4.ヒロインと零雨の王太子③
「……令嬢にこんなことをさせるなんて」
「いいえ、わたしがやらせて欲しいと頼んだのです。お裁縫セットを持ち歩いていて良かったです」
「裁縫の道具を持ち歩いている? 君が?」
クリアはにっこりと微笑んだ。
クリアとレイニーは青空の下、学園のテニスコート脇にあるベンチに座っている。クリアの膝にはレイニーの制服のブレザーが乗っていた。これから袖口の取れかけた金ボタンを縫い直すのだ。
レイニーは水色の瞳で観察するようにクリアの動きを見ていた。そのレイニーの手元にはお菓子の小さな包みが置かれている。
アニメのエピソードはこうだ。
教室で再開した二人はお互いの名前と身分を改めて知る。レイニーが王太子だと知ったクリアはたいそう驚き恐縮するが、レイニーは普通のクラスメイトとして接して欲しいと言う。
そんな中、クリアはレイニーのブレザーのボタンが取れてかけていることに気づく。レイニーは断るが、クリアは昨日のお詫びとして是非自分に修復させて欲しい……と懇願するのだ。
この日、クリアは手作りのお菓子を持参していた。待たせている間、せっかくだからとレイニーへ差し出したところ、クリアの自作であることに驚かれた。
貴族令嬢なのに裁縫セットを持ち歩き、お菓子作りが得意なクリア。レイニーはさらに彼女へ興味を持つ。
(順調にヒロイン・クリアとしてアニメを再現出来ているけど……問題はここからよ)
レイニーの背後上空に、光る球。
クリアはすっと目を細める。
(来た)
「レイニー殿下っっ」
「!」
ーーバコッ!!
呼ぶなりクリアはレイニーの前に立ちはだかり、顔面でそれを受けた。
「っ、クリア嬢!?」
テン、テン……と弾むテニスボール。テニスコートから打ち損ねたボールが飛んで来たのだ。
反射的にレイニーはふらついたクリアを抱きとめる。
(……いよいよ確信になった。アニメのエピソード自体は「わたしが何もしなくても」起きる。レイニーたち三人の入試順位がアニメ通りになったのもしかり。レイニーのボタンはちゃんと取れかけていた。従者が管理している王太子の制服のボタンが綻ぶなんて、ほぼあり得ないのに)
片手で顔を抑えながらクリアは考える。
アニメの展開があまりに不自然な場合、そのエピソードが「実際には起こらないかもしれない」と、どこかで期待していた。
(でも、レイニーにこのベンチに誘われたのも、入学式前レイニーがフェンスの下にいたのも……「アニメの強制力」とやらかしらね。だとしたら、クライマックスの隕石落下はやっぱり避けられない)
「……レイニー殿下、お怪我は?」
「クリア! 私のことより君だ! 私を庇うなど無茶な……」
驚きメーターが限界突破したのか、レイニーは滅多になく女性を呼び捨てにしている。
レイニーの反応が一瞬遅れたのは、ヒロイン・クリア(の魅力)に注意を取られていたから。
レイニーは文武両道の王太子である。平常時の彼であればテニスボールを避けるくらい、寝たままだって出来るだろう。
(というわけで、粗方エピソードの再現は出来たはずーーなんだけど)
「クリア?」
「っ……!」
視界がぐにゃりと歪み、咄嗟にレイニーにしがみ付いた。彼の上半身はワイシャツと薄着だから、意図せずレイニーの体温を感じる。
(テニスボールはヘディングする予定だったのに、顔面で受けてしまった……! わたしの動きに「アニメの強制力」はなく、わたし自身の判断と生まれ持った……準備してきた能力が全てということ……前世の記憶によって慎重になりすぎて、動き出しのタイミングがズレてしまった?)
あんなにテニスボールヘディングの特訓をしてきたのに! と心の中で舌打ちする。
アニメのクリアはこの場面で倒れない。
「君の世界の名前は」のアニメ通りにするためには、倒れてはならない。
(ドリズリーにあれだけ大口叩いといて、起きないと。起きなければいけない……のに)
レイニーが誰かと話をしている。
さっきまで周囲に人の気配はなかったから、レイニーの護衛騎士か。
歯を食いしばって抵抗するも、呆気なくクリアの意識は失われた。