第16章 私は通りすがりの冒険者です
私はリュシア・エーベルハルト。伯爵家の娘として生まれ、王太子の婚約者だった時期があり、今は王国アルセリオの周縁を歩く冒険者として剣と魔法を背負っている女だと、冒険者ギルドの扉を押し開けた瞬間に自分の立場を頭の中で整理し直しながら、木製の床板が軋む音を足音に重ねてカウンターへ向かった。
「次の方どうぞ、依頼を受けるなら登録証を出してください、観光なら酒場は奥ですよ」
受付の青年は事務的な声でそう言いながらも、私の腰に下げた剣と外套の擦り切れ具合を一瞬で見て取り、観光客ではないと判断したらしく視線を上げてきたので、登録証を差し出しながら肩をすくめ、長旅の疲れを誤魔化すように口を開いた。
「酒場に行く前に仕事を一つ片付けたいの、ここらで受けられる依頼はある?」
「ありますけど、危険度は低めから中くらいまでですね、最近は魔物よりも夜の騒ぎが多いんで」
「夜の騒ぎ、って言い方がもう面倒そうだけど、それでも構わないわ、剣を振る理由が欲しいだけだから」
私の言葉に、背後で酒を飲んでいた冒険者たちがくすりと笑い、誰かが「いい性格してるな」と小声で呟いたのが聞こえたが、振り返る気はなかった。誰かにどう思われるかで足を止める癖は、だいぶ前に捨ててきている。
「ではこれを、領主館からの依頼です、若い領主が直接冒険者を呼んでいるので報酬は悪くありません」
差し出された紙に目を通しながら、軽く眉を上げた。内容は簡潔で、屋敷に滞在し、夜間の護衛を務める事、詳細は現地で説明する、という程度しか書かれていない。
「ずいぶん端折ってるのね、まあいいわ、話は直接聞く方が早いし」
「それで助かります、あの方、説明が下手で」
「若い領主って大変ね」
他人事のように言いながら、登録証をしまい、外套の留め具を直してから踵を返した。ギルドを出ると、街の空気は王都よりも軽く、石畳の隙間から伸びる雑草がこの土地の緩さを物語っているようで、思わず深く息を吸った。
「こういう場所の方が、性に合うのよね」
誰に向けるでもなく呟きながら、案内された道を進み、街の外れに建つ領主館を目指す。貴族の屋敷と聞いて想像していたほどの威圧感はなく、実用性を優先した造りが目に入り、少しだけ肩の力を抜いた。
「冒険者の方ですか?」
門前で声を掛けてきた使用人に頷くと、すぐに中へ案内され、応接室に通される。ほどなくして現れた若い男は、緊張を隠しきれない様子で背筋を伸ばし、私を見るなり勢いよく頭を下げた。
「来てくれてありがとうございます、僕がこの地を治めるレオンです」
「こちらこそ呼んでくれてありがとう、リュシア、冒険者よ」
形式ばった名乗りを避けた私に、レオンは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに苦笑して椅子を勧めてきた。
「堅苦しいのは苦手ですか?」
「嫌いって言った方が近いわ、必要なら合わせるけど、今は仕事の話が先でしょう」
その言葉に、彼は肩の力を抜いたようで、少しだけ表情が柔らいだ。
「助かります、正直、どう説明していいのか分からなくて」
「分からないなら、起きてる事を順番に話してくれればいい、それで足りるわ」
私がそう言うと、レオンは深く息を吸い込み、妹の身に起きている奇妙な出来事について語り始めた。夜になると誰かに呼ばれるように窓辺へ向かう事、外には人影があり、甘い声が聞こえる事、しかし近づこうとすると消えてしまう事。
「最初は悪い冗談かと思ったんですが、妹は怯えていて、それでも誰かに呼ばれているようで」
「妹さんは今どこに?」
「部屋にいます、昼間は落ち着いているので」
「なら今日は下見ね、夜に備えて動線と窓の位置を確認したい」
即答した私に、レオンは驚きつつも頷き、立ち上がった。
「分かりました、案内します」
廊下を歩きながら、この依頼が単なる護衛以上になる可能性を感じていたが、今はそれを口にするつもりはなかった。剣を振る場があるなら十分だし、余計な先読みは足を鈍らせる。
「ねえ、リュシアさん」
「なに?」
「危なく、ありませんか」
唐突な問いに、足を止め、振り返って彼を見た。
「危なくない仕事なんて、冒険者にはないわ、それでも引き受けたのは、ここに呼ばれたから、それだけよ」
その答えに、彼は何か言いかけて口を閉じ、最後には「お願いします」とだけ言った。
再び歩き出し、心の中で剣の重さを確かめながら、この夜を越えるための準備を静かに整え始めていた。
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