第20章 朝の屋敷で
夜の緊張が完全に抜けきらないまま迎えた朝の空気は、思っていたよりも澄んでいて、割り当てられていた部屋の窓を開け、庭に残る気配が昨夜とはまるで違う事を確かめながら、仕事が終わった後の静けさというものを身体で受け止めていた。
廊下に出ると、すでに屋敷は動き始めていて、使用人たちがいつも通りの足取りで行き交っている様子を見て、昨夜の出来事が特別な異変として残っていない事に、小さく息を吐いた。
「おはようございます、リュシアさん」
正面から歩いてきたレオンが声を掛けてきて、その顔色が昨日よりもはっきり良くなっているのを見て、妹の様子も落ち着いているのだろうと察した。
「おはよう、妹さんは?」
「今は朝食の準備を手伝っているところです、昨夜の事が嘘みたいだって」
「それなら十分、眠れているなら問題ない」
私の言葉に、彼は少しだけ安堵したように肩を落とし、歩調を合わせて隣に並んできた。
「改めて、昨夜はありがとうございました、冒険者の仕事だとしても、あそこまで迷いなく動けるとは思っていませんでした」
「迷っている暇がなかっただけ、迷うと余計な事を考える」
「……余計な事、ですか」
「誰かの立場とか、言葉とか、そういうの」
その返答に、彼は一瞬だけ言葉を失い、次に苦笑しながら頷いた。
「確かに、あなたはそういうものから一番遠い所にいる人ですね」
「近づかないようにしてるだけよ」
食堂に入ると、エリナがこちらに気づき、昨日までとは違う、はっきりした表情で頭を下げてきた。
「おはようございます、昨夜は……ありがとうございました」
「おはよう、よく眠れた?」
「はい、声は聞こえませんでした」
「それなら大丈夫」
それ以上の言葉はいらなかった。彼女の顔色と動きが、全てを語っている。
朝食を共にする間、レオンは何度か話題を振ってきたが、それは屋敷の事でも領地の事でもなく、この周辺の街道の様子や、旅をする時に気をつけている事といった、あくまで冒険者としての話題に留まっていて、その距離感に少しだけ居心地の良さを覚えていた。
「この先も、危ない場所を通るんですか」
「危なくない場所を探す方が難しいわ」
「……そうですよね」
彼はそう言って笑い、少しだけ視線を伏せた。
「もし、もう一日ここに滞在してもらえたら、と思ってしまいました」
「仕事は終わってる」
即座にそう返すと、彼は驚いたように目を上げ、それでも無理に引き留めるような言葉は口にしなかった。
「分かっています、分かっているからこそ、です」
「線は引いておいた方がいい、私は冒険者、あなたは領主、それ以上でも以下でもない」
はっきり言うと、彼は一度だけ目を閉じ、次に穏やかな表情で頷いた。
「……ええ、そうですね」
食事を終え、外套を整え、剣を腰に戻す。屋敷の門まで見送られながら、エリナが少し照れたように声を掛けてきた。
「また、どこかで会えますか」
「旅は長いから、会う事もあるかもしれない」
そう答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。
門を出て振り返った時、レオンは何か言いたげにしていたが、結局は何も言わず、ただ静かに頭を下げた。その仕草を見て、それ以上踏み込まなかった。
仕事は終わり、屋敷での役目も終わった。それだけで十分だ。
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