41.レイニー王太子誘拐事件③
クリアが足を踏み入れた用具入れの中は真っ暗だった。よく見えないから手探り足探りで進み、何かが爪先に当たった。
「……殿下、レイニー殿下!」
レイニーはスッと目を開けた。
飛び込んで来たのは、クリアの心底ホッとしたような顔。小さく、しかし必死にささやく。
「レイニー殿下!! 良かった、まだ意識があって!」
「…………どうして。何故、君がここにいる」
「え、ああ! 隣のお茶会で開催されていたカードゲームで、カードを落としてしまったら、ドアの下の隙間から入って……ここまで回収に来たんです。そしたらレイニー殿下がいて」
クリアはレイニーに見えるように一枚のカードをかざした。
レイニーは見たこともないカードに眉を顰めたが、それもそのはず。このカードはクリアのお手製で便箋を切って記号や数字を書いたもの、前世で言うところのカードゲーム「UNO」のカードだったから。
ネフライト王国に「UNO」の概念は存在していない。アニメの情報からカードゲーム好きと知っていた、キングスベリー夫人たちの気を引くために、クリアが急遽自作したもの。
今この瞬間も、ご婦人たちは初めて知った「UNO 」に夢中で、クリアが戻って来ないことに気づいていない。作戦は当たったと言える。
クリアは口を引き結ぶ。
(「レイニー王太子誘拐事件」ーーオリジナルのシナリオは)
レイニーはその身体に「メモリア」を盛られていた。三年も前から。
マリス・リコリス侯爵にはサジロード・リコリスという息子がいた。サジロードは近衛騎士団所属、時には王太子の毒見係をするまでの立場にいた。
サジロードはマリスの指示により、密かに自らの身体を「メモリア」に慣らしていた。よって、サジロードがレイニーの毒味係を担当する日、レイニーの食事に「メモリア」が盛られていても、二人に変調は出なかった。
料理人の一人はリコリス侯爵に買収されていた。
しかし、レイニーと違い、幼少期から薬物に慣らされた身体ではなかったサジロードは、レイニーよりも早く「メモリア」の中毒症状を起こし、騎士団を休職することになった。とはいえ、レイニーの「メモリア」中毒への限界点を、ギリギリまで近づけることに成功している。
「レイニー王太子誘拐事件」の朝、狩猟へ向かうレイニーの飲み物には「メモリア」が混入されていた。
眠ったレイニーを茶会用ワゴンに乗せて運び、キングスベリー公爵夫人の茶会に隣接した用具入れに閉じ込める。レイニーの見ぐるみを剥ぎ、レイニーが目覚めても助けを求められない状態にする。拘束している縄はレイニーの身体に跡が残らないもの。
手遅れになる時間までレイニーを放置したら、後はレイニーを人目につく場所に戻してから拘束を解く。
レイニーをあくまで「メモリア」中毒で亡くなったことにしたいから。
レイニーを「メモリア」による自害に見せて葬り去る。
それがマリス・リコリス侯爵の計画だった。
劇中、ヒロイン・クリアは倒れているレイニーの第一発見者だった。キングスベリー夫人の茶会に参加出来る現実でなら、一つ前の段階でレイニーを助けられると考えた。
ワザと「UNO」のカードをドアに向けて弾いて落としたのだ。
「と、その前に」
クリアはゴソゴソとコルセットから折り畳んだ布を取り出す。
「それは?」
「サンブリングの父の新品の下着です。父は泊まりに行く際いつも、新品の下着を多めに持って来るので一枚拝借して来たのです」
男性も裸のままでいるのは心元ないだろう。
「そんなものを入れながら茶会に……」
レイニーはアニメでも見せないような半目になった。
「あ、暗くてほとんど見えていませんので大丈夫です! ただ、わたしの目が暗さに慣れる前に準備をお願いします」
「……ほとんど、ね」
クリアに前世の記憶があって良かった。半裸の男性ならTVやらプールやらで見慣れているから、この世界の令嬢たちより免疫が相当あるだろう。
「で、それを身に付けていただいてからになりますが、」
クリアはスカートの裾を少しだけ捲り上げた。レイニーは目を閉じて手の甲を当てた。
「絶対に、断る」
「スカートの中に隠れてくだされば、一緒に部屋の外に出ることが出来ます、誰にも見られずに! レイニー殿下は一刻も早く、お医者様に診ていただかなければならない身体でーー」
(そう。レイニーは気づいていないでしょうが、彼の身体には致死量の「メモリア」が盛られている。こんなところで悠長にしている時間はない)
「その必要はない」
「でも!!」
唯一と言える打開策を、レイニー本人に拒絶されるわけにはいかない。
「天然キャラ」ですらない、自分でも馬鹿みたいだと思う案しか出せなくても、縋るようにオレンジ色の瞳で乞うしかない。
「レイニー殿下、後生です! 一生のお願いですから、わたしと」
「今朝、私は君に不誠実なことをしたのに……」
レイニーはポツリと呟いた。クリアは聞き返したが、レイニーは首を左右に振った。そのまま瞼から手を外し、天井を見ながら言った。
「君が私に対して懸念していることが、私の想像と同じならば、そのことなら既に対処している」
「……え?」
「だからーー君は、そこにいてくれるだけでいい」
その水色の瞳は、いつも通りの静かで確かな強さをたたえていた。
 




