27.夜這い星
どれくらいその場にいたのだろう。
「うわあっ」
クリアは立ちあがろうとして、驚きのあまり飛び退いた。レイニーが2メートルくらい離れたところで同じようにしゃがんでいたからだ。
「い、いつからそこに……」
レイニーは夜空を見上げていたが、チラリとクリアを見ると立ち上がった。それからクリアの手のひらに何かを置いた。
「これは……ボタン? 二つ」
「私はそのぬいぐるみの顔を見たことがない。この辺りに落ちていたボタンはその二つだったから」
クリアは目を見開いた。
黒いボタンのうち一つは見覚えがないものだったが、残りは間違いなくドリズリーの鼻のボタンだった。
レイニーはクリアが動かないでいる間、ドリズリーの鼻を探してくれていたのだ。辺りは寮の窓から漏れる光のみで、地面は草と土と泥。ハンカチか何かで拭いたのだろうが、レイニーの形の良い爪には泥がついていた。レイニーが、ドリズリーのために。
反応がないクリアにレイニーは肩の力を抜いた。再び口を開く代わりに、汚れていない方の手でクリアの涙をそっと、だが一切の躊躇なく拭う。
それからクリアを女子寮の入り口へ促し、自分は男子寮へ向かおうとした。
夜の冷え込みを感じたが、レイニーが触れた瞼にだけ、いつかワイシャツ越しに感じた彼の体温が残った気がした。
「ーーレイニー殿下はわたしの両親の話をご存知ですよね」
✳︎✳︎✳︎
クリアの声にレイニーは目を細めてから振り返った。表情は元に戻している。
「どうしてそう思う?」
「王族の方々は、専用のお役目の方が警備の観点から近づく者の素行調査などをしていると思っています。例え、それがクラスメイトであっても」
「そうか」
レイニーは否定しなかった。
アニメからレイニーがヒロイン・クリアの素性を調べていたことを知っている。だけど実際には、レイニーがどこまで正確に理解していたのかはわからない。
「自分の親のことです。わたしの口から補足しても、きっと許されますよね?」
自嘲するように半笑いで言った。
どうしてそんなことが口をついたのか、自分でもわからない。アニメのシナリオ的にはマイナスにはならなくても、プラスにもならないことだ。
だけど、目の前にいるこの現実のレイニーには、他人経由ではなく自分の口から伝えたいと思った。自分のこの目で、彼の反応を見てみたかった。
女子寮入り口での立ち話は目立つ。
二人は王立学園の敷地の端、人目につかない場所を歩きながら話すことにした。
「わたしの父親は、わたしの故郷では詐欺師と呼ばれています」
サクサクと土を踏む音だけが響いてレイニーは静かに聞いている。空は暗く、しかし木々の影の方がさらに黒い。
事の始まりは、村に越してきた若い男だった。クリアの父は村のリーダーのような存在だったので、新しい隣人が村に馴染むよう手取り足取り力添えをした。
「次第に二人は打ち解け、何でも話す関係になりました。幼いわたしもその人に懐いて……当時、わたしは自分の母の具合があまり良くない場面を目撃していて。でも、母は父に隠していました。治療費がかかるからと、わたしにも口止めをして。でも、わたしは心配のあまり抱えきれなくて、こっそりその人に相談してしまったんです」
レイニーはクリアを目線だけで見るが、クリアは前を向いたままだ。
その人は上手くやると約束してくれた。
「彼が父へ言ってくれたのか、父は嫌がる母を無理矢理入院させて、結果……母は回復しました。放っておけば、かなり危ない類の病だったそうです」
「父はそれ以来、その人の言うことを頭から信じるようになってしまったんです。後から分かったことですか、その人は都会から追われてきた詐欺師で、わたしたちの村に逃げて来た人でした。母の件が背中を押してしまい、父はすっかりその人を信じ込んでしまった」
あの時、クリアがしっかりしていて、自分の頭を回転させて判断できていたなら、違う未来があったかもしれない。クリアは鼻で自分を笑った。
「そこまでの具体的な話は知らなかった。ターゲットの周りから情報を引き出し、あたかも自分が気づいたかのように振る舞って信頼を得るのは、詐欺師の常套手段というが」
レイニーは眉を顰めた。
詐欺師から麦相場の話が出たのは、その頃だ。
「父は村中の人に勧めてまわりました……父は村人から信頼されていましたから、多くの人が賛同してくれて。集めたお金はその人に渡りましたから、父の懐には入っていません」
クリアは淡々と続ける。
「相場が暴落した後、父は他国の漁船に乗り込んで出稼ぎしています。母はその漁港で行商を」
「父がサンブリング男爵家の馬車を助けたことは本当でーー仕込みなんかじゃない。わたしを養女にする話はその時出ましたが、一度はお断りしています。だけど、状況は変わった。両親は男爵に全ての事情を話して頼み込み、男爵はわたしを養女にしてくれました。サンブリング男爵は村中の人が失ったお金も肩代わりしてくれました」
「バーリー氏とサンブリング男爵との縁については目撃者もいたと聞いている。疑ってはいない。男爵の尽力も知っていた」
「今だに両親はサンブリング男爵への送金をしているそうです。失われた金額には至りませんが……きっと、全てを返すまでは帰ってこないでしょう。例え、それが一生かかったとしても。責任感しかない人たちですから」
「そうか」
レイニーは一瞬目を伏せた。
「クリアの凄いところは似ているんだな、親御さんに」
「え、」
夜空を背負ってレイニーはクリアを見据える。水色の瞳は夜なのに何故か、眩しげに細められていた。
「何がなんでも、決めていることをやり遂げようとするところ」
クリアは目を見開き、ぐっと唇を噛んだ。
なんだか、口を開いたらまた涙が溢れそうな気がした。
『その言い方だと、まるでレイニーがそのままのクリアを見ていないみたいだね』
ドリズリーが不満そうに言ったセリフが頭に浮かんだ。あの時、ドリズリーの言いたかったことが分かりそうな気がした。
レイニーは前を向いて上を指差す。
いつの間か、入学式の日レイニーと出会ったあのテニスコート脇まで来ていた。丁度建物の切れ目があり、空が広く見える。
「夜這い星だ」
「ん、んん!? 夜這い!?」
「……おかしな意味じゃない。流れ星のことだ」
らしくない単語に一瞬驚いたが、説明されたのと同時に「夜這い星」という言葉が「流れ星」の意味であることを思い出す。
「わあ……!」
確かに一筋、星が流れた。
夜這い星という表現は、会いたいと願うあまりに恋しい人の元へ魂が飛んで行くことを、流れる星に例えたものだ。なんともロマンチックだと思う。
もっとも、今クリアの目の前の流れ星は、アニメのクライマックスで迫り来る隕石の予兆でもあるのだが。
そのままクリアはレイニーと星空を眺めていた。いつか二人で満月を眺めた時くらい、静かで穏やかな時間だった。
アニメのストーリーが終わったら、現実のクリアとレイニーの人生が交わることはないだろう。
ただ、アニメのエピソードにもない、再現にも何にもならないこの夜の出来事を、レイニーが覚えていてくれたらちょっとだけ嬉しいーー
そんなことを、思ってしまった。
 




