外事警察の男
ヨッタは廃棄された雑居ビルの中にいた。辺りは剥き出しのコンクリートが広がり、無機質なイメージを漂わせている。鼻に突くのはカビの臭い。歩く度にうっすらと埃が舞い上がる。
おかげで犯人追跡するのは簡単だった。埃の堆積した床に、くっきりと足跡が残されている。
とはいえ焦りは禁物、犯人は凶器を持っている可能性がある。こちらは丸腰、細心の注意が必要。ゆっくりとゆっくりと、それでも確実に犯人を追い詰めていく。
「あれ?」
しかし途中で足を止めた。思考が停止する。
足跡が増えているのだ。自分のものではない。明らかに大きいサイズ。そのせいで犯人の足跡が消えかかっている。
刹那、人の気配を感じた。咄嗟に右方向を見つめる。
いつの間にか、そこに男が立ち尽くしていた。犯人とは別の人物だ、
「誰だ?」
声を圧し殺して訊ねる。違和感はあった、直前まで気配を感じなかった。
男は五十代程のがっしりした体格の持ち主で、黒いスーツにサングラスを描けている。ネクタイはしてない。髪はいわゆるソフトモヒカン。ヨッタのことなど眼中にないように、ボソボソ独り言を呟いている。
視線も向けずに懐に手を入れると、なにかを取り出してヨッタにかざす。
ひとつは警察官を示すバッチ、もうひとつは名刺だった。
そこには神奈川県警警備部外事課、警部、権藤ごんぞ、と記されている。
「失礼しました」
すかさず直立不動の体勢を取り、敬礼するヨッタ。ヨッタの階級は巡査長、それより上だ。
その間も権藤は独り言をやめない。耳に付けたインカムから察するに、誰かと通信しているようだ。内容は分からない。目標、組織、潜伏、そんなキーワードが飛び交う。暫くその態勢が続く。
「なんだ小僧。ここは危険だぞ」
ようやく権藤が言った。
「小僧じゃありません。ヨッタです」
バッチをかざすヨッタ。
首をかしげる権藤。
「犯人、追いかけてきたのか」
それで理解したのか、左手で髪を掻きあげ、右手で煙草を取り出して口にくわえる。
「ここは危険だ。さがってろ」
「ですが」
その時。視界の端でなにかがうごめいた。黒い影が権藤目掛けて襲いかかる。
それは先程の外国人だった。左手で鉄パイプを握り締め、権藤の後頭部目掛けて振り下ろす。
「警部!」
ヨッタが叫ぶ。
床に足を踏み締めて振り返る権藤。左腕を真上にかざして鉄パイプを受け止めた。
「この野郎!」
そのまま真横に回転し、抉るような右アッパーを外国人のみぞおちに打ち込む。
外国人の身体がくの字に曲がる。よろよろと後ずさった。
「大丈夫ですか?」
すかさず駆け寄るヨッタ。
しかし権藤は少しも動じない。
「さがってろって言ったよな」
冷静に言い放つ。どうやら腕に異常はないようだ。
「この野郎、どうやら狂ってるみたいだな」
「明らかに命令が行き届いてない。だから身体を移動させようとしたんだよ」
この距離だと、通信相手の声も聞こえるようになる。やや幼いような声。どうやら権藤は、終始相手と会話しているようだ。
外国人の方も確たるダメージはないようだ。ユラユラと身体を動かし、権藤を狙い定める。今度は鉄パイプを両手で握り締め、ブンブン振り回してきた。
「タフだな、この野郎」
足を駆使してそれを回避する権藤。
「痛覚がないんだよ。引き剥がすしか手立てはない」
通信相手が的確に指示する。
こうなるとヨッタは完全に蚊帳の外。壁に張り付き、その状況を見守る。
外国人が大きく鉄パイプを振り落とした。
その隙をつき、権藤が間合いに踏み込む。
「うおりゃー!」
強烈な回し蹴りを外国人の脇腹を叩き込んだ。
声もなく吹き飛ぶ外国人。顔面から壁に激突して、反動で床にうつ伏せに倒れる。
「うおー、すげー、カッコいい!」
叫ぶヨッタ。興奮の余り、置かれた立場さえ忘れる。
しかし権藤は覚めた様子。
「こんなデク、倒したところで、本体を倒さなきゃどうにもならん」
煙草に火を点けると、つかつか歩み寄り、倒れる外国人の襟首を持ち上げる。反動で野球帽が転げ落ちた。
それでヨッタは愕然となった。犯人の顔は真っ青だった。白目を剥き、生気の欠片は一切見えない。
「死んだんじゃ……」
その可能性は大いにあった。今の攻撃で当たりどころが悪く、殺してしまった可能性だ。
しかしそれを権藤は鼻で笑う。
「だからなんだ。こいつは最初から死んでる」
外国人のうなじには、プロテクターのような突起が付いていた。色は赤よりの黒。権藤はそれを両手で掴み、両足で身体を踏み締めて上に引っ張りあげる。
「ちょっと、いくら犯罪者だからって、それじゃ死体損壊じやんか」
堪らずため口になるヨッタ。
「……ドントストップ……」
突然外国人が言った。力強く身体を起こし、権藤を押し離す。
「嘘だろ、生きてんの?」
完全にテンパるヨッタ。生きてると思えば死んでいて、死んだと思えば生きている。もう意味が分からない。




