25.クリア・サンブリングの事情
「クリア嬢、あなた最近生意気なのではなくて?」
金色縦ロールに灰色の瞳を持つ侯爵令嬢ーーグロリア・リコリスは自分のさげているネックレスが揺れるほど強く、机を叩いた。グロリアの背後にも複数令嬢たちがいてクリアを睨みつけている。
放課後、マナー講習室に連れ出されたかと思えば、あっという間に彼女たちに囲まれてしまった。
夕焼けが教室内まで広がり、辺りはオレンジ色に染まっている。クリアは弱々しく眉を下げた。
「ええと……わたしのマナーのお話でしょうか? せっかく皆様がこんなわたしのために時間を作ってくださったのだから、わたしに令嬢として至らないところがあるのなら、ご教示いただきたくーー」
言ってから、ハッと気づいたように口元に手をやり壁に張り出された紙を見る。
そこにはマナー科目のペーパーテストの成績優秀者が記載されていて。
クリアは学年四位。グロリア嬢は学年15位、これも悪い位置ではないがーーお仲間たちはランキングすら圏外で。
クリアの視線に引っ張られて紙を見たグロリアは、目をますます釣り上げる。怒りに手を震わせられても、クリアとて気まずい。
(というか、このシーン、実際にやってみると天然キャラというよりもはや煽っているだけのような。このヒロイン、なかなかいい性格している……)
心の中で白目を剥くクリア。
このシーンはアニメと同じ、ヒロインが難癖をつけられ囲まれるーー「ヒロインあるあるエピソード」だ。
グロリアはもう我慢ならない様子だ。
「っ、貴女、ちょっと成績が良くて器用だからって分不相応なのよ!!」
「!」
「私たち見たのよ。カフェで朝からレイニー殿下とフォッグ様に囲まれて……男爵令嬢ごときが立場をわきまえなさい! 面の皮が厚いって言ってるのよ!!」
言ってやった……とばかりにドヤ顔をするグロリア。そうよそうよとクスクスしだす仲間たち。しかし。
「え!? ヤダ、そういうことだったんですね。言いにくいことを教えてくださりありがとうございます!」
「は、」
恥ずかしそうに頬に手をやり高揚させるクリア。グロリアたちは目を点にする。クリアは続けた。
「わたし、ファンデーションが苦手で日焼け止めのみ塗っているのですが……厚塗りだったんですね! これ以上恥をかく前に教えていただけて、本当に良かったです」
「え、まさかのノーファンデでその美肌……」
グロリアの後ろがざわつく。
スキンケアなに使っているのかしら、いや貴女が聞きなさいよ、などと小競り合っている。
もうグロリアとは(色々な意味で)怖くて顔を合わせられない。
(もうしばらくアニメ通りの茶番を続けて……陽が落ちる頃、レイニーが駆けつけてくるわ。これは令嬢たちに囲まれたヒロインをレイニーが助けるという、「親密度アップエピソード④」。気丈なクリアにレイニーは関心し、クリアは少し焦った様子のレイニーにキュンとくる展開ね)
実際のクリアがレイニーにときめくことはないだろう。だけど、ほんの僅かにだけ……クリアのためにそんな表情をしたレイニーを見たいとも思ってしまい、そんな自分に驚いてもいた。
「貴女たち、何をやっているの!!」
「!」
突如、背後から良く通る声が響く。
振り向けば、開かれた窓からの逆光に二つの影が。
目を凝らせば、ラネージュが仁王立ちしてこちらを睨んでいた。その横にはフォッグもいる。
予想外の登場人物たちにグロリアらは固まるが、クリアも目を丸くする。
ーー何故。
(……って、本来ならラネージュは悪役令嬢でヒロインをいじめる役割だったから、ここにいてもおかしくないわけで)
ラネージュは一瞬窓から教室へ入ろうとしたが、さすがに自制したようだ。しかし、まさかのフォッグが窓枠へ足を掛けてラネージュを引き上げる。そのままラネージュが室内へ飛び降りるまで、その手で優雅にエスコートした。
「あら、貴方たまには役に立つじゃない」
「言い方よ。目的が一緒であれば、協力くらいするさ」
相変わらずのラネージュにフォッグは心底うんざりしたような顔をした。
驚いたままのクリアを尻目に、ラネージュはグロリアたちを一瞥する。
「貴女たち……これ以上クリア嬢にあえて傷つくような言葉を言うなら、わたくしが生涯をかけてまで、その罪を思い知らせてあげるわよ?」
ラネージュはクリアすら震えるような悪役顔で美しく微笑んだ。そこには大国の王女に相応しく有無を言わさない圧があった。
「ひっ、重っ……」
「お、覚えてなさいよ!」
縮み上がった令嬢たちは捨てゼリフを残し、あっという間に去っていった。
「ラネージュ様、フォッグ様!」
クリアは二人に駆け寄る。
何だか、胸が熱くなった気がした。
「構わなくてよ。だってわたくしたち……」
ラネージュは豊かな髪をばさりと翻す。以前は纏めるように括っていたが、最近はこの上半分を編み込んだハーフアップ姿もよく見られる。素晴らしく彼女に似合っていて、令嬢たちが真似することもラネージュは快く認めている。
「だってわたくしたち、お友だちなんですもの」
そっぽを向きながらも頬を染めるラネージュ。ラネージュはよほど気に入っているのか、このフレーズを多用する。
フォッグは「はいはい」というばかりに半眼になった。
それから「俺だってさ、クリア嬢には恩があるっちゃあるからね」としらけたように、でもはっきり言ったのだった。
✳︎✳︎✳︎
(レイニーが助けに来るはずだったエピソードに、先に違う人たちが来てしまった。つまり、アニメの再現としては完全に失敗している)
のだが。
『ご機嫌だねえ。クリアが楽しそうなのは嬉しいけど』
「うっ、だってアニメの強制力に関係のないラネージュとフォッグが自らの意思で助けてくれたんだもの」
夜、寮の部屋でドリズリーと話をしながら、クリアは自分が素直に嬉しかったことに気付いていた。
それから目を伏せる。
「それに……レイニーと違って、あの二人とは意図的に親しくなろうとしていたわけじゃない。ラネージュとフォッグに対しては、前世の記憶を使ってその気持ちを誘導した結果じゃないから」
『から?』
「ヒロイン・クリアじゃなくて、わたし自身を相手にしてくれた気がしたのよ」
ドリズリーは何故か興醒めしたように言った。
『その言い方だと、まるでレイニーがそのままのクリアを見ていないみたいだね』
クリアは目をパチパチする。
「ん? だってそうじゃない。レイニーにはヒロイン・クリアとして見てもらえるよう、わたしたち、こんなに努力して来たんだから。まあ、多少ボロは出ているけど……そうじゃなかったら、むしろ困る」
『オレはいつだって一番クリアの味方だよ。だけど』
言いよどむドリズリー。
『アニメの語り部としてストーリーを俯瞰する立場にいたから、レイニーに対しても思うところあるっていうか』
その瞬間、ノックが鳴った。
クリアはドリズリーと目と合わせる。こんな時間にクリアの部屋に来る予定の人はいない。
『って、アニメのエピソード自体は無くならないというしばりがあるでしょう? となると、今クリアのところに来るのはーー』
(まさか……)
「レイニー殿下?」
扉を開けるなり、思わず口からその名を出してしまった。しかし、クリアは直ぐに後悔することになる。
「ーー何よ、クリア嬢、女子寮にレイニー殿下が来るとでも思っていたの?」
廊下には、不機嫌そうに眉を顰めたグロリア・リコリスがいた。
グロリアはクリアの脇をすり抜け、勝手に部屋に入って来る。
「あ、あの、グロリア嬢、何か御用でしょうか」
クリアの声にグロリアはくるりと振り返った。
「わきまえなさい。本来なら、私たちと対等に話ができる立場でもないくせに」
「……どういう意味でしょうか。王立学園では、少なくとも学内敷地では、身分に関係なく関係を築くことが推奨されています」
グロリアは鼻で笑った。
「知っているのよ、クリア嬢。貴女の親は……村中の人を騙した、詐欺師のくせに」
ここまでお読みくださり、大変ありがとうございます! 物語は半分を過ぎたくらいです。
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