答え、食卓の空気が、ほんのわずかに重くなる。



 食後、暖炉の火を前にして椅子に身を沈めた老領主は、燃える薪を見つめながら、「この屋敷にはな、代々受け継がれてきたものがある」と、唐突に切り出し、その言い回しに、単なる昔話以上のものを感じ取った。


「代々、ですか、それはまた、重そうな話ですね」


 軽く受け流すように返した私に対し、老人は首を振り、「重いかどうかは、持つ者次第だがな、ただ、時折、その重さを狙ってくる者が現れる」と続け、その言葉に、自然と背筋を伸ばした。


「狙われるようなものなら、なおさら大切に扱っているでしょうし、今ここで詳しく聞く話でもなさそうですね」


 そう締めくくると、老領主は私を見て、「その判断ができるところが、お前の変わらぬところだ、今夜は休め、話はまた明日にしよう」と告げ、私もそれ以上踏み込まず、「では、ご厚意に甘えます」と素直に応じた。



 用意された客室でベッドに腰を下ろし、剣を壁に立て掛けたまま天井を見上げると、屋敷に漂う静けさの中に、微かに不穏な気配が混じっているのを感じながらも、それを言葉にすることなく、「ここに泊まるのは、久しぶりだな」とだけ呟き、明日の話を待つことにした。

よろしければ何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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