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32.建国記念舞踏会の悪魔③

 舞踏ホールには大勢の人が行き交い、オーケストラの生演奏が響いていた。


 今夜、ファーストダンスを務めるのは、降家した王女に連なる家系の公爵夫妻だ。前国王カーム・カルセドニー陛下の妻……つまり、レイニーの母親である王妃アリアネル・カルセドニーは長患ながわずらいが公表されており、カームの逝去以前から公式行事に姿を見せていない。


 レイニーはホール最奥の数段高い場所で国内外の来賓たちに囲まれていた。その冷たく整った容姿に白を基調とした正装がよく似合う。


 クリアたちとの間にはかなり距離があるため、レイニーと目が合うことはない。

 レイニーはファーストダンスがなされる間、一度だけオーケストラの方角へ視線を向けたように見えた。その後は表情を変えることもなく、ステップを踏む夫妻を見ている。


 クリアが久しぶりに見たレイニーはなんだか別人のようにも思えた。


(……レイニーは「零雨の王太子」なんだったのよね)


 クリアは不思議な気持ちになる。改めて、前世の記憶さえなかったら、クリアと関わりもしなかった人だと思い知らされた。クリアは男爵令嬢、しかも元平民。本来ならば、二人の立ち位置はこの距離から縮まらないのだから。


「レディ、どうぞ」


 給仕に声をかけられた頃、音楽は止んでいた。しばしの歓談タイムが始まっている。サンブリング夫妻はクリアに断ってから、知り合いの貴族たちと話をしていた。

 目の前の黒服の給仕は、銀のプレートに乗ったグラスを恭しく勧めて来た。完璧に訓練された、王宮の給仕の仕草だった。


(来た)


 クリアはそっとグラスを取る。

 それから人の輪を離れ、誰もいないバルコニーへ向かった。このバルコニーはぐるりと舞踏ホールを囲っていて、そのまま庭へ降りる階段へも繋がっていた。

 金細工がついたガラス扉は大きく開いていたが、それでもバルコニー側に立つと室内からの音は小さくなった。


 それとなく景色を見ていると、ふいに背後から浴びていた黄色い光が遮られる。

 クリアがゆっくりと振り向けば、見慣れた令嬢の姿があった。


「……グロリア嬢」


 グロリアは衣擦れの音がする薄紫色のドレスに、金髪を美しく結い上げていた。


「私、クリア嬢に謝りたくて」


 言い出したグロリアの顔色はあまりに悪く、灰色の瞳よりさらに灰緑がかっていた。微かに震える手でネックレスを握りしめながら、彼女は伏せていた目を上げ一息に言った。


「ーーその飲み物に口をつけないで。毒が入っているわ」


 クリアは目を見開いた。しかし、直ぐにクスリと笑い出す。


「ふふっ、まさか! グロリア嬢がそんな物騒なジョークをおっしゃるなんて」

「っ、給仕が入れるところを見たのよ! 私がしかるべきところに報告に行くわ、どうしても何かを飲みたいのなら、私のこのグラスと交換なさい」


 遮るように言ったグロリアは、クリアから強引にグラスを奪い取ろうとする。しかし、クリアは手に力を入れて離さなかった。


「……クリア嬢!」


 グロリアは焦れたように言う。


 クリアは有無を言わせず、グラスを持っていない方の手で自身のイヤリングを外した。それから躊躇なくグラスの中に落とす。

 炭酸の気泡が一気に立ち上る。今度はグロリアが目を丸くした。



 ✳︎✳︎✳︎



「うーん? ……この飲み物に毒物は入っていないようですね」

「!」


 毒物が入っていたとしたら、銀細工のイヤリングは変色しているはずだから。

 その知識があるからこそ、グロリアは驚いているのだ。


 クリアは首を傾げながら言った。


「どうしてもこのグラスに何か入っているとおっしゃるのなら……それはきっと毒ではなく、『媚薬』なんかの類ではないですか?」

「なっ、何故そんなことが貴女にわかるの? 飲んでもいないくせに」

「ここに来るまでの休憩室で、不審な男性陣をーー具体的にはアーデン侯爵らを見ました。今思えば、おそらく誰かを連れ込む準備をしていたのでしょうね」

「そんな、まさか!? だってお父様は確かに……!」


 言ってからグロリアは口を手で押さえる。自白したも同様の発言だった。

 クリアはオレンジ色の目を細める。


「わたしに毒入りグラスを渡した給仕、あるいは給仕をそれを指示した人は、グロリア嬢自身がわたしに代わって飲むことを予測していたのではないですか? クリア・サンブリングが、グロリア・リコリス嬢をめたと見せかけるために」


 そう、この一連の流れは、全てクリアを陥れるために仕組まれたのだ。

 クリアとグラスを交換したことによって、グロリアが飲んだ媚薬入りのグラスにはクリアの指紋がついていることになる。


 アニメのエピソードではーー

 グロリアの父であり現リコリス侯爵でもあるマリス・リコリスは、グロリアにクリアへ毒を盛る手伝いをするよう指示した。


 当初、マリスはグロリアが王太子の婚約者になるよう画策していた。しかし、それがクリアの登場等で暗雲が立ち込めるや否や、マリスはグロリアに40歳近く歳の離れたアーデン侯爵との縁談を持って来た。ネフライト王国の金融政策の反対派同士、家間の繋がりを深め、権力を集中させることが狙いだった。

 縁談に難色を示したグロリアには、「クリアに毒を飲ませることに成功したならば、アーデンとの縁談を無かったにする」と諭したのである。


 さらに、マリスはグロリアの性格から彼女がマリス(自分)を裏切ることも読んでいた。グロリアが罪の意識にかられ「自ら毒入りのグラスを飲む」ことまでも。


 グラスの中身はグロリアにも知らされていない媚薬だった。そのままグロリアとアーデン侯爵との間に既成事実を作り、アーデン侯爵家との繋がりを作る。

 クリアに媚薬入りグラスを渡した給仕は、マリスの手の内のもの。彼はグロリアを見張る役も兼ねていて、媚薬に倒れたグロリアをアーデン侯爵らが待つ休憩室まで連れて行っている。


 邪魔なクリアにはグロリアへの傷害容疑がかかり、一石二鳥だ。アーデン侯爵が媚薬に苦しむグロリアをやむなく救ったという話にすれば、歳の離れた縁談への言い訳にもなる。


(アニメでは、グロリアが媚薬の影響を受けているシーンはレイニーが助けるので未遂で終わっている)


 クリアはガラス越しに舞踏ホールへ目をやった。


(さっきのレイニーを見る限り、オーケストラの異変には気づいているようだった。このままストーリーが進んでも、グロリアは襲われる寸前でレイニーに助け出されるはず……だけど)


 アニメのシナリオでは、王城に持ち込まれた媚薬の「瓶」はピアノの中に隠されていた。絶対音感を持つレイニーはオーケストラが奏でるピアノの音の違いから瓶の存在に気づき、休憩室での蛮行を知るに至ったのだ。

 とはいえ、いくら未遂であっても、現実にそんなことが起きるなんて戦慄しかない。


「……そんな、クリア嬢が言っていることは全て憶測だわ。い、一体どこの誰が、私たちにそんなことをするって言うの……!」

「でも、筋は通っていませんか? グロリア嬢こそ、お心当たりがあるのではないですか」

「信じられるわけがない」


 グロリアはワナワナと身体を震えさせながら語気を荒げた。


「ましてーーまして、貴女は詐欺師の娘なんでしょう!?」

「グロリア嬢……!」

「知らないわ!! もう私のことなんて放っておいてちょうだ「あの時はごめんなさい!!」


 鳩が豆鉄砲をくらったような顔とはこのことか。クリアが被せて来たセリフにグロリアは固まる。


 クリアはこの機を逃さなかった。


「あの夜、わたしは言ってしまいましたよね。貴女のことを、侯爵家に生まれただけの、ただの、グロリア・リコリス様だと。言い過ぎました。貴女だって色々なものを背負っていることを容易に想像出来たはずなのに。本当に……ごめんなさい……!」


 クリアは頭を下げた。

 階級社会で権力を持った侯爵家に、美しい容姿を持って生まれた。それは彼女にとって華々しい人生のスタートを切ったと言えたのか、あるいは。


 そのままクリアは自分のドレスの胸元コルセットに手を突っ込んで一枚の紙を取り出す。


「ちょ……クリア嬢?」

「これは星見台修道院への紹介状です」


 クリアは頭を上げる。目を見開いているグロリアを正面から見据えた。


「貴女がずっと憧れていた場所へ、わたしが貴女を連れて行きます」


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