第24章 一時の安寧
森の奥に進むにつれて、空気が少しだけ柔らいでいくのを肌で感じていた。さっきまで張り付いていた警戒心が消えたわけではないが、剣を握る手の力がわずかに抜けていることに気づき、それを自覚した瞬間に舌打ちしたくなる。
「油断してるわけじゃないから」
私がそう言うと、黒いローブの青年は振り返りもせずに歩きながら、楽しそうに喉を鳴らした。
「分かってる。油断してる人は、そんな言い方をしない」
この男、やっぱり気に入らない。そう思いながらも、歩調を合わせてしまっている自分に内心で悪態をつく。森の中を進む速度が、妙に心地いいのだ。
「依頼地はこの先よ。小規模な魔物の群れが出るって話だから、後ろに下がってなさい」
「了解。でも、君が倒れそうになったら、その時は助ける」
「余計なお世話」
そう言い返したはずなのに、胸の奥がわずかに温かくなる感覚があって、視線を逸らした。
森を抜けた先に、小さな開けた場所があった。岩と倒木が点在し、野営には悪くない。自然と足を止め、周囲を見回す。
「ここで一度休む。魔物は夜に動くことが多いから、その前に準備をするわ」
そう告げると、青年は素直に頷き、荷物を下ろした。
「準備って、剣の手入れとか?」
「それもあるし、魔法の感覚を整える」
言いながら、自分でも意外に思った。ついさっき、魔法の話は聞きたくないと言ったばかりなのに、自然とその言葉を口にしている。
「感覚を整える、か。いい言い方だね」
青年は私の向かいに腰を下ろし、焚き火の準備を始めた。その手つきが慣れていて、無駄がない。
「さっき見せた魔法、もう一度やってみて」
「命令?」
「提案。嫌なら断っていい」
一瞬だけ考え、剣を横に置いた。
「……一回だけよ」
そう前置きして、魔力を呼び起こす。いつも通り、力を一気に集めて放つやり方をしようとして、ふと彼の言葉を思い出した。
「抑え込んでる、って言ったわね」
「言った」
「だったら、抑えないとどうなるのか、見てみたい」
自分で言っておいて、少しだけ怖かった。だが、その怖さは嫌なものではない。息を整え、魔力の流れに逆らわず、ただ動くままに任せた。
小さな光が生まれ、揺れ、消える。
それだけだった。
「……え?」
拍子抜けした私に、青年は笑わず、真剣な目でこちらを見る。
「今の、どう感じた?」
「軽い。いつもより、ずっと」
「それが本来の形だ。君は力が強すぎるから、無意識に縛っていた。壊れないようにね」
私は拳を握り、開く。
「壊れないように、か」
思い当たることが多すぎて、言葉に詰まる。訓練場で言われ続けた言葉、社交の場で求められた振る舞い、すべてが頭をよぎる。
「君は、壊れるのを恐れる必要がない。壊す側なんだから」
その言葉に、思わず吹き出してしまった。
「それ、褒めてる?」
「かなり」
青年はそう言って、焚き火に火を入れた。炎が揺れ、辺りを照らす。
不思議だった。警戒すべき相手のはずなのに、こうして向かい合っている時間が、ひどく穏やかだ。
「名前、聞いてなかったわね」
「聞かれてもいなかった」
「今、聞いてる」
少しだけ間を置いて、彼は答えた。
「名はあるけど、今は言わない。名を知ると、縁が深くなるから」
「なにそれ」
「魔法使いの迷信みたいなもの」
私は肩をすくめる。
「じゃあ、呼びづらい。魔法使いでいい?」
「構わない。君は?」
「リュシア」
名乗った瞬間、彼の視線がわずかに鋭くなった気がしたが、すぐに元に戻る。
「いい名前だ」
それだけ言われただけなのに、胸が落ち着かない。
焚き火を挟んで、簡単な食事をとる。言葉は多くないが、沈黙が気まずくない。こんな感覚は久しぶりだった。
「この旅、楽しい?」
不意に聞かれて、箸を止めた。
「楽しい、って言うと語弊がある。でも、嫌じゃない」
「そう」
それ以上は踏み込んでこない。その距離感が、妙にありがたかった。
夜が更け、森の音が増えていく。立ち上がり、剣を手に取った。
「そろそろ動くわ。依頼を終わらせる」
「了解。後ろは任せて」
私は一度だけ頷いた。
この時間が、永遠に続くとは思っていない。それでも、今だけは悪くない。
そう思えたこと自体が、私にとっては小さな変化だった。
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