24.無限回廊の怪事件⑤
時は戻って王立学園の学食にて。
「……あのような音は、家具が動いた時にもするんじゃないか」
レイニーはしばし間を置いた後に言う。
「そ、そうですよ! わたしやメイドがそんなことするわけないじゃないですか、酷い!」
クリアは同調する。メイドの名誉もあるから、二人分否定しておく。
実際レイニーがそう思ってくれるなら助かる。この世界で令嬢が人前でオナラするなど有り得ないし、仮にクリアがしたと思われていたら、さすがのレイニーも今まで通りに接してくれないはず。
(……あるいは、わたしが何らかの手段で作り出した音と思われていなければ、ね)
違和感もあるのだ。
あの時、レイニーの背後の部屋にはクリアとメイドしかいなかった。頭の切れるレイニーをクリアが騙し切れているだろうか? 人の気配に敏感なレイニーなら、屋外ならまだしも室内にいる人数を把握していてもおかしくない。
それに、フォッグにしても「あのオナラ」ではなく「あのオナラの音」は誰だったのか、という言い方をしていた。
(これも偶然?)
フォッグは公爵家の品位に関わるなどとブツブツ呟いてたが、やがて話題を変えた。
「あれから分かったことを一応クリア嬢にも伝えておくよ。中途半端な状況は誤解を呼ぶだけだからね」
フォッグは金色の瞳にクリアを映した。
「ジュード・クロッカーは公爵領の研究所を去ったとされたのち、秘密裏に戻っていたんだ。ジュードはあの隠し部屋で違法薬物『メモリア』の解毒剤を研究していた。父上の援助の元でね。ジュードは確かに『メモリア』の前進薬を作り出したものの、『メモリア』自体の開発には関わっていないと言っている」
現在エルヴィンとジュードは王城で事情聴取をされている。ジュードは「研究所から前進薬の資料を持ち出した理由」についてだけは、まだ口を割っていないそうだ。
エルヴィンがジュードの帰還を受け入れたのは、その理由が関係しているのでは……と、フォッグは付け足した。
「ジュードは自分が『メモリア』を産み出すキッカケになったことをずっと後悔していた。少しでも責任を取ろうとしていたんだ。ハーパー公爵は……つまり父上は父上で、ハーパー公爵領の研究所から『メモリア』の前身薬が生まれたことをずっと悔やんでいた」
「それはフォッグもだろう?」
ふいに挟まれたレイニーの言葉にフォッグは一瞬目を見開き、それから唇を噛んだ。
「俺は……祖父上や父上が、あのように忠誠を示しておいて、陛下やレイニー殿下を裏切ったとばかり思っていた。しかも、薬物を使うという卑怯なやり方で。俺だけでもレイニー殿下の味方でいなければーー……殿下たちがあまりに報われないと思ったんだ。だからあのようなことを。危うく一人だけ何も知らないまま、全てを失うところだった」
フォッグはエルヴィンに剣を向けたことを言っているのだ。
(事実、エルヴィンとカーム陛下はフォッグとレイニーのように幼馴染の関係だった)
レイニーはそんなフォッグを少しだけ柔らかい視線で見た。
「公爵家がジュードを囲っていたおかげで、良かったこともある。あのような研究者は悪い組織に使われでもしたら、よりタチが悪かったからな。王城での聴取の結果、ジュード自身は『メモリア』を王都へ流通させていないと言っていたよ。そもそも、闇ルートへの流し方が明らかに素人のやり方じゃない」
フォッグは頷いた。
「ジュードは脅迫されていたんじゃないか? 研究所から資料を持ち出すように、闇ルートの関係者に。ん、でもだとしたら、やっぱりその関係者はハーパー公爵家絡みということに? 研究漬けのジュードにそんな人脈があったとは思わないから。あるいはーー……あっ」
何か思い付いたように、口をつぐんだフォッグ。フォッグはレイニーを見つめるが、レイニーは沈黙した。
クリアは目を細める。
(『メモリア』の関係者で力のある人物は、もう一人いる。服用して亡くなったとされる……前国王カーム・カルセドニー陛下)
そもそも、カームが副作用の少ない「メモリア」の前進薬だけではなく「メモリア」自体に手を出した、そのキッカケは?
いずれにせよ、クリアがこれより先の話を聞く事はできないだろう。さすがに一令嬢でしかないクリアには聞かせられないことだ。
フォッグは話を変えた。
「そういえばレイニー殿下。クリア嬢ってさりげなくとんでもなくいい香りがするんだよ」
「「え」」
いきなり名前を呼ばれたクリアは目を丸くする。レイニーも虚をつかれたようだ。
「蜂から庇ってくれたあの日だよ。あれは新発売の香油か何か? 俺の知らない香りだったな。ということは、レイニー殿下も知るはずがないよね。あーあ、残念。是非一度体験して欲しかった」
「あ、それなら今日も付けていますよ」
あのフレグランスはひと瓶分出来ていた。自分でも気に入った香りだったし、無限回廊のエピソードでしか使わないのは勿体無いと思っていたから。
クリアはさほど考えずに自分の首筋を指差した。それが、ほんの少し未来の自分を混乱させることになるとも知らずに。
レイニーは微かに眉間を寄せ、フォッグを見た。それからそっとクリアの両肩に手を置き、正面から首元にかがみ込む。硬直するクリアの右耳へ小声で囁いた。
「ハサミをやめてくれたのは良かったが、コルセットにガラス瓶を入れることも関心しない。まして、フォッグの前で取り出すことも」
直ぐにレイニーは身体を離して、ふっと表情を緩め、フォッグにも聞こえるような声で言った。
「……世界で一番良い香りかな」
「!!」
クリアはあまりの出来事に口をパクパクさせるしか出来ない。
一方、レイニーの顔色は何一つ変わっていない。そのまま控えていた護衛騎士に呼ばれ、この場から離れて行く。今日は午前中から公務らしい。
フォッグはクリアを見ながらニヤリと笑った。
「ナイスアシストだったろ?」
「な、なんで」
「なんでって、君はレイニー殿下にお近づきになりたかったんだろう? 助けてくれた御礼、かな」
フレグランスについてレイニーの口から直接感想を聞けたのは、努力が報われたようでちょっと嬉しい。でもこんな、まさかの接近戦とは。
「それにさ、レイニー殿下にも御礼したかったから、ね」
フォッグは誰にも聞こえないように、呟いた。
フォッグとレイニーは同い年、かつ王族と公爵家令息という関係だったから、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。
フォッグは自分を勘のいい男だと思っている。
少年時代、「その人自身も気づいていないようなこと」を口に出してしまい、揉めごとを作ってはエルヴィンに叱られていた。しかし、レイニーはそんなフォッグから離れて行くことなく、さりげなくフォローをしてくれた。
そんなレイニーをフォッグは大好きになった。
ところが、カーム陛下が逝去してから二人の関係は変わる。レイニーは摂政の孫であるフォッグの一歩後ろに下がるようになったのだ。フォッグが一位、レイニーはいつも二位。フォッグが二位の時はレイニーは三位。不自然なほど、嫌味なほどレイニーはフォッグの直ぐ後ろにつけていた。
フォッグを立てていると見せかけて、これは牽制されているのだと理解した。レイニーはいつでも、フォッグをいかようにでもできるのだ、と。
それだけ、レイニーが王太子としてのプレッシャーを感じていると理解したのは、いつ頃だろう。
大人になってからも、フォッグは自分を勘がいい男だと思っている。
さすがにこの歳になれば、意図的以外には、気づいたことを一々口にはしないけれど。
自分の知らないクリアについて話した時の、レイニーの何とも言えない表情を思い出して笑いそうになる。
ーーこの風変わりな令嬢なら、レイニーが作り上げて来た壁を打ち破ってくれるかもしれない。
それからオレンジ色の目を丸くしたままレイニーと見つめ合うクリアを思い出し、頬を緩めた。
いつだってフォッグは親友の幸せを願っている。
今って春なんだよな〜と思うフォッグに応えるように、辺りには優しい風が、吹いていた。




