こころ患い(第五話)
特に明日は種類も冊数も多い女性誌の発売 日。そのせいでバックヤードの返本棚には売れ残った女性誌で溢れ、段ボールが所狭しと鎮座している。
紙と埃の匂いで充満した匂いに自然と仕事 スイッチがはいった。 ソーセージのように分厚い唇の加瀬店長に注視し、次の言葉を待った。
「今日は遅番にこの前採った子が来る。泉、 いろいろ教えてやってくれ」
「はい。確か学生ですよね?」
「美容師の専門学生で十九歳。漫画が好きらしいから、仕事に慣れてきたらコミック班に振ろうと思う」
「わかりました」
コミック班のリーダーである泉はふんと鼻 息荒く頷いた。 加瀬店長は続ける。
「あと中高生の万引きには注意な」
「四月に入った途端、新入生と思しき子たちの犯行が増えますもんね」
万引きは書店とは切っても切れない悩ましい問題だ。
俺の職場であるステーションブックは、書 店では珍しく駅ナカに店を構えている。関東 を中心に十店舗ほどあるが、全国レベルの書 店と比べたらごく小さな敷地だ。
客の年齢層も広く、置いてある本はネット やテレビで話題のものを中心としているせい か万引きが多い。
大方、中古屋で売ればそれなりの値段で買い取ってくれるのをわかっているのだろう。
特に四月や夏休み前後の犯行が目立つ。
四月半ばを過ぎようとしているが、まだまだ気が抜けない日は続くようだ。
「あとはいつも通りでよろしく」
そう締め括ると加瀬店長は再びパソコン前 に座り、キーボードを叩き始めた。
普段から バックヤードに籠城して事務作業ばかりなので、アルバイトたちから密かに『地蔵』と呼ばれている。
「さてお仕事でもしましょうかね」
「そうだな」
泉はバックヤードを出てコミック売場へ向 かった。 俺はもう一台のパソコン前に座り、昨日の売り上げをチェックする。
四月頭から文庫のフェアを展開しているので、どれくらい捌けたのか気になった。
フェアの内容は「従業員オススメの文庫本」で、ジャンルは不問。
余裕がある人にはPOPを書いて貰っている。
数字を見比べて溜息が零れた。 出版不況の波に飲まれ、本の動きに派手さがない。フェア台はエレベーターの正面にあり、来店した人は必ず目に入る最高のポジションだが、期待した分の売り上げではなかった。置けば売れる時代ではない。
しかし、唯一、俺の選んだ本が亀の足のよ うにじわじわ伸びていた。
タイトルは『リクの空』。
翼を持つ鳥人と翼をもたない地人との戦い を描くファンタジーだ。
児童文学作家が大人向けに書いた作品で、 政治や経済、差別を扱うヘビーな内容だが、主人公のリクやヒロインのソラが戦う描写はさすが児童文学作家だと頷ける爽快さで、後味も悪くない。
少し前に出版されたものでメディア化もされていない。どうして売れているのかはわからないが、推している本を買って貰えると書店員冥利に尽きる。
緩みそうになる口元を結んで、ディスプレ イを閉じた。
「おはようございまーす!」
三時前になり第一段の遅番が出勤してきた。 遅番は学生が多いのでフレッシュな空気を纏っていて、途端に埃っぽいバックヤードがレモンのような爽やかさに変わる。