44.光夜②
レイニーは何かを言おうと口を薄く開くが、驚きのあまり言葉にならない。
「レイニー殿下が今助けたいと思ってくれているわたしは……本当は『天然キャラ』なんかじゃない。物語のヒロインに合わせて性格を変えなければ、殿下に興味すら持ってもらえなかったでしょう」
「ーー何を言って」
ようやく口が回るようになったらしいレイニーは一歩前に出る。クリアは後退りした。
クリアたちが立っている建物は、三階建くらいの高さがある温室だった。足元、ガラス屋根のはるか下に人工の池が見える。室内に人気はない。
クリアが少し目線をずらせば、数歩先の天窓が一箇所、開いていた。
レイニーはクリアの視線の先を追い、小さく息をのんだ。
「クリア、まさかーー」
レイニーはクリアに恋していなかったけれど、友情や信頼関係なら、確かに築けていたと思う。
だから、クリアが前世の記憶を暴露して……
仕上げにレイニーの目の前で「クリアがその命を危険にさらせば」、レイニーの感情を揺り動かせる。
驚きや悲しみのような感情であっても、レイニーは空模様を変えられる。隕石を流星群に変える理屈は分からないが、陽の感情でしか変えられないわけじゃない。今はもう、最終手段として賭けるしかない。
クリアの身に何かあれば、レイニーは確実にその感情を動かすだろう。例え、その理由が恋愛感情じゃなくても。
それくらいには、クリアはレイニーに思われている自負があった。
レイニーはそういう人だと言い切れるほど、レイニーを知った自信があった。
「選択肢がないんです。隕石によって地球が滅亡してしまったら、レイニー殿下も皆んなも、殿下が大切にして来たこの国も、全部なくなってしまうから」
言いつつ、この後に及んで考えてしまう。
(地面にじゃなくて池に上手く落水したら、助かるかも知れない? いやでも高さがあるしこの池かなり浅そうーー)
死ぬことが怖いのは大前提だが、本当ならレイニーを悲しませたくなんかなかった。
もし「告白失敗」から「隕石落下のクライマックス」がここまで直近でなかったら、危険に晒されたフリをして……命だけは助かる細工の準備が出来たかもしれない。
レイニーは中途半端なことをやって騙せる相手ではないから、一筋縄では行かなそうだけれども。
口をきつく引き締めるレイニーは下げている両手をこぶしに握り、クリアが一度も見たことのないような、張り詰めた表情をしていた。
(これからももっと、色々なレイニーの表情を見たかった)
そんなことを今思っても、何にもならない。
クリアは小さく笑った。
「ごめんなさい、わたしにはもうこれ以上思いつかなくて」
「クリア、」
「レイニー殿下のわたしを助けようとするその思いやりは、他の人のために使ってください。レイニー殿下のような心ある人に、ヒロインとして自分を偽っていたわたしは相応しくないから」
「人の気持ちに気づける君もまた、心ある人だと思う。差し出される思いやりや優しさを、当たり前だと思う人もいるのだから」
レイニーはすかさず返した。
虚をつかれたクリアは慌てて唇を噛んだ。
(わたしが感情を揺り動かされてどうする)
あくまでこちらに来ようとするレイニーを止めるべく、クリアはレイニーに引かれるようなことを必死で口にする。
「あ、頭の中ではレイニー殿下のことをレイニーと呼び捨てにしていました!」
「いきなりどうした。だから?」
「! わたしの寮の部屋には、レイニー殿下の等身大の抱き枕があります! 物語のエピソードを再現する練習に使ったからです!!」
「それは……そうだな、個人が趣味ーー趣味? の範囲で使うのなら、肖像権は侵害していないのではないか?」
レイニーは自分のセリフに自問自答しながら答えた。それから、らしくない舌打ちをする。
「だいたい、その物語の中の私はなんだ」
「え?」
「私が『天然キャラ』が好みだって? この世界は物語の世界、と言ったな。どうせ、物語における登場人物の人生は、エンドマークまでで区切られているのだろう。その先にクリアと私がどうなったかなんて、誰にも分からない。その話の中でだって、君を『養殖キャラ』だと分かっていて、私がクリアを泳がせていた可能性だってある。現実に、最初はそうだった」
「……!?」
思いがけない言葉にクリアは目を丸くする。
「だが、それでも君が……ラネージュ王女のために何かしようと努力していたのは分かった。フォッグとのハーパー公爵邸での出来事も、グロリア・リコリス嬢の件も。
ーーマリス・リコリスとの顛末だって、物語のシナリオ通りだったのか? 私の思考回路が、物語の作者とやらに誘導されていたと言うのなら……君の意思や気持ちだって全て、操作されていたと言うのか?」
クリアは首を振った。
レイニーは目を伏せ、静かに言った。
「物語の私が、隕石落下を止めた感情だって、もしかしたら違う感情だったかもしれない」
この辺りで、クリアはレイニーが怒っているのかもしれないと気づいた。
「……レイニー殿下?」
「ハタから見た姿がその人の本質かなんて、分からない。実際、クリアは本来の君とは異なるキャラクターを演じていたのだし、物語の中の私がヒロイン・クリアに惹かれた理由など知らない」
レイニーはクリアを睨み付けるように強く、水色の瞳を向けた。
「実際の私が『天然キャラ』じゃないと君に惹かれないって? そんなわけあるか!! 私の人を見る目を見くびらないでもらいたい」
(ーーえ?)
レイニーはそのまま目を逸らさなかった。
クリアを逃がさんとばかりに視界に捕らえたまま、一音一音、言い聞かせるように言う。
「クリアの世界への献身は素晴らしいものだと思う。そう出来るものではない。君が見せてくれた強さは賞賛されるべきだし、私はクリアに生涯足を向けられないくらい感謝する。それでも」
レイニーは身体から力を抜き、視線を和らげた。
夜の光に銀髪がきらめく。
「そんな君が……世界のためではなくて、何より自分の気持ちを優先するところを見てみたいとも思う。
そうさせることの出来る人になりたいと、強く思う」
ぶわりと身体が震えた。
恐怖や寒気ではない、胸がいっぱいに満たされて、感極まってしまったから。
それは、前世の記憶を持っていると自覚した瞬間から、クリアが何年も決して、自分に許してこなかったこと、諦めて来たことだったから。
しかし、クリアには腑に落ちないことがあった。
「……じゃ、じゃあ、どうして! あの時、雨が降ったんですか! 庭でわたしが告白した時」
「ああ、あれは」
(って、こんな話をしている場合じゃない)
いつの間にか、レイニーはあと少しで手を伸ばせばクリアを掴める場所にいた。
(レイニーをわたしから遠ざけないとーーそうだ、中に!)
クリアは目線をレイニーに向けたまま、コルセットの中へ手を突っ込んだ。
サンブリング男爵から借りた下着以外には「UNO」のカードを書いたついでに、予備で入れたペンがある。
レイニーからの言いつけ通り、コルセットに入れていたのは、刃物でも割れ物でもない。フォッグの目の前で取り出したわけじゃない。
ペンの切っ先をレイニーへ向けよう、場合によってはレイニーの手のひらを刺すしかないーーそんなことを考えていた時。
唐突にレイニーは言った。
「ちなみにだが……私は今、君より高さのある位置にいる。つまりここからは、君が手を入れているそのコルセットの中が全て、見えている」
「ええっ、嘘!?」
「ああ、嘘だ」
クリアが自分の肌へ視線を落とした隙に、レイニーはクリアの手首を掴んで引き寄せた。
✳︎✳︎✳︎
クリアの抵抗などたかが知れている。呆気なくレイニーに引き上げられ、二人は屋根の峰にある足元が安定する場所にいる。
「ひ、酷い! わたしを騙したんですね!!」
「これでお互い様だろう」
詰め寄るクリアにシラリとしているレイニー。
(咄嗟の判断力はさすがの人だった……)
クリアはわなわなと震える。
「それで……何故、雨が降ったかだって?」
レイニーは乱れた服を整えながら、軽く息を吐いた。それからハッキリと言う。
「あれは……『遣らずの雨』だと思う」
(遣らずの雨? ーー遣らずの雨って)
クリアは眉根を寄せ、頭の中で辞書をめくる。
遣らずの雨とは……「去ろうとする人を名残惜しいかのように、引き留めるように降り出す雨」。
意味を思い出し、目を見開くクリア。
「あの時、クリアからの告白を流した理由は、あんまり君が苦しそうだったから。クリアの事情がわかってから思い起こせば、物語のストーリー通りに告白しなければならなかったからなんだな」
「! それは」
レイニーはくっ、と笑った。
「大変だったな。好きでもない男に告白するのは」
「な、違いまっ……」
「ん、違うのか?」
「…………レイニー殿下、なんか意地悪になってませんか?」
恨めしそうに言うクリアに、レイニーは微笑んだ。
「こんな状況だ、今だけは感情を封じる理由がないさ」
レイニーは空を見上げた。
「あっ……!!」
見れば、空全体から流星群が雨のように地上に降り注いでいた。それは激しくて、とても眩しく輝いていてーー。
しばらくの間、二人は動かなかった。
動けなかった。
アニメにおけるネフライト王国での空中爆発は、ガラス窓の損傷等による怪我人が出たものの、死者は0人という奇跡だった。
現実もそうであって欲しい、とレイニーに説明しながら、ポツリと言った。
「足りたんでしょうか……レイニー殿下の感情を揺さぶることは」
そう強く願う、とレイニーは空を見たまま呟いた。
地上から足音と騒がしい声が聞こえる。
人の輪の中心にいるのは、摂政サイラス・ハーパーだ。彼はネフライト王国の隕石災害対策「快晴」のキーマンにもなっている。
フォッグがサイラスの周りで何度か聞いた「クリア」という単語は、クリア・サンブリングのことではなく、この隕石対策の「快晴」だった。
これからレイニーたちは被害の調査・対応などにあたる。忙しくなるだろう。
クリアがレイニーと二人きりで話が出来る機会はしばらくないはずだ。
レイニーは集まる人々を見下ろしながら、どこかぼんやりと言った。
「……役立つ時があったのだな、この厄介な力にも」
「凄い力ですよ、だって地球全部を救ったんですから」
クリアは張り切って答えた。
カーム・カルセドニー陛下のことを思い出したのだろうか。
クリアに背中を向けたごく一瞬にだけ、レイニーがくしゃりと泣きそうな顔をしたことは、見て見ぬフリをした。
次回、最終回。




