39.レイニー王太子誘拐事件
「まあ、そんな浮気者の庭にはミントでも撒いておけばいいわ。お似合いよ、互いに繁殖力が強すぎるだけに」
「やだもう、ミントしかない庭になってしまうじゃない、酷い人! ふふっ」
(視界に入る優雅な光景と会話の内容に乖離があり過ぎる……)
クリアの目の前ではご婦人たちの噂話とブラックジョークが繰り広げられていた。クリアは金縁に水色の布張りの椅子に腰掛けていて、ローテーブルにはケーキを乗せた皿が所狭しと並んでいる。
茶会の中心にいるキングスベリー公爵夫人は御年65歳だ。品良く白髪を結い上げ、優美な作法で紅茶を飲んでいる。夫人を囲むメンバーも彼女と同じか、より高齢の高位貴族たちが集まっていた。
この時間、彼女たちの配偶者や子息は、レイニーも見学しているであろう狩猟に参加している。
「ほら、クリア嬢もどんどん食べて頂戴。ここには貴女を咎める人は誰もいないわ。この茶会にはわたくしが心を許しているメイドしか使わないの。毒食わば皿まで、よ」
「あ、はい……! ありがとうございます……!」
キングスベリー夫人はウインクをする。チャーミングという言葉は彼女のためにあるのかと思うくらい、茶目っ気たっぷりな人だった。
渡されたのはエンゼル・ケーキとデビルズ・ケーキの盛り合わせである。
エンゼル・ケーキは見た目からして白っぽくカロリーも控えめ。卵白だけを使用したふわふわの仕上がりで、粉砂糖がかかっている。中心に穴が空いており、いわゆる天使の輪の形を模していた。対して、デビルズ・ケーキは全体的に濃茶色で、たっぷりとチョコレートクリームを挟み、生地にもチョコレートが入った濃厚なケーキだ。諸説あるが、一度食べ始めたら止まらない罪作り的な美味しさなので、デビルズのケーキと呼ばれている。
朝からどこか現実感がなかったクリアも、染み入る甘さに自分を取り戻せた気がした。
そうして、お腹も会話もひと段落した頃。
「さあさ、いよいよお楽しみの時間ね」
キングスベリー夫人はパンっと手を合わせた。
この時代、夜ごと開かれる晩餐会の後には、紳士たちは別室で煙草やビリヤード、カードゲームを嗜み、ご婦人たちはお喋りをするのが主流だ。
しかし。
夫人は手づからローテーブルにトランプを並べ出した。他のご婦人たちも揃えたようにスチャッと老眼鏡を着用している。
「何故、こんなに楽しいものを男性たちだけに独占させなければならないの? 誰に迷惑かけるでもなし、わたくしたちだってやりたいようにやっていいじゃない」
キングスベリー夫人はこうして気の合うご婦人たちを集めては茶会の後、トランプをするのが常だった。この秘密のお楽しみは口コミで広がり、一大派閥になっている。
クリアはアニメの情報からこのことを知っていた。
「クリア嬢にもルールを説明してあげるわね。貴女はまだ若いし王立学園の成績も優秀と聞くわ。直ぐにマスター出来るでしょう」
キングスベリー夫人がクリアに身体を向けたその時、廊下が騒がしくなった。
「失礼いたします」
キングスベリー夫人に許可を得て、騎士が一人、入室して来る。
「恐れ入ります。皆様、お変わりはありませんか?」
丁寧な物言いに反して、騎士の額の汗がすごい。明らかに焦っている。
夫人たちは「問題なし」と答える。実際に異常などない。騎士はぐるりと茶会会場を見渡してから退室して言った。
「? 何かあったのかしら」
「キングスベリー公爵夫人」
クリアは口を挟んだ。茶会中の注目が集まる。
「あ、あの、いきなりですが、一つだけご提案したいことがあります」
公爵夫人に物申すなんて、男爵令嬢のクリアには決死の覚悟だ。
キングスベリー夫人は瞬きをし、クリアに話をするよう促した。
(待っていて、レイニー。わたしが必ず、貴方を見つけてみせる)
クリアはゴクン、と喉を鳴らし、茶会会場に隣接している白いドアを見つめた。
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「念のため、キングスベリー公爵夫人の茶会会場も確認しましたが、異変はありませんでした」
王城の廊下で、騎士が騎士団長と横に並ぶルーサーに報告した。
ルーサーは思っていた。こんなこと、狂気の沙汰だ、と。
いつも飄々としている彼もこの時ばかりは動揺していた。周りでは、かつてないほどに従者や騎士たちがバタバタ走り回っている。
それもそのはず。
一時間前、王太子レイニーが姿をくらましたからだ。この「王城の中」で。
狩猟見学の途中で、レイニーは珍しく体調不良を訴えた。直ぐに王城へ戻り、医師の診察を受けることになる。しかし、丁度王城医師は別の騎士の治療にあたっており、当然レイニーを優先しようとしたのだが、レイニーが先客を優先するように指示をした。
ルーサーが別の医師を呼びに行った僅かの時間に、レイニーは忽然と消えてしまったのだ。
王城医師によれば、レイニーはカーテンに仕切られたベッドで待機していたのだと言う。
最初はトイレやどこかの部屋へ行ったのかと思いきや、未だ所在を掴めず、王城は騒然となっていた。
ルーサーが知る限り、幼少期から現在に至るまでレイニーが自らの意思で、周囲からその姿を隠したことは一度もなかった。どんなに厳しい王太子教育の元に置かれても、カーム陛下やアリアネル王妃がいなくなった時も。
王太子が行方不明になった、などと軽々しく口に出来るものではない。
内密に……しかし、大至急騎士団総出で捜索にあたっている。前代未聞の、有事中の有事である。
いくら探しても、どこにも争った跡や血痕も見られない。
ルーサーはレイニーがただならず強いことを知っている。信頼もしている。とはいえ。
騎士たちは口々に言う。
「ここまで来れば、殿下は誘拐されたのではーー」
「馬鹿なっ、王城内に間者が!?」
「お前たち、慎め! ただの憶測を口にするな」
騎士団長は小さく、しかしハッキリと通る声で嗜めた。慌てて騎士たちは敬礼し、再びレイニーの痕跡を探しに行く。
「……レイニー殿下、どうかご無事で」
ルーサーの祈るような独り言は、周囲の足音にかき消されていった。




