第30章 匂いの途切れた場所まで
人の声が混じる気配を背中で感じながら、私は足を止めることなく歩調だけを落とし、「今から言うことを守れ、何があっても私の前に出るな、質問は後だ」と低く告げると、小ドラゴンは喉を鳴らす音すら飲み込むようにしてうなずいた。
「さっきの人たち、こわい?」
背後から小さく投げられた問いに、私は前を見据えたまま「怖いかどうかで判断するなら、面倒な方だ、面倒というのは余計なことをしてくる可能性が高いという意味で、今のお前に近づいてほしくない種類の存在だ」と返し、枝を踏まない位置を選んで進む。
匂いの流れははっきりしていて、風下に向かって細く伸びるその線を追うように森を横切ると、地面には明らかに人の足跡が残っており、小ドラゴンが「ここ、おかあさんの匂いが急に薄くなった」と囁いた瞬間、私はしゃがみ込んで土に指を差し込み、「ここで一度立ち止まった、重い体を支えた跡がある、そして引きずった形跡はない」と確認する。
「じゃあ、つかまってない?」
「少なくとも無理に動かされた様子はない、ただし安心はできない、立ち止まる理由が良いものとは限らないからな」と答えた私の声に、小ドラゴンは翼をすぼめながら「おかあさん、ぼくのこと探してるかな」と不安をこぼし、私は即座に「探している、断言する、そうでなければこの匂いの流れはこうならない」と言い切った。
森の奥へ進むにつれて、人の気配は断続的に現れては消え、私はそのたびに進路を微調整しながら、「静かに、今は風の音に溶け込め」と指示を出し続け、小ドラゴンもそれに従って息遣いを抑える。
「ねえ、どうして助けてくれるの?」
不意に投げかけられた問いに、私は一瞬だけ考えたが、足は止めず、「理由が欲しいなら、放っておく方が後味が悪い、それだけだ」と短く返すと、小ドラゴンはしばらく沈黙した後、「それ、よく分からないけど、うれしい」と素直に言った。
やがて、森の空気がわずかに変わり、湿った苔の匂いに混じって鉄のような匂いが鼻を突いた瞬間、私は小ドラゴンを制止し、「ここから先は特に注意しろ、人間の痕跡が濃い」と告げて木陰に身を寄せる。
「人間って、どうしてドラゴンを追うの?」
「怖いから、欲しいから、強さを誇りたいから、理由はいくつもあるが、どれもお前にとっては碌なものじゃない」と答えると、小ドラゴンは尻尾を丸めながら「ぼく、なにもしてないのに」と呟き、私は「だからこそ守る価値がある」と即答した。
匂いの流れはやがて大きく迂回し、開けた場所へと向かっていたが、私はその手前で足を止め、「ここで一度様子を見る、声を聞いたら私が合図するまで動くな」と伝え、木の幹に背を預けて耳を澄ます。
◇
遠くで人の笑い声が聞こえ、小ドラゴンがびくりと身をすくめたのを感じた私は、「大丈夫だ、まだ距離がある」と囁きながら、指で地面を示して伏せさせる。
「もし、見つかったら?」
「その時は私が前に出る、お前は逃げ道を確保して待て、合図があったら全力で飛べ」と具体的に告げると、小ドラゴンは不安そうに「一人でだいじょうぶ?」と問い返し、私は振り返らずに「大丈夫じゃなくてもやる、だから心配するな」と言い切った。
しばらくして人の気配が遠ざかったのを確認し、私は再び歩き出しながら、「今のは偵察だ、母親の匂いはまだ続いている、焦るな」と声を掛けると、小ドラゴンは小さくうなずき、「うん、きみの後ろにいる」と答えた。
森の奥で、再び匂いが強まった瞬間、私は立ち止まり、「近いな、ここからは慎重に行く」と告げ、剣の柄に手を添えながら前を見据える。
小ドラゴンは何も言わず、ただ私の背中を信じるようにぴたりとついてきており、その重みが今は不思議と心地よく感じられた。
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