33.建国記念舞踏会の悪魔④
クリアはアニメから知っていた。
グロリアは母親を亡くしている。それにより婿養子だったマリスが現侯爵となっている。
その時、グロリアの心の拠り所となり慰めとなったのが、葬儀を行った牧師の教会が携わる「星見台修道院」だった。
グロリアはその生涯をかけて祈りの道へ進みたいと願い、密かに信仰していたのだ。彼女がいつも肌身離さず、今も握りしめている「星を形どったネックレス」は、この修道院のものだ。
「な、クリア嬢、何を言っているの……? そんなこと、お父様がお許しにならないわ」
グロリアは息が出来ないといった風に苦し気に言った。
「私の信仰を、何故貴女が知っているのか分からないけれど……第一、どうやって修道院まで行くというの。王城に出入りする馬車なんて管理されていて、辻馬車を呼ぶことも出来ないわ。ここから歩くにしても、女の足ではさして遠くへはいけない」
「修道院は聖域です。逃げてきた女性を無碍に追い返したりはしないでしょう? しかも、星見台修道院は男子禁制です。この紹介状があれば、そのまま入会まで出来るかもしれません」
「どうして」
グロリアはくしゃりと苦しそうな表情をした。声は掠れている。
「……私、貴女に沢山酷いことをしたのに」
クリアは取るに足らないことのように軽く返した。
「だから、グロリア嬢はわたしの代わりに毒入りグラスを飲もうとしてくれたんですよね?」
クリアにビンタをしていないアニメのグロリアが、どういう心の変遷をしたかはわからない。それでも、グロリアは最終的にクリアへの毒殺(仮)を踏み止まった。その命を持って罪を償おうとした。
彼女はアニメでも現実でも、そういう人だった。
クリアは自分のスカートの後ろ部分に手を突っ込む。取り出したのは、木の板に小さな車輪が四つ、付いているもの。
「え、今度はお尻から何を出して……」
胸に続けて尻辺りから物を出したクリアに引くグロリア。
そんな反応を物ともせず、クリアは笑みを浮かべた。
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やるべきことは二つ。
グロリアをリコリス侯爵たちに見つからないように星見台修道院まで連れて行くこと。
時間までに舞踏ホールに戻り、レイニーとダンスを踊ること。
クリアはグロリアの手を引き、ベランダに繋がった階段から王城を壁沿いに回った。小走りに馬車のロータリーまで向かう。
遮る壁がなくなり、火照った頬に夜風が気持ち良かった。
「っ、おいっ……!!」
「!」
振り返れば、明かりに照らされた王城の出入り口に、クリアにグラスを渡した給仕がいて、こちらを見ていた。クリアたちと給仕との間には馬車の行き交いがあるが、直線距離で30メートルくらいしかない。
給仕は慌てたように階段を駆け下り、向かって来る。走り合いをしたら服装や体力からこちらが不利に決まっている。
「クリア、やっぱり無理よ、私には」
「グロリア、わたしに捕まって!!」
言うなりクリアはスカートをかき集め、足元に先程お尻から出した板ーー「台車」を捨て置いた。
勢いのまま片方の足で地面を蹴り、グロリアに横から抱きつくようにして二人乗りした。
目の前を通り過ぎようとしている四輪馬車の後方部を掴む。
給仕は目を見開いた。
「なっ……」
「く、クリア!? きゃあああ!!」
二人を乗せた台車はスピードを上げ、遠心力で外側に振りながらも馬車に続いて同じような曲線を地面に描いた。
王城に出入りする人々からの注目も瞬く間に背後へ過ぎ去っていく。もう舞踏ホールの音楽もざわめきも聞こえない。
クリアは心の中で語りかける。
(ねえ、ドリズリー。二人してネタにしていたけど……初めてSF映画好きだった前世の経験、つまり、スケートボードの技術ーーが役立ったわね)
あの給仕は追ってくるかと思いきや、どこかへ知らせへ戻って行ったようだ。
こうして、クリアとグロリアは王城からの脱出に成功したのだった。
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夜の郊外は静かだった。
はあ、はあ……とクリアとグロリアの荒い呼吸音だけが響く。石造りの建物が並んでいる狭い路地では台車から降り、階段を駆け上がった。膝が笑っている。
二人とも汗だくで、あんなに綺麗に整えていた髪型もボロボロとほつれていた。
「ここまで来れば大丈夫でしょう。修道院はこの階段を登り切って、坂道の先に見えるわ」
クリアは指し示す。グロリアは泣きそうな顔で言った。
「クリア嬢、わたしーーっ!」
「あ!?」
何が起きたのか、直ぐに理解出来なかった。
びゅうと風が吹いたかと思えば、グロリアの手元にあった白い紙が消えていた。
「っ、クリア嬢! 修道院への紹介状がっ!!」
「ええっ!?」
突風に吹き飛ばされたのだ。こんなことならコルセットに入れたままにして置くんだった! と後悔しても遅い。
細くて長い階段をひらひらと下って行く紹介状。この道では台車を使って追うのは無理だ。
グロリアをこの場には置いておけない。
先程の給仕やリコリス侯爵に見つかれば、たちまち連れ返されてしまうだろう。アニメ以上に酷い仕打ちを受けるかもしれない。
なんとしてもグロリアを修道院に連れていかなければならない。
(ならないのに。ここまで来て………あと少しなのに!)
心の中で舌打ちをし、走り出そうとした時。
側道から単騎の馬が飛び出して目の前で止まった。上着を翻して、一切の無駄な動きなく人が滑るように降りて来る。
「借して」
「え」
視界に入ったのは白い手袋で、その人はーーレイニーは、クリアの台車を手にする。レイニーは走りながら地面に台車を投げ、その足を乗せたかと思った瞬間、重心を片側にかけて板の部分を浮かせた。
「!?」
レイニーは身体を捻って台車をスケートボードのようにして飛び上がり、階段の手すりをまたぐように板を乗せ……一気に下まで滑り降りた。
(ーーボードスライドという技!!)
前世で見たことがあるクリアすら唖然としているのだ。グロリアは目の前で起きた事態に、完全に固まっている。
レイニーは表情を変えず、難なく着地した。台車を足から弾き、とっくに追い越していた紹介状を階段下で待ち構える。
風上ではルーサーが紹介状を追いかけ回し、最終的にレイニーがキャッチした。
相応の努力が必要なことをあっさりやって退けるヒーローに理不尽さすら感じたが、レイニーはレイニーで人並みならぬ努力で身体を鍛えているのだろう、そういうことが出来たとしても違和感はない。
「……それで、君たちは何をしているのかな? 今はどこかの国の王太子が主催している舞踏会最中のはずでは」
勿論、ネフライト王国・レイニー王太子主催の舞踏会である。ぐうの音も出ないクリアとグロリア。
取り返した紹介状を手渡されても、気の利いた一言すら出ない。
ルーサーは「自分なら手すりを抱き込んで滑り降りてましたね。でも板を使った方が身体への摩擦熱がありませんから、さすがは殿下」などと呑気に関心している。
初めて見る、意図的に表情を作っているレイニーの微笑に、クリアは寒気すら感じてしまった。
「っ、へっぐし!」
(!! 驚きのあまり油断してクシャミをしてしまった!)
寒気は気のせいではなかった。
実際に夜が深まりイブニングドレスのせいで無防備な上半身が寒かった。
出てしまったクシャミは、アニメのヒロインらしくない、可愛らしくもない、ただの素のクリアのクシャミだった。
「ちょ、クリア嬢、大丈夫?」
ようやく我に返ったグロリアが、慌てて手鏡やちり紙を渡してくれる。
「……はあ」
レイニーはようやく無理やり上げていた口角から力を抜いた。小さく息を吐く。それから自分の上着を脱ぐなり、クリアに羽織らせるようにかけてくれたのだった。




